おすすめ映画「息もできない」

製作年:2008年
製作国:韓国
上映時間:130分
日本公開:2010年3月
監督:ヤン・イクチュン
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン、チョン・マンシク、ユン・スンフン

俳優出身のヤン・イクチュンが製作、脚本、主演を兼ねた初監督作品で、ロッテルダム国際映画祭や東京フィルメックスのグランプリほか世界各国の映画祭で20以上のも賞を受賞、韓国内でもインディーズ作品としては異例のヒットを記録した注目作。
第10回東京フィルメックスでは史上初めて観客賞とのダブル受賞でした。
憎しみを糧に生きてきた愛を知らない男と、心に傷を持つ勝気な女子高生との切ない人間ドラマです。

原題は「糞ハエ」、邦題は英語タイトル「breathless」の訳ですが、まぁ仕方ないでしょう。
上にあるのは日本版ポスターですが参考までに韓国版もご覧ください。

ちなみに監督は「殴られすぎて息もできないと思ってください」とインタビューで答えていたそうです。
このインタビューからも解るように、かなり暴力シーンの多い映画です。
しかも規制のうるさい日本やハリウッドなどでは考えられない激しさで、ある意味最近の韓国映画らしいと言って良いでしょう。
しかし、もちろん暴力礼賛映画ではありません。
それはひとつのカタルシスもない点からも明らかです。

主人公サンフンは家庭内暴力で母と妹を失い、父への憎しみを糧に生きています。
そのような悲惨な過去があるから暴力的な人間になっても仕方がないと言っているわけではありません。
しかしひたすら汚い言葉を吐き、誰彼かまわず振るう暴力が、実は温かい家庭や愛を知らずに育った主人公の慟哭であることはやがて痛いほど伝わります。
彼が甥っ子に見せる不器用な優しさも、ただ暴力的な人間ではないというよりも、自分にはいない「立派な父親」を自ら演じることで埋め合わせをしているように見えます。

サンフンは、「韓国の父親は最低だ」と毒づきます。
借金の取立てを生業とする彼は、仕事もなく借金まみれの癖に家族には暴力を振るうダメな父親達の姿を何度も見ているからです。
韓国は儒教の国ですが、家長は絶対であるというその教えがどこかで間違ってしまった現実がそこにはあるのでしょうか。

サンフンと知り合う女子高生ヨニも父への愛憎というトラウマを抱える共通項があります。
ただしそのことをお互いに確かめあったりはしません。
魂の奥底で同じ痛みを分かち合う二人はそれでも充分に通じ合うことができます。
惹かれ合う二人の関係は友情でも恋愛でもありませんが、それ以上とも言えます。
孤独な魂の共感とでも言ったら良いでしょうか。

漢江(ハンガン)の岸辺でヨニの膝枕を借り、こらえ切れずに泣き出すサンフン。
自然とヨニの頬も涙が濡らします。
このシーンは観る人すべての記憶に残る、美しくも官能的なまさに映画ならではのワンシーンです。

そして一見、暴力に満ち殺伐とした世界を描いているように見えるこの映画が、こんなにも心を引きつけてならない理由に気がつきます。
そう、この映画には暴力のその裏側にしっとりとした情感が漂っているのです。

製作・監督・脚本・編集そして主演という、一歩間違えればただの独りよがり映画になってしまうところを、妥協とは無縁の驚くべき情熱でまとめあげたヤン・イクチュン。
資金難を自分の家まで抵当に入れて乗り切ったというエピソードだけでも、この映画にかける想いが伝わります。
胸をギュッと締め付けられる様な映画を久しぶりに観ました。
題名通りまさに「息もできない」切なさに溢れた作品です。

12月3日、DVDがリリースされます。
この圧倒的なドラマをぜひご覧ください。

(小田切聖之介)


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