シリーズ酵素5~酵素発見への道のり(ニュース・市民の視点)

1752年、フランスの生理学者レオマーは、金属の管につめた肉が溶けることを見つけました。
しかしなぜ肉が溶けるのかは理解できませんでした。

1785年、イタリアのラザロ・スパランツァーニは穴の空いた金属の筒に肉片を入れたものを鷹に飲み込ませました。
しばらくしてからこの金属の筒を取り出したところ、中の肉は溶けていました。

しかし、やはりなぜ肉が溶けるのかはわからなかったので、何十年もの間さまざまな実験が続けられました。
そのうち肉を溶かす作用のある物質を見つけ、それをペプシンと名付けました。これがタンパク質分解酵素の最初の発見でした。

1833年フランスのペイアンとペルリは、麦芽をすりつぶした液をデンプンに作用させるとデンプンが分解されることを見いだしました。
このデンプン分解物質に対し、ジアスターゼという名前をつけました。

このジアスターゼと名付けられたものは、現在のアミラーゼです。
ジアスターゼという名前は、その後、特にフランスでは酵素全体を意味する言葉となりました。

1836年、ドイツのルーベン大学教授シュワンは、胃液についての実験から、胃液の中には肉を溶かす作用を持つ物質が存在していて、
その物質は熱で作用を失い、強い酸性状態でないと働くことができないと発表しました。

この胃液の肉を溶かす物質をペプシンと命名、これ以後もいろいろな酵素が次々と発見されました。
酵素はごく少量でも多量の物質に作用でき、反応は水の中で活性化し、中性付近のpHで摂氏37度くらいの温度だと反応が最も活性化することがわかりました
(ペプシンは例外で強い酸性で作用)。

「酵素」という名前で呼ばれるようになったのは19世紀後半からで、英語ではエンザイムといわれるようになりました。
エンザイムとは、ギリシャ語で「酵母の中にあるもの」という意味で、1872年にキューネが提唱しました。

この酵母とは、種々の糖類を発酵させてアルコールを作る微生物のことです。
この酵母の中にいろいろな酵素が存在するので、まさに「酵素の母」というわけです。

生きた酵母の代わりにすりつぶした酵母を使用しても、アルコール発酵が起きることを初めて見つけたのはブフナー兄弟でした。
しかし、酵素が何からできているかについてはまだわかりませんでした。

1926年、アメリカのサムナーはナタマメからウレアーゼという酵素を結晶として取り出すのに成功。

この結品は実はタンパク質でした。サムナーはタンパク質分解酵素ペプシンや膵液のタンパク質分解酵素トリプシン、キモトリプシンをタンパク質の結晶として取り出したのです。
酵素の本体はタンパク質ということが明らかとなり、サムナーとノースロップは一九四六年、ノーベル化学賞を受賞しました。
(なおタンパク質の分子はアミノ酸がたくさんつながってできた巨大分子で、分子量は一万から数百万、アミノ酸の数からいえば、100個くらいから数万個連結したもの)。

このタンパク質が酵素の本体となったわけですが、実はこれは本質ではなく酵素の骨格を述べたものにすぎませんでした。
そして、「酵素がタンパク質である」という間違いが酵素栄養学の進歩をかなり遅らせることになりました。

サムナーが「酵素がタンパク質である」とういい、ノーベル賞まで受賞したばかりに「タンパク質を摂れば酵素が摂れる」という大きな誤解が生まれました。
それが土台となり、後々六大栄養素にすら酵素が含まれないことになってしまったのです。

つづく

グスコー出版 スーパー酵素医療 より抜粋


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