おすすめ映画「映画に愛を込めて アメリカの夜」

今回は、一風変わった映画をご紹介しましょう。
監督はかのフランソワ・トリュフォー 。
映画作りの裏側がよく判るちょっとシニカルな作品です。
トリュフォー監督自身の私生活も暴露されているとか、いないとか…。

監督・製作:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー他
出演:ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ピエール・オーモン他
117分
フランス/イタリア製作
1973年公開

【あらすじ】
フェラン監督(F・トリュフォー)による映画が、ニースで撮影される。
ノイローゼ気味のハリウッド女優や気難しい男優、妊娠がバレた新人など、問題あるスタッフをかかえて、監督の撮影もなかなかはかどらない……。
1973年度アカデミー外国語映画賞、ニューヨーク批評家賞などを受賞。

ここで描かれている映画撮影というのは、俳優や俳優同士のトラブル、または機材や小道具のトラブルなどが次々に発生してとても大変だ。
しかしそれでも制作者達を捉えて離さない映画作りの魅力とはなんだろうか…。

冒頭、若い男性が地下鉄の駅からあがってきて、人ゴミを歩いていく。
初老の男性に出会い平手打ちしようとするところで「カット!」の声がかかる。
ここで映画の撮影だという事が観客に判るという寸法だ。
そして、何十人という人や車が元の位置に戻ってやり直しである。
細かいタイミングを合わせるため、何度も何度もやり直す。
ここで「映画って大変だなぁ」と思うか、「面白いぞ!」と思うかでは大分違う。
もちろん何度も何度もやり直すのは誰だって嫌だ。
しかし苦労が多い分、成功した時の喜びは格別であろう。
それを想像したうえで「大変だ」と思うか「面白い」と思うかなのだ。
いずれにしても映画作りのポイントを上手く伝える素晴らしい冒頭シーンだと思う。

映画撮影の大変さは、このような群集シーンにだけあるのではない。
エキストラを何十人何百人と使うシーンは確かに大変だが、俳優の扱いはそれ以上に厄介なのである。
何しろ、主演女優は病み上がりのうえ、ハリウッドはスケジュール管理に大変うるさい。彼女の恋人役は映画よりも撮影現場まで連れてきた(本物の)恋人に夢中でさっぱり。恋人の母親役の女優は台詞まったく覚えられず、セットのあちこちにカンニングペーパーを隠している。
主演俳優は、なぜか毎日撮影の合間に空港にいって誰かを待っているらしい。
このうえにセットやら小道具やら予算やらスケジュールやらの問題が次から次へと監督に降りかかる。そのせいか、監督は毎晩何か悪夢らしきものを見ているようである。
そういえば、キャストに書き忘れたが監督役はトリュフォー監督自身である。

トリュフォー監督はこの映画作りの現場を映画にするというアイデアを、『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが「誰か、あたしの背中をかいてくれない?」という台詞のとき、小道具係が本当に背中をかいてやったというハプニングから思いついたそうだ。

アイデアがそうだからか、映画に出てくるエピソードはどれも本当にあったことを脚色しているそうだ。
例えば、猫が思い通りに動いてくれず、何度も撮影をやり直すシーンは『柔らかい肌』での自身の体験。
また、女優のわがままを象徴するシーンとしてでてくる、桶入りのバター(「ブール・アン・モット」という特製のバター)を要求してスタッフが慌てるシーンは、ジャンヌ・モローが『エヴァの匂い』で同じ要求をした実話がベースだそうである。
他にも、主演俳優アレクサンドルが「映画のなかでは12-13回は電気椅子にかけられ、刑務所生活は合計すると八百年以上も送ったことになる」と語っているが、これは悪役時代のハンフリー・ボガートがモデルだからだとか。
前述した台詞を覚えられない女優のモデルは晩年のマルティーヌ・キャロル。
などなどトリュフォーほどの監督で無ければ、本人が怒りだしそうなエピソードも多い。
トリュフォー監督は印象に残った言葉や体験をメモに書き留めて残しておく習慣があったそうで、この映画の中でも主演女優の告白をそのまま映画の台詞にしてしまうエピソードがでてくる。
これは、実際に『夜霧の恋人たち』で当時恋人だったカトリーヌ・ドヌーヴがトリュフォー監督に告白した言葉を『隣の女』でファニー・アルダン(彼女もトリュフォー監督とは恋人関係だった)の台詞にしてすでに経験済み。
これを見たドヌーヴは「あきれたわ、みんな私の台詞じゃない!」と言ったそうだが怒るのも当然である。しかもこの映画ではこの言葉すらも台詞にしてしまっている。
なんだか、わがままな俳優へ仕返しをしているかのようだ。
細かいエピソードの他に、前述の恋人役の青年俳優と恋人(ややこしくてすまない)の劇中劇が何度も登場する。これもなんと、ニコラス・レイ監督とグロリア・グレアムのあいだに実際に起こった事件がモデルなんだそうだ。

ところで、前述した夢のシーンは、トリュフォー監督が少年の頃の体験だそうだ。
それは映画館でステッキを使って『市民ケーン』のスチル写真を盗むというものだが、映画少年だったトリュフォー監督ならではエピソードである。
しかし、これはどう解釈すべきか。
「少年の頃の憧れの職業につくことはできたが、やれやれこれは…。」という後悔の念だろうか。
私は、「毎日大変だけれども自分の映画に対する想いは少年の頃と少しも変わらない」という風に捉えたが、皆さんがご覧になってどう感じるかは自由だと思う。

さて、幾多の困難を乗り越えて映画はようやく完成だ。
喜びのなか撮影隊は解散する。そこへTVレポーターがやってきて大道具係にマイクを向けた。
「撮影中に何か困難な問題は起きませんでしたか?」
大道具係は微笑を浮かべてそれに答えた。
「なにもかもうまくいったよ。我々がこの映画を楽しんで作ったように、お客さんもこの映画を楽しんで見てくれれば、それでもう何もいうことはない…」

シニカルともとれる台詞である。しかもこの映画が映画作りを描いていることを考えると二重構造のような意味合いもありそうだ。
しかし私としては単純に、「やっぱりトリュフォー監督は映画作りが大好きなのだな」と受け取りたい。

この映画は、映画作りに興味の在る方に最適だと思う。ただし勉強にはあまりならないが。
それから、単純にコメディとしても楽しめる作品である。
さらに裏話を知ると一層面白いと思うので、なるべく解説したつもりである。
ストーリーよりもディティールが面白い作品である。
その点を注意してご覧いただくとさらに楽しめるのではないだろうか。

最後にタイトルの「アメリカの夜」について。
キャメラのレンズに特殊なフィルターをかけると昼間に撮っても、出来上がりが夜に見える。
本当の夜よりもよっぽど本物らしく見える。
ハリウッドから広まった技法なので、これを仏映画業界では「アメリカの夜」と呼ぶのだそうな。
もちろん映画のなかにも登場する。英語では “day for night” と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっている。
機材やフィルムの感度が上がって夜間撮影が難しいものではなくなり、さらにデジタル化の波が進んでいる現在では、この撮影方法はハッキリ言って使われない…ことになっている。
しかし、丁寧(?)に見ていればときどきお目にかかるそうだ。

(小田切 聖之介)

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