初恋のきた道

良い映画に時間の経過は関係ない。
むしろ、ワインのように価値観が上がる場合がある…

この映画は一度は見て欲しい映画です。

「初恋のきた道」

中国映画

2000年12月日本公開

上映時間:89分

第50回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品

監督:チャン・イーモウ(張芸謀)

脚本:パオ・シー

STORYは、ひとことで言うと、1950年代の中国の山奥の村に住む、18歳の貧しい農家の娘が、町から来た若い青年教師に恋をする話ですが、一見平凡で普通の人生を送る生活の中で、恋をする事によって様々な障害を乗越えて行く娘の姿に心を打たれます。

娘役は、この作品をキッカケに、今では世界的女優になってしまった、チャン・ツィイー

監督は私が大尊敬する、巨匠チャン・イーモウ。彼は世界三大映画祭を制すると言う偉業を成し遂げています。

三大映画祭は、カンヌ・ベルリン・ヴェネチアですが、私個人の感想では、近年のカンヌとヴェネチアは、日本人も取っていますが、その作品自体にクビ をかしげたくなるようなものが増えています。そしてそんな年には、偶然とは思えないほど、協賛企業やスポンサーなど多くの出資をした企業に、日本企業が多 数参加していたりします。

しかし今の所、ベルリン映画祭だけは、裏工作などのインチキでは受賞できず、その威厳を保ってると思います。チャン・イーモウは、そんなベルリン映画祭の常連監督です。

最近では英雄(ヒーロー)などのCGを駆使した本流からズレた映画も、人生の休憩がてら?作っていますが、やはり根は凄い本物の表現者です。

チェン・カイコー監督の「黄色い大地」などの大作のカメラマンなどをしていただけあって、その映像美は、目をみはるものがあります。

映画 初恋のきた道は、簡単に言えば純情恋愛物語ですが、この映画の凄さは、誰にだってあるかもしれない熱烈な恋心を繊細、巨細に拾いあげてみせる所にあります。

ヒロインのディは、青年教師チャンユーに一目ぼれします。彼のために真心を込めた弁当を作るが、村のならわしで手渡す事は出来ない。大勢の男性が昼時に弁当を取りに来る場所に置いて、偶然彼が取るのを祈る…

彼の声を聞きたい、ちょっとでも彼を見たい…そのために、家からは遠いいが学校近くの井戸にまでワザワザ水を汲みに行く、一本道を見下ろす丘で、彼の帰る姿を遠めに見る…

まだこの辺りでは、そのいたいけな姿に、そのいじらしい姿に微笑ましさと、じれったさを感じていればいい。

所が、やっと二人の心が通じ合った頃に、彼が余儀なく村を去らなければいけない辺りから、私達の心は痛みを感じ出し、大きく揺さぶられてゆく。

ディはチャンユーが好物の「きのこ餃子」を作り、彼が去って行く馬車を懸命に追いかける…しかし「きのこ餃子」の入った大きな青花のお椀を抱えて走っていたディは、つまずき転倒する…

お椀は割れ、餃子は地面に散乱する…そんな事にはまったく気づかず、チャンユーを乗せた馬車は、土煙をあげて遠くに遠くに、小さく小さくなって行く…

私はここで先ず、感情が込み上げ、涙腺が切れて、大粒の涙が頬を伝い出す。あれだけ一生懸命作った「きのこ餃子が…」と。

その上、彼から唯一プレゼントされた「髪留め」を落としてしまう…その髪留めを彼女は毎日毎日探し歩くのである。

彼が帰って来ると信じて、来る日も来る日も、村の入り口で立ち尽くす…

恋焦がれると言うのはこう言う事か、一途に思い詰めるとはこう言う事なのか。その事に痛く感動し、たまらない懐かしさが込み上げてくる。

大人達の心に、いつの日か忘れてしまった純粋で無垢な情熱を思い起こさせる…

この映画は、なんとこの二人の40年後から始まります。ディとチャンユーは結ばれた事を冒頭に知らされたうえで、なおかつ引き込まれて行くのは、脚本パオ・シーの力でしょう。

そして監督チャン・イーモウの演出が更に名作として決定づけます。

恋物語にありがちな湿っぽさや陰部的要素を全く感じさせません。逆に、清潔な詩情と可憐な叙情をみなぎらせて、ヒロインの清清しい目から無限の優しさが感じ取れます。

また映画のプロローグである現代が白黒で、エピローグである過去が鮮やかなカラーで描かれていますが、これは現代中国、いや現代社会そのものが、かけがえのない大切な美しいものを失ってしまっている事を、映像の手法として現しています。

この映画は鮮烈な映像美と共に、普遍的な人間感情を描いています。そして映画を見終わった後に、誰もが大切な、或る「心」を家に持ち帰ります。

それは、人を心底愛したディの、はにかんだ風情。林を抜け丘を必死で駆ける赤い服のディの表情。割れて修理された青花のお椀…です。

秀作の一本をこの機会に…

参照文:映画評論家:秋山登。

Amazonでのご購入はこちら