白米がよぶ病1

縄文時代のころからお米を食べているといわれている日本人。
お米はお米でも、昔から食べられていたものは玄米でした。
ですが、現代人は歴史とは異なり白米を常食するようになりました。
それは、なぜなのでしょうか…。

大昔から、日本人はお米とともにありました。
栄養的にも、保存にも優れている玄米を、昔の人は食べていました。

ですが、今は家庭でも、学校の給食も、会社の食堂も、ファミリーレストランも、スーパーで売られているお米や、コンビニで買えるお弁当やおにぎりなども、ほとんどが白米です。

一体いつから日本人は白米を食べるようになったのでしょうか。

調べてみたところ、日本の庶民が白米を食べ始めたのは江戸時代のころでした。
江戸のような人口が密集している都市では、米を炊くために使用する、薪などの燃料は大変貴重なものでした。

特に庶民は、あらゆることを節約するように暮らしていたので、玄米の糠(ぬか)の部分を取り除き、白米の状態にすると少ない燃料で炊けることが好まれ、そのことも江戸時代に白米が普及した一つの要因になっているようです。

燃料代も節約でき、しかも銀シャリは甘みがあっておいしいということで、流行ものが好きな江戸の人たちの間では瞬く間に白米が好んで食べられるようになりました。

しかし、白米が普及するのと同じく、江戸では奇妙な病も流行りだしてきました。

その病にかかると、足の神経が麻痺して歩行困難となり、疲れやすい、だるい、意欲が湧かない、集中力がない、飽きやすいなどの症状が出ます。

症状が最初に足に出ることが多いので脚気と中国で名付けられた病名です。
脚気症状がさらに進むと最後には心臓を取り巻く神経に異常をきたし、心臓麻痺で死ぬこともありました。

昔はこれを脚気衝心と称して恐れられていました。

脚気は、今では白米常食によるビタミンB1欠乏による神経障害であったことがわかっています。

つまり、栄養が豊富であった玄米の栄養部分をはぎ取って食していたため、必要な栄養素(脚気の場合はビタミンB1)が慢性的に不足してしまったために起きた、体の機能が正常に働かなくなってしまった病だったのです。

江戸当時では、原因不明の病といわれ、江戸の人たちを恐怖に陥れました。

でもB1が多い胚芽を含むソバを食べている貧乏な庶民には起きなかったこともあり、経験的にビタミンB1が多く含むものを探し当て、それらを食べることで江戸わずらいも次第に終息を見せてきました。

そばの他には、たくあん商人が糠で漬けた「たくあん」など、糠を使った漬物を食べることでも脚気予防に貢献していたようです。

そんな、江戸時代に流行った脚気、これが、近代で再び起きることになるのでした。

(つづく)

川野 ゆき