【一般無料】江戸時代の森林保護(健康基礎講座)

危機的状況だった森林を守った江戸時代。
日本の今があるのは、先人が後世に残した恩恵があるから・・・
歴史から学ぼう。文明の後には○○が残る。
同じことを繰り返さないために私達は後世に何を残す?

江戸時代は、自然なサイクルの中で無駄を出さず循環型社会でした。
また、当時危機的な状況だった森林を守った大事業も成し遂げました。

その前にまず、森の自然なサイクルについて少し触れてみたいと思います。

森には多様な生物が生息しており、世代交代を繰り返しています。
草地が低木を育て、低木地帯が広葉樹林や針葉樹林へと変化を遂げていく。
日本の原生林は、人間が出現する前から長い年月にわたって広葉樹と針葉樹が共に生えていたと言われています。

クリ、カシ、ブナなどの広葉樹が生い茂る足元には太陽光が差込み、低木など多様な植物や生物が生きています。

広葉樹林は成育が早いため、燃料に役立てられました。
残った切り株は土壌の侵食を防ぎ、さらにその切り株から新しい芽が出て成長、伐採のサイクルを繰り返します。

しかし、安室桃山時代から江戸時代にかけて乱伐によって森林が減り、洪水が深刻になりました。
1710年までに本州、四国、九州、北海道南部では、当時の技術で伐採できる木の大半が消失したとされています。

生活に必要な木材が採れなくなる上に、災害にも見舞われる。当時の人にとって危機的状況でした。

この事態を受け、幕府と各藩は森林保護対策に乗り出しました。
伐採を禁止する区域を設けたり、植林を進め、数十もの区画に分けて1年に伐採するのは1区画と決めて、順番に伐採する区画を変えて森林を守りました。

秋田藩は全国でもいち早く「留山制度」を導入し、伐採を禁止する森林区域を設けました。

「国の宝は山也。然れ共伐り尽くす時は用に立たず。尽さざる以前に備えを立つるべし。山の衰えは則ち国の衰え也。」
これは江戸時代初期の秋田藩の家老渋江政光が残した森林を守る重要性を示した言葉で、
この考えが積極的な森林保護に影響したようです。

エジプト、殷、メソポタミアなど、紀元前に栄えた文明は、いずれも大きな川のほとりで農業などが発達して都市が出来ていきました。

これらの文明が栄える前には森林があったと言われています。しかし、文明の発達とともに農耕地や牧草地が拡大し、森林が減っていきました。
すると、何が起こるか。土が流れ出して水路をふさぎ、灌漑用水の塩分濃度が高くなって農業ができなくなり、病氣が流行する。
結局、人々はその都市に住み続けられなくなり、文明が滅びてしまう。

江戸時代の人は、その問題にいち早く氣づき、森林を蘇らせました。
森林を守り、後世に残したのです。

森林には大量の水を蓄える力を持っているので、太陽光が差し込めば、生物が生きていけますが、
砂漠に太陽が照りつければ、水も木も無いため太陽エネルギーを利用できず、干上がって死んでしまいます。

今は石油が主な燃料として使われている。工業化が進み、農業も石油なしには成り立たなくなっています。
古代文明ならとっくに消滅しているのに、地球を痛めつけながらどうにかもっている状況・・・

稲作には、途方もない手間をかけて作られました。
苗を慎重に管理しながら育て、田植え前には土をよく耕してあぜを固める。
田植えのあとは成長を見ながら水を管理して、雑草をとり、害虫対策をする。
さらに稲刈りの後も乾燥、脱穀など、稲作に八十八回の手間をかけたと言われるほどでした。

農家さんの苦労の賜物でした。
こうした伝統的な農業はエネルギー効率が非常に良かったのです。
人の手で行った農業のエネルギー源は、穀物や野菜など自然からの恵みだったため、無駄がありませんでした。

また、今では排泄物は汚いものとして扱われていますが、当時は肥料にしていました。
生活水準が上がるにつれ貴重になり、18世紀後半だけで、3~5倍も値上がりしたと言われています。

自然界の中で、微生物が最も自然の法則に沿っている存在です。
人間が作った社会の中で微生物の働きに最も近いのが江戸時代だと思います。

当時の人が森林を守ったように、現代に生きる私達も病氣の元となるものを止め、
後世に渡さない、少しでも恩恵となる資源を残すことが求められています。

山本 和佳


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