○○できなくなっている子ども達。
文字の○○化は危険!○○力が奪われていく日本人。
凶悪犯罪と結びついている危険性にあなたは氣づいているか?
日本人が失いつつある感覚。今回は視覚と聴覚を中心にお話しさせていただきます。
今、立体視が苦手な子どもが増えています。
視力が育つ小中学生の時期にテレビゲームなど長時間画面を見続ける生活をしていたら、
外で体を動かしながら自然環境に対応する経験が足りず、立体的に物を捉えたり距離を把握するのが苦手になってしまうのです。
画面に焦点が固定されて、近くのものから遠くのものまで様々な距離のものを見る経験が少ないと距離感は養えません。
立体的な奥行きを検知する脳の認識知力も訓練されません。
アフリカのマサイ族は遊牧民なので、遠くにいる牛などを見つける目はとても優れています。
しかし、近くで素早く目で物を追う経験(小さいボールを打つ、車を運転するなど)は重ねてこなかったので、
動体視力は日本人より低いのです。このように環境によって視力は作られます。
古代人は遠くのかすかな音を繊細に捉えることができました。
逆に近くの大きな騒音を聞くのは耐えられなかっただろうと言われています。
近代社会の中で、私たちはテレビや車などの音に囲まれているため、耳を澄ます機会がとても少なくなっています。
逆に音が飛び交う中で無意識のうちに耳を閉ざすようになり、子どももテレビの音には反応するけど
周囲の氣配に細やかに対応する力が低下しています。
自然環境やその中の生命の音に直接触れる経験をすることはとても重要です。
自然の中で人間はあらゆる感覚を鋭くして生きてきました。
私たちは普段コミュニケーションをとるときも言葉の額面だけ捉えているわけではありません。
表情や目に見えないお互いのエネルギーが影響しています。
感覚が低下し続けると想像力が乏しくなり、心を通い合わせることも難しくなっていきます。
日本は古来より筆で字を書いてきました。
筆に含ませる墨汁の量や筆にかかる力具合で文字の濃淡が出てきます。
こうした感覚をたくさん使いながら文字を書くのですが、微妙な筆先の流れや文字がかすれるなど自然に任せる部分もあります。
また、感情が文字に表れます。
「明朝体」や「教科書体」のように「とめ」や「はらい」「はね」などによって文字の太さに変化がつけられているのは、
筆で文字を書く感覚が投影されているからです。
印刷技術が発達し、文字は意味を効率よく伝達するための手段として記号化されていきました。
効率重視で活字化されていく中でも「「明朝体」と「教科書体」は日本人の文字に対する感覚を残しています。
一方、ゴシック体は全て同じ太さでべったりとしていて、手で書く文字の痕跡がほとんど残っていません。
表情も無く、まさに記号という感じがします。
教科書の表紙や見出しにゴシック体が用いられるようになり、また小学生のうちからパソコンやスマホで文字を打つようになり、
早いうちからゴシック体に触れる機会が増えています。
その一方で声を出して文字を読む機会が減り、黙読するようになっていきます。
今でも小説や多くの書籍には見出しや太字以外の文章には「明朝体」「教科書体」が用いられています。
知識を取り入れるとき、または文字を通して学びたい、向上したいときに私達日本人の潜在意識として
筆使いの痕跡がある書体を好むのかもしれません。
記号化された文字に囲まれて、日本文化に根ざした手触りや質感を忘れてしまう危険性は否めません。
文字を手で書くことが減っていき、パソコンやスマホで文字を入力することが中心になり(依存する人もいる)、
便利になった反面、大切な感覚が失われています。
日本人が大切にしてきた感覚が鈍っていき、公共の場で勝手な振る舞いをする人が目立つ。
しかし別の種の感覚(キーボードを早く打つ、狭い画面を長時間凝視する)は異常に発達しています。
効率化によって感覚が奪われると自然と短絡的になっていき、このことは頻繁に起きている異常な犯罪と無関係ではないと思います。
もちろん日常の騒音や文字の記号化だけでなく、他にも食の乱れやストレス、運動不足など色んな要因が絡み合っています。
今の環境の中でパソコンのように便利なものは社会を良くするため、人のために使うことは有意義だと思います。
そして手先や体を使って体験することを通して感覚を取り戻すことも忘れてはなりません。
山本 和佳
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