【一般無料】祭りと日本人の心(健康基礎講座)

日本人にとって祭りは、生きることや考え方にまで影響を与えるほど重要なものでした。
今のクリスマスやハロウィンなんかとは全く違う!人々の祈りが込められていました。
日本人は、なぜ祭りをしたのでしょうか・・・

前回は、ハレとケの日について触れました。
ハレの日は祭りなど季節の行事、ケの日は日常のことを指します。

暦の節目に祭りを行い、自然と共に生きてきた日本人。
日本人にとって、祭りとは何だったのでしょうか・・・。

祭りとは、神をまつることであり、神の意のままに奉仕する姿勢を表します。
「まつり」は「間釣り合わせ」、神と人との間を釣り合わせるという意味です。

日本人古来の信仰には、教典がありませんでした。教義がなく、それを説く説教者もいませんでした。
祭りによって作法や心得が伝達され、心身に刻み込まれ、共通体験となり伝承されたので、祭りは生きていくために欠かせない重要なものでした。

森羅万象に魂が宿り、神霊の意思が働いていると考え、自然現象を神の意志の現れと捉えました。
雷は「神鳴り」として、神が怒っていると受け止め、火山の噴火を「御神火」といい、火の神の怒りを、
洪水は水の神の荒々しい様を感じ取っていました。

自然現象だけでなく、この世の現象は神の力の影響を受けていると考えられていました。

神意に背けば神の怒りをかい、災いがもたらされる。逆に神意に応えれえば、五穀豊穣、平和、繁栄など
様々な恵みが与えられる。だから昔の人々は神と調和していこうとしていました。

つまり、それは自然の摂理に従うということです。
人知を超えた大いなる力を持った神と波長を合わせ、一体化することを願い、そこに幸福や人の生きる道を見出していました。
農耕民族として常に自然と共に生きてきた先人は、自然界の法則に背くことの恐ろしさも身を持って感じていたのでしょう。

祭りは日本人にとって大変重要な存在でした。
政治も「政(まつり)」であり、神意にのっとって国や地域を治めることを意味していました。

古代の日本は、生き方、考え方、心のあり方、生活や家庭、地域社会、国のあり方まで神意に乗っていました。
それは後の世代の繁栄にまで及びます。

また、日本の年中行事は稲作と共にあったと言っても良いほど深く関わっています。

稲を稲霊と呼び、魂が宿っていると考えられていました。
魂は時が経つと衰えてしまうため、祭りによって神の力を更新して、自分の魂も新しくすることができるとされていました。

春には無事に稲が成長して豊作になることを願い、秋には実りを感謝する祭りが行われます。

毎年2月頃から春にかけて、各地で田植え祭が行われます。
稲作はもともと神様に教えてもらったと考えていたので、田の土起こし、苗代作り、田植えなどを予め神前で模擬的に表し、
神様にその年の豊作を約束していただきます。
物事を始める前に、自分達が願うことを言葉や動作で表すと、その通りに実現すると考えられていたのです。

「山の神が春に里へ下りて田の神となって稲作を見守り、秋になると田から山に上がって山の神に戻る」という
農耕民族独特の信仰がありました。春祭りは田の神をお迎えする日、秋祭りは田の神をお見送りする日でもあったのです。

祭りでは、普段食べられないような美味しい料理を食べたり、賑やかに楽しむことはもちろん、
神様や大自然などのような人間の力が及ばない存在を思い出させる意味もあったかもしれません。
集団で想いを一つにして、神様と交流をしていました。

それと比べて、今のクリスマスやハロウィンはどうでしょうか。
宣伝などに煽られて、購買意欲を掻き立てられ、ひたすら消費に走る。
ただ騒ぎながら、普段以上に肉を食べるので、より一層多くのどうぶつを殺す有り様・・・

大自然とつながるどころか、逆にどんどん離れてしまっています。
それが家庭、地域社会、国家の破綻に行き着くとも知らずに。

日本には四季があり、季節の移り変わりとともに自然が様々な姿を見せてくれます。
そこに寄り添う生き方が本来の形であり、私達に恵みや幸福がもたらされます。

幸せになりたいなら、自然の摂理に従いましょう。それ以外の方法は無いのですから。

山本 和佳


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