動物円では…

「動物園に疑問を」

大人も子どもも楽しい場所だと思っている動物園…でも本当にそうなのでしょうか?
動物園に一切疑問を持っていなかった大人達も、一度考えてみてはどうでしょう?

そもそも動物→とは動く物と書くこと自体に違和感を感じますが、彼らはただの動く物なのだろうか。
呼称というのは、その呼び名によっては人間の社会では差別用語にもなり兼ねません。
動物だから何をいおうと、どんな名前をつけようと、関係ないと思っているのでしょうが、大人がそのような大雑把な意識を持っているから、歪んだ動物観を子ども達にも埋め込んでしまうのだと思います。そこに歪んだ教育の大きな原因が存在しています。

その具体的な例が、動物園だと思います。

本来なら、遠いアフリカで生まれ、アフリカで住むようにできているDNAを持ち合わせている生きものを、アジアに連れてくる、雪国に連れてくる、連れてこられた生きものはどうでしょう。身体も精神も壊してしまうのは当たり前でしょう。
群れで生きたり、家族形態を持つ象や類人猿などは、親を殺されて連れてこられることが珍しくありません。

自分がその立場ならどうでしょうか?平和に家族で暮らしている所へ、突然恐ろしい武器をもった生きものが侵入し、目の前でお爺ちゃんお婆ちゃん、お父さんお母さんを殺されて、自分はさらわれて、気候も環境も何もかも違う遠い異国に連れてこられる。

それだけではなく、毎日毎日、人間と言う生きものにジロジロ見られ、家族だけではなく自由もプライバシーも全て失う。
動物は普段は隠れているもので、人間以上に見られる事を嫌う生きものですから、見世物にされるのは尚更辛いことでしょう。

すぐノイローゼになってもおかしくありません。
それが動物園でよく見かける「常同行動」です。文字通り、常に同じ行動を繰り返すのが特徴です。

象が同じリズムの行動を繰り返したり、首だけをゆらゆら左右に振り続けたりする動物を動物園で見かけることがありますが、それがノイローゼ、精神異常状態です。

しかし、人間はこれを見て笑います。お金を取って見世物にします。こんな状況を子どもに見せれば、人間中心主義者という歪んだ心が育つのも無理はありません。
動物園のどこが、何が情操教育なのでしょう。情緒にとって最も悪い物ではないのでしょうか。
このような歪んだ解釈で育てられた子どもはどうなるのでしょう。

本当の情操教育とは、走るものは大自然を駆け巡り、飛べるものは大空を自由に羽ばたき、群れで暮らすものは、家族を思いやる、つまり、活き活きとしたそんな姿を見てこそ本当の情操教育であり、情緒が身に付くのです。

イルカショーなどもその最たるものです。彼らは知能が高く道徳的な側面もあり、群れでくらします。それをイルカ猟によって追い込み、海を真っ赤な血で染めて、虐殺し、子どもをさらい、エサをコントロールし、自然界ではありえない芸を仕込みます。

これを虐待と言わず何と言うのでしょうか?そんなショーを見て本当の優しい心が育つのでしょうか?そこに存在する思想は、人間中心主義の最骨頂ではないのでしょうか?

たかだか数百年前のヨーロッパなどでは、障害を持った人間を見世物にしてお金を稼いでいたといいます。それが現代では動物に変わっただけです。

正直な気持ちを表記するなら、日本では動物園ではなく、動物円となるのではないでしょうか。

動物園の役割について環境保護的に云々いっていますが、一部の言い分を除けば、大半は見世物でカネを取っている見世物ビジネスです。

環境保護などといっている視点を、冷静に多角的に見てみれば、動物園はもっともっと改良・改善しなければいけない点が多くあります。

いくら贔屓目に見て、言い訳をした所で、単純に生物学的に見て、生きものが生きて行くのに、気候的にも環境的も余りにも不自然なのです。

歪んだ考えや歪んだ社会が作られた背景の一つには、人間の想像力の欠如があります。相手のことや相手の痛みは一切考えない。そして、自分さえよければいい。
まさにこの考えが、今日の人間社会にはびこった結果、歪んだ事件が多発する社会になったのではないでしょうか。

想像してみて下さい。我々人間よりちょっと大きくて、恐ろしい武器をもった生きものが、我々を襲い、虐殺し、全てを奪っていったら…

そのうえ、それだけでは飽き足らず、捕獲されて透明の檻に入れられ、お金儲けのために見世物にされる。そして気が狂う。

(人間園に行こう)
「どうだ、面白いだろ。コイツラは白、黒、黄色に分かれていて、何か言語を持ち、交尾もするんだ、ほら、見ていてごらん…面白いヤツらだね」と、
ある生物の親が、その子に話している…そんな風景を想像してごらん…それが動物園なのだから、そんなものはやめようよ…と、ジョン・レノンなら歌ったのかも知れません。

想像して下さい。弱い相手の立場に立って。

今の時代は、ちょっとしたことで直ぐに気分が悪いとか、頭が痛いとか、働きたくないとか、うつ病だ、引きこもりだなどと、甘ったれたことばかり言う人間が増えましたが、動物の立場に比べたらどうなのでしょう。

ピラミッドの頂点に人間が君臨し、人間のためなら何をやってもいい、そんな世界観がはびこった結果、以上のような人間が多くなり異常な世の中になりつつあるのではないでしょうか?

真の教育は足元にあります。自然界や動物の生態にもっと目を向けることによって人間は成長できます。

1996年から「地球生物会議」という団体がおこなったZoo checkにより、上野動物園のトラやゴリラの檻は、まだ多少は改善されました。しかし、根本的なことはまだまだ解決されていません。
地球生物会議のような団体にもっと興味を持ち、支援する人間が増えて欲しいものです。

動物の視点から物事を見てみる。人間はもっとそんな見識を持つべきではないでしょうか?
特に、子どもを直接指導する学校の教師などが、このような認識を深めるべきです。
今の大半の大人達は、本当に大切なことを吐き違えてはいないでしょうか。

人間が動物を見る、と簡単に考えているかも知れませんが、檻越しから動物もあなたを見ています…怨念の目で。

あなたは動物にとって必要な人間ですか?それともイラナイ人間ですか?動物の怨念は恐ろしいといいます。気をつけて下さい。

無思考で動物園を見るのではなく、Zoo checkという意識で動物園を観て下さい。
本当に動物のことが好きであるのなら。そして本当に人間を向上させたいと思うのなら。

文:佐伯剛