人類の一番旧い友人

イヌと人類の歴史は2万5千年前ほどからと考えられていましたが、最近さらに1万年近く遡るのではないかという記事が、ナショナルジオグラフィックスに掲載されました。このようにイヌと人類はとても旧い友人なのですが、その歴史には暗く悲惨な面もあります。それは…。


(ロシアで発見された化石 ナショナルジオグラフィック ニュースより)

写真を見ても判り難いですが、これが発見されたイヌの化石です。この化石によって3万3千年前のイヌの詳細が明らかになったそうです。

元来は、住居の見張りとして、次いで狩猟の補佐などのために家畜化されたと考えられているようです。
当時の人類は狩猟採集により食糧を得ていました。ですから住居をかまえるにしても森など食糧を得られる場所に近い方が便利だと思われます。しかし、一方で森に近いことは猛獣やその他の危険からも近いことを意味しています。
”住居の見張り”とは、そのような獣の接近をいち早く知らせてくれる点で大変に重要でした。この臭覚などの鋭敏さは狩猟時においても、獲物の発見に大いに役立つものでしたし、狩り自体においても獲物を追い立てるなどで役立つのです。

イヌの側からすると、人間の近くにいることはまずは食糧の安定した確保を意味します。
ある動物考古学者によると、オオカミなどイヌ科動物の家畜化は、石器時代の人々が住居の周囲に捨てた食べ残しを目当てに、好奇心旺盛な個体が接近したことがきっかけだといいます。イヌ科の動物の特徴はリーダーを頂点とする集団生活をする場合が多いことです。食糧を与えてくれる人間をリーダーとして人間とともに集団生活をすることに他の動物よりは抵抗が少なかったではないかと推察されます。

このように人類とイヌの関係は共存関係または共生関係であり、人間をリーダーとみなしてはいても基本的には対等な関係であったと考えて良いと思います。
これは現在でも主に狩猟採集で生活をしている者や放牧生活をする者達、イヌイットやジャングルに住む部族、また遊牧民族などにおいてあまり変化がありません。主従関係が成立しているようにも見られますが、生活においてお互いに依存しあっていることに間違いがないのでやはり共生と呼んで差し支えないと思われます。極寒地方ではイヌそりは重要な交通手段であり、その点でも不可欠な存在と思われます。実際、彼らのイヌを大切にすることは我々の比ではありません。ペットではないのですから当然ではあります。

しかし、人類の多くが農耕生活に移行するにおいてイヌの役割も変化せざるをえませんでした。農耕に適した平地、または森を切り開いた土地を農地として付近に住居をかまえます。狩猟採集生活や放牧生活では移動は常に行われますので、簡便な使い捨ての住居または携行に便利な住居ですが、農耕生活では永住が前提ですから堅固で耐久性の高いものになります。また外部からの進入を防ぐために集落の周りを塀などで囲うことも多く見られようになります。
この時点においてイヌの役割のうち、「住居の見張り」は不要となります。「泥棒よけの番犬」の存在は貨幣経済など個人の財産という概念の発達以降のことです。
また当然「狩猟の補佐」も不要です。現在の狩猟犬はあくまで人間の趣味の範疇です(猟師など職業的な存在もありますが少数です)。イヌそりも一部の地方のみです。

もちろん代わりの新しい役割もいろいろと発生しましたが、くわえて食糧としての需要も発生してしまいました。農耕により生活が安定したことでイヌを食べる習慣が生まれたのは皮肉というより悲惨なことです。
日本においては縄文時代の遺跡からは丁寧に埋葬されたイヌが見つかっており、大切にされていたことが窺えます。ちなみに縄文人の主食は木の実(ドングリなど)で副食の中心は魚介類であり、肉食も多少はあったようです。しかし弥生時代の遺跡になると、解体された痕のある骨が発見され、食用に饗されたと推察されています。『日本書紀』にも、五畜(牛・馬・犬・猿・鶏)の、いわゆる肉食禁止令を出したとの記述がありイヌを食べる人がいたことは間違いないと考えられます。また肉食の習慣は稲作と一緒に大陸より伝わったという説もあります。

食糧事情が安定した現代においてはイヌを食べる習慣があるのは一部となりました。しかし飢饉などにより食糧事情が切迫していてさえイヌを食糧とみなすのは非道なことです。前述の通り人類の一番旧い友人なのです。貴方は飢え死にしそうだからといって友だちを食べますか(極限状況の話ではないことはもちろんです)。
イヌに限らず肉食の習慣を人類からなくすように働きかけましょう。
まずは友人から肉食習慣を無くすように説得しましょう。そうすれば友人と二人きりで遭難しても食べられる心配がなくなります。

食糧にするのも非道ですが、実験材料にするとなると悪魔の所業としかいえません。
マッドサイエンティストだとて友人を生態実験したりしないと思います。しかしイヌ(やネコやサル)を実験動物としているのは普通の科学者なのです。そしてその実験結果の産物である化粧品やら医薬品やらを使用しているのは我々一般の人間です。動物実験をした物を使用しているのは動物実験に賛同しているのと同じことです。
知らなかったでは済まされません。インターネットで大抵の情報は入手できます。ある製品が動物実験しているかどうかを知ることは難しくても、動物実験していない製品を探すことは出来ます。動物実験についてお知りになりたければこちらをどうぞ。

現代には、この他にも軍用犬のように兵器として扱われているケースもあります。軍用犬が兵器というのは、なにも爆弾を摘んで突撃させられるというような単純な話ではありません。兵器というのは戦場で使い捨てにされるものということです。軍用犬の主な用途は偵察ですが、ヘルメットや防弾衣を装備した軍用犬など見たことがありません。もちろん装備があればいいという意味では当然ありません。

現代の多くのイヌ達は愛玩動物(ペット)として飼われています。しかしそれで彼らが幸福かどうかといえば、そうとは限りません。それは毎日のように殺処分されるイヌがいることだけで明らかです。
そして現代のこのイヌの種類の多さはどうしたことでしょう。
狩猟用、牧畜用、闘犬用、軍用、食糧用などなどさまざまな用途で品種改良(?)という改造をされたイヌ達。彼らも悲惨ですが私はそれ以上に可哀想に思うのは愛玩用として小さくヌイグルミのようにされた品種です。あの小型の犬種達はまさにヌイグルミ代わりとして作られたとしか思えません。考えようによっては動物実験よりも非道な話だとは思いませんか。

イヌという動物はもうすでに人間の側で生きることしか出来なくなった動物です。
彼らには帰る野生などないのです。
しかも彼らが持っている飼い主への愛情や忠誠心は、そのことと関係なく注がれています。本能と言ってしまえばそれまでですが、そうしたのも人間です。
この一番旧い友人のことをもっともっと真面目に考えてあげてください。

(辻 康則)

ナショナルジオグラフィック ニュースの詳細はこちら