週刊ナショナルタイムズ

【日本の良いところ】

■「国旗制定記念日」

国ごとに意味や日付が異なりますが、国旗が正式に定められたことを記念する日を指します。

国旗制定記念日とは、国が公式な国旗を法令や布告で定めた日、またはそれに近い出来事を記念する日。

祝日になっている国もあれば、記念日扱い(祝日ではない)の国もあります。

国民統合・独立・国家主権の象徴として重視されることが多いです。

日本の国旗制定記念日について。

日付

1月27日とされることが一般的

※日本の「祝日」ではなく、あくまで記念日です。

由来

1870年(明治3年)1月27日、明治政府が太政官布告により白地に赤い円の旗(=日章旗)を

主に商船の国籍識別旗として定めました。

これが、日本で初めて国旗のデザインと使用が公的に定められた日とされています。

その後の経緯(重要)

長い間、日章旗は「事実上の国旗」として使われていましたが、1999年(平成11年)8月13日

「国旗及び国歌に関する法律」が施行され、

日章旗=国旗

君が代=国歌

と法律上も明確に規定されました。

なぜ祝日ではないのか?

国旗・国歌をめぐる歴史的・社会的議論が多く、政府としては祝日化を避け、法律で定義するにとどめたという背景があります。

日本では学校や官公庁で国旗を掲揚する日は決まっていますが、1月27日に特別な全国行事が行われることは少ないです。

一方、アメリカやカナダなどでは「Flag Day」として比較的知られています。

そもそもは…

① 日章(太陽)信仰という古代的背景。

日本の国旗の根本には、太陽信仰があります。

日本神話では、天照大神(あまてらすおおみかみ)=太陽の神。

天皇は天照大神の子孫とされ、→ 国家と太陽が強く結びついた。

このため、「日出づる国(日本)」太陽を象徴する赤い円という発想は、古代から文化的に自然なものでした。

② 中世〜近世:戦場の旗としての「日の丸」。

平安末期〜戦国時代にかけて、日の丸はすでに登場します。

武士が戦場で掲げる旗印(馬印・軍旗)として使用。

源氏・平氏、のちには戦国大名も使用例あり。

特定の国家旗ではなく、縁起の良い印・守護的象徴。

この段階では「国を代表する旗」ではなく、「日本的象徴」でした。

③ 江戸時代後期:対外意識の高まり

18〜19世紀になると状況が変わります。

欧米列強の来航(ロシア・イギリス・アメリカ)

海外では

「船=どの国に属するか」を旗で示すのが国際ルール。

しかし日本には正式な国旗が存在しなかった?

このことが、幕府・のちの明治政府にとって問題になります。

④ 明治維新と近代国家化(1870年)

明治政府は、欧米型の近代国家として国際社会に参加するため、法制度・軍隊・外交儀礼を急速に整備。

その一環として、

1870年(明治3年)

太政官布告により、

日の丸を商船の国籍識別旗として制定。

デザインも

白地、赤い円の位置と大きさが明確に定められました。

それが、「国旗制定記念日(1月27日)」の根拠です。

⑤ 「国旗なのに法律がない」状態。

ここが日本史の少し特殊な点です。

日章旗は、軍旗、官公庁、国際行事で使われ続けた。

しかし「これが国旗である」と明記した法律は存在しなかった。

理由としては、天皇制と国家象徴を「慣習」として扱う政治文化、明文化すると、

国家主義色が強まることへの慎重姿勢(このような意見はアメリか参与していると思われる)。

⑥ 戦後:象徴としての意味が揺らぐ。

第二次世界大戦後、日章旗は、軍国主義・戦争の象徴として否定的に見られることも増加。

教育現場・公的行事での扱いをめぐり、激しい議論が続く。

その結果、

長く「使われているが、法的根拠が曖昧」な状態が続きました。

⑦ 1999年:ついに法律で明文化。

国旗及び国歌に関する法律成立。

日章旗=国旗

君が代=国歌

これにより、歴史的慣習、戦後民主主義、国際標準を折衷する形で、法的整理が行われたと言えます。

大きな流れでいえば、日の丸は古代の信仰 → 武士文化 → 近代国家形成という長い連続性を持ちます。連続性という言葉が重要なポイントです。

1870年は、「国際社会に対応するために初めて公式化された年」

法律制定が1999年まで遅れた点は、日本の国家観の曖昧さと慎重さを象徴している。

(外国の圧力などが大きく影響)

そして「なぜ日の丸は、時代が激変してもデザインが変わらなかったのか」は、日本の国家観そのものに関わるテーマです。

理由を重層的に説明すると…

① あまりに古い象徴だったから。

日の丸は「近代国家が作ったロゴ」ではありません。

太陽信仰(天照大神)「日出づる国」という対外的イメージ、武士の旗印としての長い使用歴。

つまり、特定の政権や時代に属さない象徴だった。

フランスやロシアのように「革命=国旗変更」という必然が、日本には起きにくかったのです。

② 天皇制の「連続性」を可視化する装置。

日本の近代化は、王朝交代ではなく天皇を中心に据えたまま制度だけを刷新。

日の丸は、天皇(=太陽の神の系譜)国家の永続性を視覚的に示す、最小限かつ最強の記号でした。

※デザインを変えることは「国家の連続性を断ち切る」意味を持ちかねなかった。

③ シンプルすぎて「変えようがなかった」

デザイン的な理由も大きいです。

色:白と赤(日本文化の基本色)

形:円(完全性・調和・太陽)

構図:中央配置(安定と秩序)

これ以上足すと「説明的」、変えると「別物」になってしまう。

近代デザイン理論の観点から見ても、完成度が異様に高い。

④ 国際社会で早期に定着してしまった。

19世紀後半、日本は、

条約

港湾

戦争

国際会議で、すでに日の丸を「日本の印」として使っていた。

国旗変更は、外交上の混乱、海軍・商船での実務的問題を引き起こす。

なので「変えるメリットがほぼなかった」。

⑤ 戦後も「否定できなかった」理由

戦後、日本は軍国主義は否定、しかし「日本という国そのもの」は否定しなかった。

日の丸は、政治体制の象徴ではなく、文化的・地理的象徴(太陽)だったため、ナチスの鉤十字のように「排除すべき記号」とまでは見なされなかった。

だから封印はされても、改変はされなかった。

⑥ 日本人の「慣習優先」文化

日本では、明文化より慣習、断絶より継続を重んじる傾向が強い(だからリズム正しい習慣を!と筆者はいう)

国旗についても、変えない理由を説明する必要がなかった。

「ずっとこれだから、これ」という扱いが可能だった。

⑥ もし変えるとしたら、いつだった?

歴史的に見て、可能性があったのは…

明治維新直後、敗戦直後(1945年)

しかし、

明治:連続性を演出したかった。

戦後:国の象徴を再定義する合意が形成できなかった。

結果、変えない選択が最も現実的だった。

結論(核心)

日の丸が変わらなかった最大の理由は…

それが「国家を超えた、日本そのものの象徴」だったから。

政治が変わっても、制度が変わっても、「太陽」という意味は揺らがなかった。

国旗制定記念日から始まった話でしたが、日本人であるなら国旗はことある毎に掲げましょう!

日本に住んで幸せな人は、親以前に日本国に感謝をし、日本国に感謝をするなら、感謝の意を形で現わす「国旗掲揚」をしっかりとしましょう。

それは日本に対する尊重の行為です。

 


 

■どんど焼き

 

どんど焼きは、日本の正月行事の締めくくりとして行われてきた伝統行事です。

地域によって呼び名は異なりますが、正月に迎えた年神様を、火の神の力によって天へお送りするという意味は共通しています。

正月に飾られる門松やしめ縄や鏡餅は、単なる飾りではなく、年神様が宿る依り代と考えられてきました。

そのため、正月が終わったあとにそれらをそのまま捨てることは、本来ふさわしくない行為でした。

どんど焼きは、役目を終えた正月飾りに感謝し、きちんと区切りをつけるための行事として生まれました。

火が使われるのは、火に穢れを清め、形あるものを形のないものへと変える力があると信じられてきたからです。

飾りを燃やすことで、そこに宿っていた年神様の氣は煙となり、空へ昇っていくと考えられていました。

壊すのではなく、循環させるという感覚は、日本人の精神性をよく表しています。

どんど焼きは多くの地域で一月中旬、小正月の頃に行われます。

小正月は、正月行事の締めであり、同時に日常生活へ戻るための節目です。

どんど焼きは、非日常から日常へと心を切り替えるための、静かな儀式だったのです。

豆知識として知られているのが、どんど焼きの火で焼いた団子や餅を食べると、一年無病息災で過ごせるという言い伝えです。

寒さの厳しい時期に火にあたり、温かいものを口にすることは、体調を整えるという点でも理にかなっています。

信仰と暮らしの知恵が自然に結びついていたことがわかります。

 

また、書き初めを燃やし、その灰が高く舞うと字が上手くなるという話も各地に残っています。

努力の結果を天に預け、あとは日々を丁寧に積み重ねるという、日本人らしい考え方が感じられる習わしです。

近年は防災の観点から、どんど焼きが行われない地域も増えていますが、それでもこの行事が完全に消えないのは、終わりを丁寧に扱う日本人の感覚が今も生きているからでしょう。

どんど焼きは華やかな祭りではありません。ただ火が燃え、煙が空へ昇っていくだけの、静かな行事です。

しかしその中には、感謝と区切りを大切にする日本文化の本質があります。

正月が終わったこの時期に、どんど焼きの意味を思い出すことは、心を整え、新しい一年を穏やかに歩むためにもなります。

昔から日本人が行うことには、すべからく色んな意味があるのですね。

 


 

■ 日本の正月

みなさん、鏡開きは行いましたか?

一年を占う日本の大切な行事なので絶対に行ってください。

鏡開きは、お正月に飾っていた鏡餅を「年神様」が宿ったものとして、1月11日頃に木槌などで叩いて砕き(割らずに)、お雑煮やお汁粉にして食べることで、1
年の無病息災を願う日本の年中行事です。

お供え物に刃物を向けるのは縁起が悪いとされ、「割る」も忌み言葉なので「開く」という表現が使われ、末広がりで縁起が良いとされます。

意味と由来を簡単に…

年神様の「依り代(よりしろ)」:

鏡餅は、新年の神様である年神様が家に来て滞在する場所(依り代)と考えられています。

神様の力をいただく: 鏡開きで餅を食べることで、年神様からその年の幸運や力を授かり、1年を健康に過ごせるように祈願します。

武家社会から広まる: 昔の武家では、甲冑の前にお餅を供え、木槌で割る「具足祝い(ぐそくいわい)」が起源で、これが一般に広まりました。

パワーがありますよ!

◆そして小正月…

小正月は、1月15日(現在は1月14日夜〜15日に行う地域も多い)を中心とした行事で、お正月の締めくくりにあたります。

1月1日を中心とする「大正月(おおしょうがつ)」に対して、

農耕や庶民の生活により密着した行事が多いのが特徴です。

∴由来と意味を少し…

もともとは旧暦の1月15日¨満月の日であり、豊作祈願や一年の無病息災を願う意味がありました。

特に農村行事として発展し、「その年の作柄を占う」意味合いが強いです

∴主な行事・風習

地域によって違いがありますが、代表的なものは次の通りです。

① どんど焼き(左義長)

正月飾りや書き初めを燃やす火祭り、

煙に乗って年神様を見送る意味、

書き初めを燃やすと字が上手くなる、などの言い伝えも

② 小豆粥(あずきがゆ)を食べる。

赤い小豆には厄除けの力があるとされる。一年の健康を願って食べる習慣

③ 餅花(もちばな)

枝に餅や団子を飾り、豊作を祈る、

東北や中部地方でよく見られる風習。

④ 成木責め・鳥追い

木を叩いて実りを促す、害鳥を追い払うなどの農耕儀礼。

大正月との違い。

大正月→1月1日中心。小正月→1月15日中心。

年神様を迎える→年神様を送る。

家庭・公式行事→農耕・地域行事。

☀︎現在の小正月

現代では祝日ではありませんが、地域の伝統行事、神社の火祭り、家庭で小豆粥を食べる、

などの形で今も受け継がれています。

◆小正月の行事食とそのレシピ、そして地域ごとの違い…

① 小正月の主な行事食

■ 小豆粥(あずきがゆ)

小正月でもっとも代表的な行事食です。

意味は、小豆の赤色=魔除け・厄除け、一年の無病息災・家内安全を願う。

基本レシピ(4人分)

材料

米:½合

小豆:30g

水:約800ml

塩:少々

作り方

小豆を洗い、たっぷりの水で柔らかくなるまで茹でる、

米を洗い、鍋に水・米・小豆(茹で汁ごと)を入れる、

弱火で30〜40分ほど煮る、

最後に塩で軽く味を調える、

※ 地域によっては甘くせず、塩味が基本です。

■ 団子・餅料理

農作物(特に稲)の実りを願う意味があります。

団子汁

焼き餅

餅花用の色付き団子。

② 地域ごとの行事食の違い

● 東北地方

特徴:農耕色が非常に強い、

餅花(もちばな)、

ミズキやヤナギの枝に紅白や五色の餅を飾る、

豊作祈願・家内繁盛、

小豆粥+団子、

山形・秋田では「だんごさし」とも呼ばれる。

● 関東地方

特徴:どんど焼きと結びつく

小豆粥、

どんど焼きの火で焼いた団子や餅、

神社で配られる「繭玉団子」、

● 中部地方(長野・新潟など)

特徴:雪国ならではの行事。

繭玉(まゆだま)団子、

小正月に農作業の吉凶を占う、

小豆粥に野菜や雑穀を入れることも。

● 近畿地方

特徴:比較的簡素

小豆粥が中心。

家庭行事として静かに行う地域が多い

、京都では寺社で小豆粥の振る舞いあり。

● 九州地方

特徴:地域差が大きい。

小豆粥を食べる地域、

団子汁(だご汁)。

※小正月自体を行わない地域もある

③ 行事食を楽しむためのポイント

味付けは薄味(神様への供え物の意味)。

家族で「今年も元氣で過ごせますように」と声に出す。

子どもには「赤い色は魔除け」と伝えると理解しやすいです。

では、日本の行事を大切にしましょう。

 


 

■ 七草がゆは食べるおまじない

お正月が明けた七日、食卓に並ぶ「七草がゆ」。

毎年なんとなく作っている、あるいは名前だけ知っているという人も多いかもしれません。

しかし七草がゆは、単なる行事食ではなく、日本人の暮らし方や体の扱い方が凝縮された食文化です。

七草がゆは、正月七日に春の七草を入れて食べる風習で、「無病息災」を願う意味があります。

よく「食べすぎた胃腸を休めるため」と説明されますが、それは結果であって本質ではありません。

もともとは「若菜摘み」という風習が起源で、新年に芽吹いた若い草の生命力を体に取り入れる、再生の儀式のような意味合いを持っていました。

ここには、自然とともに生きてきた日本人ならではの感覚があります。

季節の変化を体で感じ、食を通じて自分を整える。

七草がゆは、冬の終わりと春の始まりをつなぐ、静かな節目なのです。

「七」という数字にも注目したいところです。

七は古来より縁起の良い数字とされ、調和や完成を象徴してきました。

七草がゆは、栄養的なバランスというよりも、心身を整える象徴的な食事でした。

これは温故知新、古い知恵を現代の暮らしに活かす好例です。

現代は年明け早々から全力で動くことが当たり前になっています。

しかし本来、日本の文化は段階を大切にします。

七草がゆは「力をつける料理」ではなく、「力を抜く料理」です。

これは慎始敬終と言って、始まりを慎み、終わりを丁寧に扱うという思想にも通じます。

最近では、胃腸を休めることが自律神経の安定や体調管理に有効だとも言われています。

昔の人は理論を知らずとも、経験から体の声を聞く術を身につけていました。

七草がゆは、現代で言うセルフマネジメントやリセット習慣としても、十分に理にかなっています。

また、七草がゆは主役にならない料理です。

派手さも、ごちそう感もありません。

しかしそこにこそ、日本人の美意識があります。

一年の始まりに、あえて立ち止まり、整える。

七草がゆは、日本人が長い年月をかけて磨いてきた、暮らしの知恵そのものです。

忙しい現代だからこそ、この静かな習慣が、心と体を次の季節へと自然につないでくれるのかもしれません。

今週七日は七草がゆを美味しくいただきましょう。

 


 

■ 正月の歴史と意味

1. 正月とは何か

正月とは単なる「年の始まり」ではなく、年神(としがみ)を迎え、その年の生命力・運・五穀豊穣を授かるための宗教行事です。

年神とは祖先の霊と結びついた神。

田の神・山の神と同一視されることもある。

新年に山から里へ降りてくる存在と考えられていた。

つまり正月は…

神を迎えるための“ハレ(非日常)”の期間という意味を持っています。

2. 正月と稲作文化の関係

日本の正月文化は、稲作中心の農耕社会から生まれました。

稲は「命そのもの」。

稲が育つ → 人が生きる。年神は稲の霊(稲魂)を司る存在。

そのため正月は、去年の収穫に感謝、新しい一年の豊作を祈る、という農耕儀礼が起源です。

3. 暦と正月の変遷

①古代:旧暦の正月

太陰太陽暦(旧暦)を使用。

正月は現在の1月下旬〜2月中旬、春の訪れを祝う意味が強かった。「正月=春の始まり」

② 明治時代:新暦への変更

1873年(明治6年)に太陽暦を採用。正月が1月1日に固定。

季節感と正月行事の意味がややずれる。

現在も「旧正月」を祝う地域があるのはこの名残です。

4. 正月行事の意味(一つずつ詳しく)

門松=神が降りてくるための依り代(よりしろ)

松:常緑=生命力

竹:成長・繁栄

しめ縄=

神聖な空間と俗世を分ける結界。不浄や災いを防ぐ。

鏡餅=

年神が宿る場所

丸い形=魂・太陽

鏡開きで食べることで神の力を分けてもらう。

おせち料理=

正月に火を使わないための保存食

一品ごとに意味がある

黒豆:健康・勤勉

数の子:子孫繁栄

昆布巻き:「よろこぶ」

5. 正月の期間の考え方

松の内=

年神が家に滞在する期間。地域差あり。

関東:1月7日まで

関西:1月15日まで

小正月(1月15日)

農作業の予祝(前祝い)

どんど焼きで正月飾りを清める

6. 初詣の成立

もとは「年籠り(としごもり)」という習慣。

家長が神社にこもって新年を迎えた。

江戸時代以降、参拝が一般化。

明治以降、「初詣」という形に定着。

7. 正月と社会的意味

正月は、時間の区切り、人間関係の再確認。家族・祖先とのつながりを意識する行事。

年賀状・挨拶・お年玉も、人と人の縁を新しく結び直す儀礼という意味があります。

8. 正月とは…

「神・自然・祖先・人間がつながる、日本独自の総合的な年中行事」です。

宗教行事

農耕儀礼

家族行事

社会的習慣

これらが一体となっています。

一人ひとりのニッポン人が 正月を正しく過ごすこと、それが国の繁栄に繋がります。

真の平和とは、祖国を愛する事であり、他国に行く(長期滞在または永住)事ではありません。

年の始まりから日本を大切にする習慣を疎かにしないように…

一年の計は元旦にあり


■冬至を過ごす意味

十二月も後半に入ると、日差しの低さを実感するようになります。

洗濯物が乾きにくくなり、夕方になるとあっという間に暗くなる。

そんな変化を体で感じる頃にやってくるのが冬至です。

冬至は、一年でいちばん昼が短く、夜が長い日として知られていますが、日本の暮らしの中では、もう少し奥行きのある意味を持ってきました。

冬至は、太陽の力がいちばん弱まる日です。

専門的には、太陽の南中高度が最も低くなる日で、地球の傾きによって起こります。

この日を境に、昼の時間は少しずつ長くなっていきます。

目に見えて明るくなるわけではありませんが、自然のリズムとしては「陰が極まり、陽に転じる」節目です。

昔の人は、この目に見えない変化をとても大切にしていました。

だからこそ、日本では冬至を「一陽来復」の日と呼び、運気が上向く節目と考えてきました。

年の終わりに向かって、氣持ちが沈みやすい時期に、これから陽に転じるよという安心感を与えてくれる日でもあります。

冬至にかぼちゃを食べる習慣にも、きちんと理由があります。

かぼちゃは、ビタミンAやEが豊富で、体の粘膜や血行を守る働きがあります。

これは、現代の栄養学的にも、寒い時期に理にかなった食材です。

昔は保存がきく貴重な野菜でもあり、冬を元気に越すための知恵が詰まっていました。

また、冬至に「ん」のつく食べ物を食べると縁起がいい、という言い伝えもあります。

にんじん、れんこん、だいこんなど、どれも冬の台所に欠かせない食材です。

無理に特別な料理を作らなくても、いつもの献立の中に取り入れるだけで、季節の行事になります。

ゆず湯についても、単なる風習ではありません。

ゆずの皮に含まれる精油成分には、血行促進やリラックス効果があることが分かっています。

香りが脳に届くことで、自律神経が整いやすくなり、冷えやすい体を内側から温めてくれます。

年末に向かって疲れが溜まりやすいこの時期に、理にかなった養生法です。

年の瀬は、どうしても人のために動く時間が多くなります。

家族の体調を気にし、予定を回し、氣づけば自分のことは後回しです。

冬至は、そんな日常の中で、少しの安堵と休息を与えてくれる日でもあります。

自然そのものが、最も静かに力を蓄える日、それが冬至です。

冬至を過ぎても、寒さはしばらく続きます。

それでも、光は確実に戻り始めています。

その変化は目に見えなくても、季節はきちんと巡っています。

日々の暮らしも同じで、頑張りがすぐに形にならなくても、積み重ねは確かに力になっています。

冬至の日は、豪華なことをしなくてもかまいません。

温かいものを食べ、ゆっくり湯船につかり、少し早めに休む。

それだけで、体も心も整います。

今年は12月22日、明日が冬至です。

明日はその静かな意味を肌で感じながら、穏やかに過ごしたいものですね。

 


 

■薄れ行く日本の古き良き風習

日本には、世界一長い歴史と文化の中で育まれた独自の「良き風習」がたくさんあります。

1. 挨拶を大切にする文化

「おはよう」「こんにちは」「よろしくお願いします」など、場面に応じた挨拶が重視されます。

礼儀をもって相手に敬意を示す、日本らしい習慣です。

2. 靴を脱いで家に上がる

家を清潔に保つための習慣。

家と外の境界を大切にする独特の文化ともいえます。

3. お歳暮・お中元の贈り物

日頃の感謝を、季節の節目に贈り物として伝える風習。

人間関係を円滑にし、感謝の氣持ちを形にした美しい習慣です。

4. 年中行事を楽しむ

・お正月の初詣

・節分の豆まき

・お花見

・七夕

・お盆

・大掃除

など、四季折々の行事に自然や祖先への感謝が込められています。

5. “おもてなし”の精神

相手が何を求めているかを先回りして考える思いやりの文化。

世界からも高く評価されています。

6. いただきます・ごちそうさま

食事の前後に料理や作ってくれた人、食材への感謝を言葉にします。

「命をいただく」という考え方も含まれています。

7. 町内会・近所付き合い

祭りや清掃など地域で助け合う習慣が今も残っています。

助け合いの精神の源でもあります。

8. 四季を味わう生活

季節ごとの食べ物、行事、風景を楽しむ文化。

自然とともに生きる感性が育まれています。

日本の良き風習には、感謝・礼儀・思いやり・季節や自然との共生といった共通点があり、どれも日常生活の中に深く根付いており、日本文化の魅力となっています。

◎もう少し広く見て行くと…

① 昔の暮らしの “食”

■ 主役はご飯・味噌汁・漬物の質素な献立

昔の食卓は「一汁一菜」が基本で、体に負担の少ない食事でした(ガンや動脈硬化などほぼ無かった)

•白米よりも玄米・雑穀が主流

•旬の野菜・山菜を中心にした食事

•肉はなく、普段は魚・豆腐がたんぱく源

■ 保存技術の知恵がすごい

冷蔵庫のない時代には、工夫が命。

•干物(魚、野菜)

•味噌漬け、ぬか漬け

•乾物(切り干し大根、高野豆腐、干し椎茸)

•塩や酢による保存

どれも「自然の力を利用した保存技術」です。

■ 家庭で作る食文化

昔は買うのではなく「作る」が当たり前。

•味噌、醤油を仕込む

•梅干し、梅酒を漬ける

•麹作り

•正月の餅つき

→ 家族や地域が協力して食をつくる文化が根付いていました。

■ かまど料理の魅力

薪の火は火力の調整が難しいけれど、慣れると最高の味が出ます。

•かまど炊きのご飯は甘みと香りが強い

•煮物はじっくり熱が入り味が染みる

「手間を惜しまない料理」が昔の食の象徴と言えます。

② 昔の暮らしの “家(住まい)”

■ 自然素材でできた家

昔の家は木・土・藁でできていて、

夏は涼しく冬は寒い…その代わり“呼吸する家”でした。

•木造

•土壁

•茅葺き屋根

•いぐさの畳

自然と共生する建築が基本です。

■ 家の中心は囲炉裏(いろり)

•調理

•暖房

•煙で虫除け・木材の防腐

•家族の団らんの場

囲炉裏は単なる設備ではなく「家族を温める文化」でした。

■ 障子と襖で空間を変える生活

部屋の役割は固定されておらず、

用途に応じて襖を開閉して空間を作り変えました。

•今でいう「フレキシブルな間取り」

•家族の氣配がいつも感じられる家。

障子の張り替えを家族で行う。年末の大掃除の一環で、破れた障子を貼り替えて新年を迎える。

■ 共同作業で建てる家(結・ユイ)

家を建てる時は村中総出で手伝うことも。

労働を共有し、つながりが強まる大事な行事でした。

■ 明かりは行灯・灯明

行灯(あんどん)や油灯(あぶらどん)で灯す生活。

電氣以前は、和紙の淡い灯りで夜を過ごしていた。

和紙越しの柔らかい明かりは、

夜の時間を穏やかにする役目も果たしていました。

③ 昔の暮らしの “子育て”

■ 子どもは“みんなで育てる”文化

昔は、家庭だけでなく地域全体で子どもを見守りました。

•近所のおじさん・おばさんが普通に叱る

•年長の子が年少の子を見てあげる

•子ども同士で遊びながら社会性を学ぶ

いわば「自然な共同保育」です。

■ 子守の風習

農村では、小学生くらいでも子守りを担いました。

•背中に赤ちゃんをおんぶして農作業を手伝う

•兄弟姉妹の面倒をみる

責任感や忍耐を自然と身につける経験でもありました。

■ 寺子屋・読み書きそろばん

江戸期〜明治初期にかけて、庶民でも教育が受けられた場。

•親方が教える個人塾のようなスタイル

•礼儀や作法もしっかり学ぶ

■ 遊びはすべて“外遊び”が基本

テレビもゲームもない時代、自然が遊び場でした。

•川遊び

•竹馬、ベーゴマ

•缶けり、鬼ごっこ

•木登り

体力・想像力を全身で育てる“生きた遊び”。

■ 家族の中での役割を持つ

昔の子どもは早くから家の仕事を手伝いました。

•薪拾い

•水汲み

•鶏の世話(卵)

•火の番

こうした日常の役割が「自立心」を育てていました。

◆昔の暮らしの本質は…

食 → 自然の恵みを受け取り、手間と共同作業で育む食文化

家 → 自然素材でつくり、家族の氣配が近い生活

子育て → 地域全体で支え合い、“役割” を通じて成長する文化

昔の暮らしには、

「手間」「協力」「自然との調和」「つながり」という、人を豊かにするエッセンスがたくさんありました。

◆その他にも…

● 五右衛門風呂

鉄釜に直接火を焚いて入る昔ながらのお風呂。

● 御用聞き

商店の人が「今日は何か必要なものありますか」と家庭を回って注文を取る。

● お年玉をぽち袋ではなく“つと”に入れる

昔は藁で編んだ「つと」に入れて渡していた地方も。

● 夜に爪を切らない

「夜爪は親の死に目に会えない」という迷信からの習慣。

● 回覧板が回る文化

最近はLINEグループやメール配信へ移行。

● 冠婚葬祭の装い・作法が厳格だった(良いのか悪いのか)

結婚式の引き出物3点セット、葬式の黒ネクタイの絶対ルールなどは薄れつつある。

● 蚊帳(かや)を吊って寝る

虫よけとして夏には必需品。

子どもたちは蚊帳の中で遊んだり昼寝したりも。

● 普段着も和服が基本

木綿の着物(作務衣、野良着など)が日常着だった。

● 下駄・草履が日常の履物

コンクリートの少ない時代には歩きやすかった。

● 布を大切にする“ほどき”文化

着物をほどいて布として再利用(夜具、子ども服、雑巾などに)。

● 節分の豆まきは家長が行う

鬼を追い払う神聖な役目だった。

● お盆の迎え火・送り火

祖先の霊を迎え送りするため家の前で火を焚く。

● 七夕の竹を川に流す“七夕流し”

現在は環境保護の観点からほとんど行われなくなった。

● 年末の門松・しめ縄作りを自家製で

買うものではなく、家で作るのが一般的だった。

● 井戸が生活の中心

水汲みは毎日の仕事。井戸端は情報交換の場にも。

こうして改めて昔の風習を並べると…

自然と共に暮らし、物を大切にし、人とのつながりを最も重んじる生活だったことが分かります。

昔の生活には、現代の便利さにはない「手間と温かみ」があり、その背景にある知恵や価値観を知ると、日本文化の奥深さがよく分かります。


 

■12月は日本を好きになる月

さあ、いよいよ師走、一年の終わりに入りました。

空氣が最も澄み、街の光がきれいに見える季節ですね。

日本の12月は、行事がぎゅっと詰まった“宝箱”のような月です。

まず、12月13日の煤払い。

大掃除の原点ともいわれ、江戸時代から続くお清めの文化です。

「新しい年の神さまを迎えるため、家を整える」

そんな考え方に、日本らしい丁寧さと美しさを感じます。

わたしは普段から365日毎朝掃除をしている為、特段年末大掃除たるものはしませんが、12月は普段見落としがちな場所を見つけながらさらに丁寧に行うようにしています。

12月22日の冬至にはゆず湯。

これもただの風習ではありません。

ゆずの香り成分には

血流を良くして免疫力を高める効果があります。

寒さを“敵”にせず、味方にする。

植物の力を借りて冬を受け入れる。

自然と共に生きてきた日本人の智慧が、今もちゃんと息づいています。

個人的に大好きなのは【年の瀬の空氣感】。

スーパーに並ぶしめ縄と鏡餅。

おせち料理のCM。

玄関先の門松。

日本の年末独特の“静かな緊張感”は、

古くから続く時間のリズムを、わたしたちの胸に思い出させます。

そして、12月31日の大晦日。

今年の健康に感謝をし、来年の健康を祈りながら食べる年越しそば。

108の除夜の鐘の音が、過ぎた日々の雑念を一つずつ落としていく。

ただ新年を迎えるだけではなく、

「一年をねぎらい、心を調える」こと。

それが日本の年越しなのだと思います。

深夜まで騒いで【カウントダウン!&ハッピーニューイヤー!】ではなく

初日の出と共に早起きし、慎ましく新年を迎える。

これぞ日本の年明け。

こうして振り返ると12月の日本は

祈り、浄め、感謝で迎えるというサイクルでできています。

師走は忙しいはずなのに、どこかしみじみ温かい。

慌ただしさの奥に、凛とした静けさがある。

日常と神聖さがふっと重なる瞬間が、12月にはいくつもあります。

12月は日本に生まれた喜びを

そっと教えてくれる季節なのかもしれません。

 


 

■ 大雪(たいせつ)

 

二十四節氣の「大雪」とは、冬が本格的に始まる節目です。

毎年 12月7日ごろに巡ってきます。

◆大雪とは?(基本)

* 雪が激しく降り始める頃を意味する節氣

* 暦の上では 本格的な冬の到来

* 日本海側では雪が深く積もり、山の動物は冬眠へ、農家は冬の備えを済ませる時期

◆大雪の自然の変化

* 寒さがぐっと増し、朝の霜が常態化

* 日本海側では 季節風で雪雲が流れ込みやすくなる

* 都市部でも冬将軍の氣配を感じるようになる

* 田畑は凍り始め、冬野菜が甘みを増す

◆大雪の時期の三つの七十二候

大雪はさらに3つの細かい季節(七十二候)に分けられています。

七十二候とは、1年を約5日ごとに3つに分け、合計72に細分化した季節の移り変わりを表す暦です。

二十四節氣をさらに細かくしたもので、

初候(はつこう)・次候(じこう)・末候(まっこう)と呼び、氣象の変化や動植物の様子を短い言葉で表現します。

◎ 初候:閉塞成冬(そら ふさぎて ふゆとなる)

空が一面に曇り、冬らしい閉ざされた天氣になる頃。

◎ 次候:熊蟄穴(くま あなに こもる)

熊が冬眠に入り、自然界が静けさを増す時期。

◎ 末候:鱖魚群(さけのうお むらがる)

鮭が産卵のために群れをなして川を昇る頃。

自然の生命力を感じる季節でもある。

◆大雪に込められた意味

「大雪」は “陰の氣が極まっていく” 時期ともいわれます。

* 日が最も短くなる冬至へ向かう流れの中盤

* 寒さが厳しくなり、自然界が静寂へ向かう

* 人間も “静の季節” に調子を合わせる時期

◆ 大雪の暮らしの知恵(現代版)

* 加湿して風邪予防

* 雪国は本格的な除雪準備

* 冬野菜・海産物が旬(大根、白菜、鮭、カニなど)

* 足元の冷え対策をしっかりする

● そもそも冬はどのように深まっていくのか…

― 立冬・小雪・大雪・冬至の四つの節氣で読む、日本の冬 ―

二十四節氣の冬は、いきなり深い雪から始まるわけではありません。

季節は、静かに、少しずつ、確実に“冬の氣”を増やしながら進んでいきます。

「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」という四つの節氣は、その移り変わりを丁寧に描いた、いわば“冬の物語の章立て”のようなものです。

①立冬(りっとう) ― 冬の氣配が立ち上がる。時期:11月7日ごろ。

秋の名残が少しずつ引き、朝晩の空氣に “針のような冷たさ” が混じり始める。

木々は葉を落とし、動物は冬支度を始める頃。

この日を境に、暦の上では冬が始まる。

* 空が高く澄む

* 霜が降り始める地域も

* 冬野菜が甘みを蓄え始める

立冬は、「冬の入り口」を静かに告げる合図。

②小雪(しょうせつ) ― ちらつく雪と、冬の序章。時期:11月22日ごろ。

「小雪」は“少し雪が降り始める頃”という意味。

まだ本格的ではないが、冷え込みが際立ち、山の上や寒い地方では初雪がちらつく。

* 北風が強まり、乾燥が増す

* 虫たちは土に潜り、自然が冬眠モードへ

* 街の木々も葉を落とし、景色が冬の色合いを帯びる

ここから“冬らしさ”が目に見えて増えていく。

③大雪(たいせつ) ― 冬の本番、雪の季節が訪れる。時期:12月7日ごろ。

いよいよ冬の核心に入る節氣。

名前の通り、雪が本格的に降り、北国では積雪が当たり前になる。

* 冬将軍の訪れ

* 熊が穴にこもり冬眠へ

* 鮭が群れをなして川を昇る

人々も防寒具を整え、街は“冬そのものの景色”になる。

大雪は「冬が支配する季節」の始まりを象徴する。

④冬至(とうじ) ― 闇が最も深く、光が生まれ直す日。時期:12月21日ごろ。

昼が最も短く、夜が最も長い日。

古代では「太陽の力が最も弱まる日」と恐れられ、

同時に「ここから太陽が再び力を取り戻す日」として、祈りや祭りの対象にもなった。

* ゆず湯、かぼちゃを食べて無病息災を願う

* 冬の静けさが極まり、年の瀬へ

* 太陽の復活を感じる節目

冬至は“陰から陽へ転じる日”であり、日本の冬のターニングポイント。

◉ 冬の四節氣が描くストーリー(まとめ)

節氣 季節の段階 自然の変化

立冬 冬の入り口 冷氣が立ち、霜の兆し

小雪 冬の序章 雪がちらつき、乾燥と寒風が強まる

大雪 冬の本番 強い寒さと積雪、動物たちは冬眠

冬至 陰の極み 昼最短・夜最長、太陽が復活へ転じる

●最後に「食べ物」で終わります。

大雪の頃は、根菜類(大根、れんこん、にんじん)、鍋物野菜(白菜、春菊、水菜、ネギ)、

**魚介類(牡蠣、ほたて、カニ)**等々が旬を迎えます。

旬の食べ物

【野菜】根菜類:大根、れんこん、にんじん

【鍋物野菜】白菜、春菊、水菜、ネギ

【魚介類】牡蠣、ほたて、カニ

 【その他】みかん

旬の食べ物を見ていると、鍋料理がピッタリなものが多いですね。

ですから冬は 体を温める鍋物や汁物、おでんなどが多くなるのでしょう。

鍋物、汁物、おでんに欠かせない、大根、白菜、春菊など鍋物に使われる野菜が旬を迎えるわけですから。

牡蠣は鍋にも合いますが、たまには野菜タップリの豆乳で作る牡蠣のチャウダーなども良いかもですね。温まります。

冬場は牡蠣の旨味がたっぷりで、亜鉛が豊富な牡蠣は免疫力アップにもおすすめです。

煮物、炒め物にも合う野菜が多く、にんじんなどの根菜類は彩りも良く栄養も抜群です。

日本の自然、四季によって 食べ物も繊細に変化する…ニッポンの良さですね。

このような記事を書いていると お鍋が食べたくなって来ました…

節氣 季節の段階 自然の変化

立冬 冬の入り口 冷氣が立ち、霜の兆し

小雪 冬の序章 雪がちらつき、乾燥と寒風が強まる

大雪 冬の本番 強い寒さと積雪、動物たちは冬眠

冬至 陰の極み 昼最短・夜最長、太陽が復活へ転じる

●最後に「食べ物」で終わります。

大雪の頃は、根菜類(大根、れんこん、にんじん)、鍋物野菜(白菜、春菊、水菜、ネギ)、

**魚介類(牡蠣、ほたて、カニ)**等々が旬を迎えます。

旬の食べ物

【野菜】根菜類:大根、れんこん、にんじん

【鍋物野菜】白菜、春菊、水菜、ネギ

【魚介類】牡蠣、ほたて、カニ

 【その他】みかん

旬の食べ物を見ていると、鍋料理がピッタリなものが多いですね。

ですから冬は 体を温める鍋物や汁物、おでんなどが多くなるのでしょう。

鍋物、汁物、おでんに欠かせない、大根、白菜、春菊など鍋物に使われる野菜が旬を迎えるわけですから。

牡蠣は鍋にも合いますが、たまには野菜タップリの豆乳で作る牡蠣のチャウダーなども良いかもですね。温まります。

冬場は牡蠣の旨味がたっぷりで、亜鉛が豊富な牡蠣は免疫力アップにもおすすめです。

煮物、炒め物にも合う野菜が多く、にんじんなどの根菜類は彩りも良く栄養も抜群です。

日本の自然、四季によって 食べ物も繊細に変化する…ニッポンの良さですね。

このような記事を書いていると お鍋が食べたくなって来ました…

 


 

■冬支度という美意識~季節を迎える日本人の知恵とこころ

 

11月、風が少しだけ冷たくなってきた頃、

自然と「そろそろ冬支度しようか」と思うのは、

きっと日本人のDNAに刻まれた感性なのかもしれません。

“冬支度”とは、単に暖房器具を出したり、毛布を洗ったりすることではありません。

それは、季節の氣を読み取り、心と環境を調える行為。

昔の人は、11月7日前後の「立冬(りっとう)」を境に、冬の準備を始めていました。

陰陽五行でいえば「陽」から「陰」へと氣が切り替わる時期で、

外の世界が静まっていく分、内なるエネルギーが働きはじめるのです。

冬支度の第一歩は、家の中の空氣を入れ替えることでした。

「寒くなる前に風を通せ」と言われるのは、単に湿氣を飛ばすためではなく、“家の氣”を一度リセットする意味があったのです。

現代でいえば、空氣清浄機よりも先に“窓を開ける”ことが、いちばん簡単で確実な浄化法。

実際、冬の乾いた空氣は細菌やカビの繁殖を抑える効果があり、室内の換氣は免疫力アップにもつながるのです。

そして、忘れてはならないのが「湿度」とのつき合い方。

畳や障子、土壁といった日本家屋の素材は、実は“天然の除湿装置”でした。

加湿器など無い時代は日本家屋そのものが加湿の働きをしていたのですね。

冬は乾燥しすぎると喉を痛めたり、ウイルスが空氣中に舞いやすくなります。

ところが、畳や障子紙はまるで呼吸をするかのように

水分を吸ったり吐いたりして、空氣のバランスを保ってくれるのです。

昔の人がこたつに入ってみかんを食べていたのも理にかなっています。

みかんの皮の香りに含まれる「リモネン」には、自律神経を整え、部屋の空氣を浄化する作用があるのです。

火鉢や囲炉裏も、ただの暖房器具ではありませんでした。

炭の赤い光には1/fゆらぎというリズムがあり、これは人の心拍や脳波と似たゆらぎ方をするため、

見ているだけでリラックス効果があることが科学的にもわかっています。

ストーブの前でぼんやりしている時間が心地よいのは、ちゃんと理由があるのですね。

さらに、冬支度と美容の関係も面白いところです。

冬は代謝が落ちる季節ですが、

“温める”ことによって血流とホルモンの働きが活発になります。

とくに湯氣を含んだ暖かい空氣を吸うことで、脳内のセロトニンが増え、心が安定する…。

これは「湯氣セラピー」と呼ばれています。

湯氣セラピーは、医学的にも“ストレス耐性を上げる”方法として注目されています。

湯たんぽを入れて寝るのも理にかなっていて、皮膚温度を1度上げるだけで、深部体温が0.5度下がり、

結果的に眠りの質がぐっと上がるのです。

また、冬支度は“香りの支度”でもあります。

古来、日本では年の瀬になると「煤払い(すすはらい)」という行事をして、家を清めながら新しい年神さまを迎える準備をしました。

現代風にいえば、掃除のあとに柚子やヒノキ、白檀などの天然の香りを焚くと、

副交感神経が優位になり、心が静まりやすくなります。

香りは「氣を整える目に見えない掃除道具」なのです。

冬支度の本質は、“外の寒さを拒む”ことではなく、“寒さと調和する”こと。

欧米のように外へ光を飾る文化ではなく、日本人は内側に光を呼び込んできました。

障子の向こうの淡い光、白い湯氣、味噌汁の香り…。

それらすべてが、寒さを受け入れながら生きるための智慧です。

冬は「閉じる」季節であると同時に、“内側を満たす季節”でもあるのです。

これらの冬の準備をしているうちに、心まで少しずつ柔らかくなっていく。

冬支度とは、季節のためだけでなく、

自分をあたため直すための時間なのかもしれませんね。

 


●勤労感謝の日とは?

 

11月23日に制定されている国民の祝日で、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」とされています。

しかし、この言葉だけではなぜその日が祝日なのか、本当の由来が分かりません。

勤労感謝の日の本質を理解するには、古代日本の農耕儀礼「新嘗祭(にいなめさい)」まで遡る必要があります。

本当の起源:新嘗祭(にいなめさい)

勤労感謝の日のルーツは、天皇が新穀(その年の収穫)を神々に感謝し、自らも食す神事である新嘗祭にあります。

◆ 新嘗祭とは

* 収穫物(稲の新米など)を天照大神などの神々に捧げる

* 天皇自身もその新穀を食す

* 国家繁栄と国民の安寧を祈る

この儀式は飛鳥時代(7世紀)から1400年以上続く、日本最重要の宮中祭祀とされています。

つまり、11月23日は本来、「天皇が五穀豊穣を感謝する“収穫感謝祭”の日」

だったわけです。

なのになぜ「勤労感謝の日」に名前が変わったのか?

戦後のGHQ(連合国軍総司令部)によって、日本の祝日や皇室行事は大幅に見直されました。

GHQは、

* 天皇中心の祝祭日をそのまま残すのは望ましくないとしました。

日本人の精神性の高さに繋がる行事が怖かったのでしょう。

* 収穫祭 → 宗教色・皇室色が強すぎる

と判断し、新嘗祭を国民祝日として残さず、意味を一般化した名称に変更しました。

その結果生まれたのが「勤労感謝の日」です。

ただし、日付(11月23日)は新嘗祭と完全に同じです。

つまり現在でも、

* 一般国民:勤労感謝の日

* 宮中:新嘗祭(非公開の重要祭祀)

という“二重構造”になっています。

勤労感謝の日の意味(現代的解釈)

法律で定められた定義はこれだけです

勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日。

しかし、歴史的背景から見れば、より深く解釈できます。

◆ 1. 労働そのものへの感謝

働く人(労働者)だけでなく、

* 農業

* 製造・物流

* サービス

* 家庭での無償労働(育児・介護など)

すべての労働が社会を支えていることを感謝する日。

◆ 2. 生産の尊さを祝う

元々は“収穫祭”

労働の成果(生産物)を祝う日という意味は今も残っています。

◆ 3. 互いに感謝を伝える日

家族・職場・社会の中で、「ありがとう」を共有する日でもあります。

実は「天皇誕生日」と密接に関連している

歴史を知ると、勤労感謝の日は日本の年中行事の中でも最も“天皇制の伝統”

が色濃く残っている日でもあります。

特に、新嘗祭は天皇が行う儀礼の中で、大嘗祭と並ぶ最重要祭祀。

現在も天皇陛下は11月23日に新嘗祭を粛々と行っており、国民の知らないところで、古代からの祭祀が厳然と受け継がれている、という、非常に奥深い祝日です。

◆ここで 勤労感謝の日の歴史の流れ(古代~現代まで)を

■ 古代(飛鳥時代:7世紀頃)— 新嘗祭の起源 と記録上ではなっていますが もっと古くからあったはずです。

日本は稲作を中心に国家が成り立ってきたため、収穫=国の存続という意味を持っていました。

* 天皇(大王)は「稲霊(いなだま)」に感謝する祭祀を行う

* 新穀(新米)を神々に供え、自らも食べる

* 「天皇が食す=国がその恵みを受け取る」という象徴的儀礼

これが 新嘗祭 の始まりです。

特に、飛鳥時代の皇極天皇の頃(7世紀中盤)にはすでに制度として固まっていたことが文献から確認できます。

ですからもっと古くから行れていた行事でしょう。日本の天皇制は記録以上に長いですから。

■ 奈良・平安時代(8~12世紀)— 国家儀礼として確立

律令国家が成立すると、新嘗祭も法律(大宝令・養老令)に明記され、

国家の最重要儀礼として整備されます。

* 内廷の祭祀として厳格な儀式構造

* その年の稲の出来によって国家の吉凶を占う意味も

* 朝廷は新嘗祭を中心にあらゆる政治日程を調整した

つまり当時の日本は「新嘗祭を中心に時間が動く」国家でした。

■ 中世(鎌倉~室町)— 途切れず継承される伝統

武家政権になっても、新嘗祭だけは

“天皇だけが行う祭祀” として継続。

・政治権力は武士

・祭祀権は天皇

という分権構造の中で、新嘗祭は天皇の権威の源泉でした。

■ 近世(江戸時代)— 宮中の内部儀式として守られる

江戸幕府は神仏習合であったため、皇室儀礼には基本不介入。

新嘗祭は静かに、しかし確実に継承されていきます。

この時代に「五穀豊穣」という思想が庶民に浸透し、農村でも収穫祭が盛んに。

■ 近代(明治時代)— “国家行事”として復活

明治政府は、天皇を中心とした国家の再構築を進めるため、宮中祭祀を国家儀礼として再定義。

* 新嘗祭は「官国祭」の筆頭に位置付けられ、国家的行事へ

* 学校や役所でも式典が行われる

* 全国が「収穫の感謝」を共有する日となる

この時期、新嘗祭は国民的な色合いが濃い祝日でした。

しかし敗戦によって(昭和22年:1947年)— GHQによる改革

先ほども触れましたが 日本が外圧により変えられた重大な日なのでもう一度繰り返します!

GHQは天皇の権威強化につながる行事を禁止・改称。

そこで、

新嘗祭 → 勤労感謝の日

へと“中身を変えず名前だけ変更”する方針が取られます。

* 11月23日という日付はそのまま

* 内容を「勤労・生産」へ一般化

* 皇室儀礼は非公開として継続(これがポイント)

結果として、戦前の日本の重要儀礼は、形を変えて現代に残ることになりました。

■ 現代(平成〜令和)— 二重構造の祝日

現在の11月23日は実は、

* 国民:勤労感謝の日(祝日)

* 宮中:新嘗祭(非公開、最重要祭祀)

という 二つの顔 を持っています。

天皇は今でも毎年、新嘗祭を行い、

国民の安寧・五穀豊穣・国家の繁栄を祈る役割を担っています。

◆天皇の新嘗祭の中身をもっと深掘りすると…

新嘗祭は宮中行事の中で最も神秘性が高く、内部はほぼ公開されていませんが、歴史学・神道学の研究から内容が明らかになっています。

■ 大きく分けて二部構成

新嘗祭は夜を徹して行われ、次の二つで構成されています。

1. 夕御饌(ゆうみけ)

2. 暁御饌(あかつきみけ)

◆ 夕御饌(ゆうみけ)

* 夜7時頃開始

* 天照大神を中心とする天津神に捧げる

* 天皇が御殿の中央で祝詞を奏上

* 神に新穀を供え、自らも一口いただく「共食」の儀礼

◆ 暁御饌(あかつきみけ)

* 翌日の未明(1〜3時)に行われる

* 国津神(地上界の神々)へ感謝

* 再び新穀を供え、天皇自身もいただく

* 夜明けとともに祭儀が終了

夕御饌=天の神への感謝

暁御饌=地の神への感謝

という二重構造です。

■ 新嘗祭の象徴的な意味

新嘗祭の核心は「新穀を天皇が食すこと」にあります。

なぜ「食べる」ことが重要なのか?

◆ 1. 日本古来の“稲霊信仰”

古代日本では、米の中には霊(たましい)が宿ると考えられていました。

米を口にすることは、

=神の力を取り込む

=統治権の強化

と結びつけられていたのです。

◆ 2. 天皇は“稲の恵みの受け手”として国を代表

天皇が新穀を取り入れることは、「今年の恵みを国が受け取った」という象徴的宣言になります。

地方の農民→収穫

神 → その恵みの源

天皇 → 国の代表者としてその恵みを“受け取る人”

という流れが完成する日なのです。

■ 神秘性が高い理由

新嘗祭は次の理由から報道も解説もほぼありません。

* 宮中の“内廷の最奥部”で行われる

* 天皇以外はごく少数の神職しか入れない

* 写真・映像は原則禁止

* 内容の公表も極めて制限されている

「天皇が何を祈り、どのような所作をしているのか」は最も秘密性の高い国家儀礼のひとつです。

■ 大嘗祭との違い

よく混同されますが、全く別儀式です。

大嘗祭(だいじょうさい)新天皇が初めて行う新嘗祭。

国家的・一代一度、即位の年だけ。

新嘗祭 毎年行われる通常の新穀感謝祭 毎年11月23日。

どちらも「天皇が新穀を食す」という核は同じですが、大嘗祭は国レベルの催儀、新嘗祭は宮中儀礼です。

最後に…

勤労感謝の日は名前こそ現代的ですが、その根底には1400年以上続く日本の根源的な祭祀が息づいています(更に長い可能性が高い)。

* 古代:国家の根幹となる収穫祭

* 中世:天皇権威の源泉として継承

* 明治:国家的行事に格上げ

* 戦後:アメリカにより名称変更(勤労感謝の日)

* 現代:天皇は今も新嘗祭を行う

という壮大な歴史を持つ日なのです。日本ほど長く続いている国家は 他には存在しないので。

 


 

●日本の暮らしに息づく【浄化の美学】

 

日本の暮らしには、昔から静かな祈りが息づいてきました。

それは宗教のように形あるものではなく、日々の暮らしの中で自然に行われていた神道から来る心の所作です。

朝、神棚の水を替えて手を合わせる。

食卓を整え、家を掃き、夜には湯を沸かす。

そうした一つひとつの行為の中には「清め」と「感謝」が込められています。

日本語で「清い」と「美しい」は、もともと同じ言葉の根を持っています。

つまり、美しさとは“心の氣が澄んだ状態”のこと。

家を掃くことも、食器を磨くことも、湯に浸かることも、日本人にとってこれらは、単なる家事ではなく氣を整える行為でした。

暮らしの中に神聖さがある──それが、日本人の生活美だったのです。

かつての家には「かまど」があり、そこには荒神様が宿ると信じられていました。

火を絶やさず、丁寧に扱うことは、命をつなぐこと。

台所に立つお母さんは、家の中心を守る巫女のような存在でした。

「いただきます」は命をいただきますという祈りの言葉。

「ごちそうさま」はその命を運んでくれた人への感謝を表します。

どちらも手を合わせて唱えますね。

火と水、手と心。

すべての循環が調和してこそ、“日本人の暮らし”は生きていたのです。

湯に浸かる習慣もまた、清めの文化の延長にあります。

古代の禊(みそぎ)は川や海で身を清めて神に向かう行為でした。

現代の風呂はその形を穏やかに残しています。

湯に身を沈め、今日の疲れや、ざらついた感情をゆっくり溶かしていく。

すると心が静まり、自分の中心が澄んでいくのを感じます。

それは“身体を洗う”というより、“氣を整える”時間なのです。

掃除もまた、祈りのひとつでした。

埃を払うことは、穢れを払うこと。

年末の大掃除は神を迎える準備であり、空間を磨くことで心を磨く修行でもありました。

外を整えることで、内が整う…

その感覚を日本人は深く知っていたのです。

拭き掃除の音や香りが落ち着きをもたらすのは、

手を動かすたびに“氣”がめぐるからでしょう。

日本語の「氣を使う」「氣を配る」「氣が通じる」という表現も、

この“見えない流れ”を感じ取る感性から生まれました。

氣づかいとは、相手の心を読み取って自分の内側の氣を調えること。

場を読む、間を感じる…その繊細さが人との関係をやわらかく繋いできました。

こうして見てみると、日本の美は「整える」「清める」「祈る」という流れの中にあることが分かります。

それは派手さではなく、氣の通った状態。

便利さが増えた今だからこそ、もう一度その感覚を取り戻したいものです。

朝に湯をわかし、茶を淹れる。

神棚の水を替え、手を合わせる。

拭き掃除と掃き掃除で清潔さを保つ。

それだけで空氣がやわらぎ、心が静かになります。

暮らしの中の小さな祈りこそが、本当の豊かさ。

日本人にとっての美しさとは、何かを着飾ることではなく、氣を澄ませて生きることなのです。

 


 

●立冬――すべての「終わり」と「始まり」が交差する日

 

暦の上で冬が始まる日、それが「立冬(りっとう)」です。

二十四節氣のひとつで、太陽が黄経225度の位置に達した時。

現代の暦では、毎年11月7日ごろに訪れます。

しかし、立冬は単なる「季節の区切り」ではありません。

古来の日本人にとって、立冬は自然の息づかいが静寂へと移る瞬間であり、命の循環を感じ取る節目でした。

 

◆ 命が静まり、「陽」が「陰」へと移る時

 

立冬を境に、陽は次第に弱まり、陰が増していきます。

自然界は表の活動を終え、内へ内へと力を蓄える。

木々は葉を落とし、虫は土に潜り、動物たちは冬眠の支度を始めます。

つまり「立冬」は、すべての生命が“外に出る成長”から“内にこもる再生”へと転じる日なのです。

これは、人間の生き方にも通じるものがあります。

外で結果を求め続ける時期から、心を静め、内面を見つめ、次の芽を育てる時期へと移る――そんな「季節のリズム」を感じるのが、立冬の本質です。

 

◆ 「終わり」ではなく、「内なる始まり」

 

立冬という字を見れば、「冬が立つ」と書きます。

「冬」とは「終わり」や「停止」を象徴しますが、古代の人々はそれを、死”ではなく“再生の準備と捉えました。

冬の間、地中では新たな生命の準備が着々と進んでいます。

この「見えない活動」こそが、春の芽吹きを支える。

したがって立冬は、「見えない世界での始まり」なのです。

現代社会は目に見える成果を追いがちですが、

本当の成長とは、見えない時間にどれだけ自分を整え、力を蓄えるかにかかっています。

立冬は、そんな“内なる始まり”を思い出させてくれる日でもあります。

 

◆ 心と身体を「冬仕様」に

 

立冬を迎えたら、私たちの身体も自然と同じく「蓄えるモード」に切り替える必要があります。

 

・睡眠を深くし、体を冷やさない

 

・黒豆、根菜、発酵食品など“陽のエネルギー”を持つ食材をとる

 

・無駄な動きではなく、必要な動きをし、呼吸を深くする…

 

これらは、単なる健康法ではなく、自然と調和する生き方の実践です。

冬は「休む」ための季節ではなく、「次の春に向けて命を整える」ための時期なのです。

 

◆ 終わりと始まりの狭間で

 

立冬は、一年の「陰陽」が交わる瞬間です。

光と闇、生と死、動と静――そのすべてが調和し、新たな循環へと移る。

この日に心を澄ませてみれば、「すべては絶えず変化し、そして必ず再び芽吹く」

そんな自然の摂理を、そっと教えてくれます。

 

【立冬】から見る、経営者が知るべき「静の季節」の意味。

 

11月上旬、暦の上で冬が始まる「立冬」。

繰り返しますが、自然界では、木々の葉が落ち、虫が土に潜り、空氣が凛と張り詰めていく時期です。

しかし、この「静けさ」は、決して停滞ではありません。

むしろ、次の成長のための内なる準備が始まるタイミングです。

経営も人生も、立冬の思想に深く通じています。

 

◆ 「陽」から「陰」へ──エネルギーのベクトルを内側に向ける。

 

立冬を境に、自然のエネルギーは外へ向かう「陽」から、内へ沈む「陰」に移ります。

これは、組織経営における“拡大の季節”から“整備の季節”への転換でもあります。

外に向けて市場を広げる時期があれば、一度立ち止まり、内側の構造を整える時期も必要です。

 

・組織文化の見直し

 

・理念やビジョンの再確認

 

・人材の再配置と育成

 

・財務体質の強化…

 

それらは、表には見えない“根の成長”です。

冬に根が深まらなければ、

春に花は咲かない。

立冬とは、企業が「根を張る」タイミングなのです。

 

◆ 「静寂」は停滞ではなく、戦略である。

 

経営者の多くは、「動いていない=遅れている」と感じがちです。

しかし、立冬の季節における自然の動きを見れば、それが誤りだと氣づきます。

動かないのではなく、「動かないようにしている」。

つまり、意図的に静かにすることこそ、次の爆発的成長を可能にする戦略なのです。

イノベーションも同じです。

革新は常に“沈黙の期間”を経て生まれます。

立冬の知恵は、「焦るな」「熟せ」と教えてくれます。

 

◆ 「見えない投資」が次の春を決める。

 

経営者にとって最も難しいのは、「見えない投資」に耐えることです。

人材教育、文化醸成、研究開発――どれも冬のように成果が見えにくい領域です。

しかし、それこそが春を迎えるための布石。立冬の本質は、“見えない世界での始まり”です。

成果が表れない時期こそ、次の成功の芽を植える期間だと考えるべきでしょう。

 

◆ 「内省」こそリーダーの冬支度

 

経営者自身もまた、内なる冬支度が必要です。

外の環境や他者との比較に追われるのではなく、自らの“経営哲学”と“信念”を見直す時間を持つ。

 

・私は何のために経営しているのか

 

・この会社の存在価値は何か

 

・5年後、10年後の理想像はどこにあるのか…

 

こうした問いに向き合うことは、まさに「心の立冬」です。

外の光が弱まる時期だからこそ、内なる光を磨く。

リーダーの輝きは、沈黙の時間の中で磨かれるのです。

 

◆冬の静けさの中に、春の鼓動がある。

 

立冬は、すべての終わりではなく「目に見えない始まり」の季節です。

自然は、冬に命を休めながら、次の生命を準備しています。

企業も、人も、同じです。

静寂を恐れず、沈黙を活かし、

内にエネルギーを蓄える者だけが、春に真の成果を咲かせることができる。

立冬とは、「止まる勇氣」と「始める覚悟」が交わる日。

個人的にも、経営者にとって、最も哲学的で、最も実践的な節目なのです。

 


 

●日本人の口癖

 

日本人は世界一「謝る」民族と呼ばれています。

今回は日本人の“すみません”に隠された、心と歴史の真相に迫りたいと思います。

「すみません」「ごめんなさい」「失礼しました」「申し訳ありません」「恐れ入ります」。

日本語ほど“謝罪のバリエーション”が多い言語は他にありません。
それは単なる礼儀ではなく、社会の心理構造、コミュニケーション能力そのものを映す鏡なのです。

日本人が「すみません」と口にするのは、実は罪を詫びるためだけではありません。
「感謝・謙遜・呼びかけ・遠慮・礼儀」様々な意味合いを持ちます。

「すみません」は、その全てを包み込む「人間関係の潤滑油」そのものなのです。
なぜそんな言葉が、日本でここまで根付いたのか?
その答えは、「恥の文化」「和の思想」「言語の曖昧さ」にあります。

 

①「和の思想」~謝罪は良好な関係作る

日本人が最も恐れるのは「争い」ではなく「不調和」です。
聖徳太子の十七条憲法の第一条には「和を以て貴しと為す」とあります。
ここに日本的コミュニケーションの原点があると感じます。

欧米では「正義」が社会を支える軸ですが、日本では「調和」がそれを担います。
故にトラブルが起きたときも、「誰が悪いか」の犯人捜しではなく「どう関係を戻すか」の調和を戻すことに意識が向く、これが日本人の考え方です。
故に日本人にとっての謝罪とは“正義の回復”ではなく、“関係の修復”のための調和の行為であると言えます。。

実際、ある調査(文化庁2019年)では、日本人の約83%が「自分に非がなくても謝ることがある」と答えています。
その理由のトップは「場を円滑にするため」でした。
つまり日本では、謝る事は相手を安心させるための共感行動なのです。

「謝ったら負け!」の欧米人思考とは180度違う訳です。

たとえば満員電車で肩がぶつかっても、ぶつかった側もぶつかられた側、どちらも「すみません」と言いますよね。

江戸しぐさでは「うかつ謝り」があって、足を踏まれた側が謝り「こんなところに足を出していたわたしが悪かったです」という…何とも奥ゆかしく日本人らしい仕草があります。

欧米人から見れば「いやいや踏んだ方が謝るべき」「どっちが悪いの?!」となるところ、
日本人にとっては「関係を良好に戻し調和する」事が「謝る事の目的」なのです。

 

②「恥の文化」~罪より恥を重んじる

心理学者ルース・ベネディクトが『菊と刀』(1946)で述べたように、
西洋は「罪の文化」であり、日本は「恥の文化」であります。

西洋の罪・・・神や法やルールに対して背いたこと

日本の恥・・・自己の内面で感じること

社会心理学の研究でも、
日本人はアメリカ人に比べて「第三者の評価」を2.4倍強く意識する傾向があります。(東京大学社会心理学研究2018年)。

つまり、「自分の損得」より「他者の存在」を意識する傾向にあるという事です。

ここでいう「他者」とは日本人の場合、人間のみならず「八百万の神」が含まれています。

故に「お天道様が見ている」という言葉が我々にはあります。

日本人にとっての謝罪は、「自己の正義の回復」ではなく、目に見えるものから目に見えないものに対しての「他者からの信頼の回復」なのです。

 

③「言語構造」~“すみません”は思いやり

「すみません」という言葉を分解してみましょう。
語源は「済む」の否定形で“済みません”から来ています。

つまり、「まだ終わっていません」「借りが残っています」という意味だそうです。

この“未完了”の感覚が、「完全に解決した」ときっぱり断定せず、あえて“余白”を残す…そこには相手への配慮が隠されています。

面白いのは、この「すみません」が持つ多義性です。

・謝罪:「ごめんなさい」
・感謝:「ありがとう」
・呼びかけ:「すみません、道を…」
・遠慮:「すみません、けっこうです」

どれも共通して「相手を立て、自分を下げる」構造になっています。

英語では「Thank you」と「Sorry」は明確に分かれてますが、日本語ではその境界が曖昧です。
これは日本文化の曖昧さの美学そのものです。

また、NHK放送文化研究所の言語調査(2020)によると、日本人が日常で最も多く使う言葉の第1位が「すみません」。

平均使用回数は1日なんと9.2回!

ほぼ、2時間に1回のペース!笑

ここまで来たら、“謝るリズム”が日本語の会話テンポを作っているとも言えます。

この「謝りながら話す」文化は、相手の心理的距離をやわらげる効果があります。

自分を少し下げて相手を立てる…その繊細なリズムが、日本人特有の“空氣を読む”会話術を支えているのです。

欧米では「謝る=負ける」と捉えられることが多いですが
日本では「謝る=秩序と関係を守る」事を現しています。

「すみません」は、実は「ありがとう」と同義でもあります。

「迷惑をかけてすみません」には、
「あなたがいてくれて助かりました」という感謝が含まれています。

日本人が普段なにげなく、そして何度も使う【すみません】。

実は奥深い意味が込められているのです。

 


●「文化の日」と「日本国憲法」は同じ日に…

 

文化の日──自由と平和を讃える、日本の「知と心」の祝日

11月3日、「文化の日」は、単なる休日ではありません。実は、日本の精神文化や平和主義の象徴として、深い意味をもつ日なのです。

もともと11月3日は、明治天皇の誕生日。

戦前は「明治節」と呼ばれ、明治維新の功績を讃える日でした。

しかし、戦後、日本は大きな転換点を迎えます。

1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。アメリカの多大な影響力の元に…

アメリカにとって、文化の日と同じ日にすることによって、何かと都合がよかったのです。

憲法の前文には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とあります。

その理念を記念して、1948年に「文化の日」として新たに制定されたのです。

そして、文化の日は「自由と平和を愛する心」を国民が確認し合う日。

そして同時に、「文化の力で社会を豊かにしよう」という願いが込められた日でもある…となりました。

現代では、美術展や文学賞の授賞式、文化勲章の授与など、知的・芸術的活動に光が当たる日として知られています。

しかし、単に芸術や学問をたたえるだけでなく、「人と人が理解し合い、共によりよい社会を築く」ことこそ、本来の“文化”の意味です。

言葉を交わし、心を通わせる。それも立派な文化の表れです。

文化とは、美術館の中だけで息づくものではなく、わたしたちの暮らしそのものの中にあるのです。

戦後の混乱を乗り越え、再出発した日本、及び日本人。

その象徴である11月3日には、ぜひ一度立ち止まり、「文化とは何か」「日本国憲法とは何か」を深く考えてみる必要があります。

その為にも、日本国憲法について少しだけ触れておきます。

1946年に日本国憲法が公布されたのはアメリカの主導によるものです。

憲法の前文には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とありますが、本来日本人には不適合な「自由」などの言葉を巧みに組み込んで、さも正当性があるかのように仕上がっています。

 

◆日本国憲法とアメリカ人の影:知られざる舞台裏

 

1945年、日本は第二次世界大戦に敗れ、戦後復興と民主化の道を歩むことになった。

その中心にあったのが、日本国憲法の制定である。

一般には「日本人自身が戦後の理想を描いて作った憲法」と認識されがちだが、実はその陰にはアメリカ占領軍、特にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の強い影響があったことは、あまり語られない事実だ。

正確にいえば、テレビ、ニュース、新聞、学校教育などでは表立って「語ってはイケない事実」だ。だから日本国憲法の事実は「知られていない」。

アメリカの日本占領初期、日本政府は憲法改正案を自ら作ろうと試みたが、GHQは「そんなことは許さない」。

そこで登場したのが、マッカーサー元帥直属の民政局スタッフであるアメリカ人法学者たちだ。

特にジョセフ・M・デラスやガース・アンダーソンらが中心となり、憲法草案の骨格を作ったとされる。

彼らは表向きは、日本の文化や歴史を尊重しつつも、本音では戦後の日本を「間接的統治国家」に変えることを明確な使命としていた。

そのため、天皇の地位の象徴化、戦争放棄、基本的人権の明記など、現在の日本国憲法の特徴的条項は、アメリカ人の意向と実務的知見によって作られたのである。

一般的は「アメリカ人が作った憲法を押し付けた」と単純に語るのは正確ではない、などというアメリカ側の意見が横行しているが、一重にアメリカに押し付けられたのです。

一応、日本政府側も改正案の検討や議論に関与し、最終的には国会での審議を経て成立している、となっていて、アメリカの影響下で、日本人自身も憲法を「共同作業」で完成させたのである。となっています。

しかし裏の真実は、アメリカによる憲法制定を日本の戦後復興の象徴にするのと同時に、占領下の力関係と政治的現実の産物でもあったということだ。

つまり、日本国憲法は完全な日本の自主制定ではなく、外圧が殆ど大半の歴史的産物として存在する。

この複雑な背景を理解すると、わたしたちが日常で接する「平和憲法」といわれている意味も、理解できてくる。

アメリカが平和なだけの憲法である。

そんな歪な憲法か色んな意味で、日本人の日常生活にまで、より重みを持って現在でも響いている。

日本国憲法の制定に直接関わったアメリカ人の中心人物は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民政局(SCAP/GM)に所属していました。

代表的な人物を挙げると…

主要人物

ジョセフ・M・デラス(Joseph M. Dodge)

日本の財政や経済政策を担当したアメリカ人。憲法改正の議論にも助言を行った。

チャールズ・K・ロウ(Charles K. Row)

法律顧問として、憲法草案の法的表現や条文整備に関わった。

ガース・アンダーソン(G. M. Anderson)

民政局のスタッフで、実務的な憲法草案作成に深く関与。日本の旧憲法(明治憲法)を分析しつつ、GHQの意向を反映させた。

リチャード・ストラウド(Richard Stroud)

人権条項や天皇条項の調整に関与。占領下での法制度改革の立案に携わった。

ジョン・マクレラン(John McClellan)

民政局で議会運営・憲法成立の手続き面を担当。日本政府との調整役も務めた。

これらの人物たちは、GHQの指示のもと「日本人草案を参考にしつつ、新しい憲法の枠組みを作る」という役割を担いました。

彼らの代表的な「言い分」として「実際の条文作成においては、日本側の憲法研究会(いわゆる松本案)も参考にされており、完全な押し付けではなく共同作業だ」といっていますが…

実際のところ、当時NOをいえる環境下には一切なかったという状況が大問題なのです!

ガース・アンダーソン、リチャード・ストラウドが天皇の象徴化を提案。

天皇の戦争責任を意図的に回避させつつ、象徴天皇制を導入することで占領下での政治コントロールを図った。

この部分は重大で、現在の日本と中国韓国との歪な在り方を造り上げています。

・戦争放棄(第9条)アンダーソン、ロウが具体的条文を作成。

GHQの意向で、日本が将来的に軍隊を持たない形を条文化。

本音はアメリカに刃向かわないことを念頭においた9条。

ここも、アメリカの完全な押し付けではなく、日本側も修正に関与した、とされていますが、

NOといえるはずがありません。

・基本的人権(第14条~第31条)

アンダーソン、チャールズ・K・ロウが条文の整備。

そして、GHQの理念である権利規定の幅や表現はアメリカ的な自由主義を反映。

ここで、セミナー参加者には伝えている、日本が骨抜きになった主要原因である「自由と権利」を叩き込めれる地盤が固まっている。

多くの日本人は「自由と権利を良いと解釈している」

・国会制度(第41条~第64条)

ジョン・マクレランが制度設計・手続き面を調整。

占領軍が議会の機能強化・民主化を確保。民主主義などという王国の崩壊を示唆する憲法が確立される。

・内閣・行政(第65条~第75条)

アンダーソンやロウが憲法条文として整備。実務的条文作成にアメリカ人スタッフが深く関与。

・裁判所・司法(第76条~第82条)

日本側法曹界が意見提出などといっていますが、アンダーソン、ロウが司法権の独立条文を作成

司法の独立や裁判所制度はGHQの民主主義原則を反映。そして今の日本では、立法・司法・行政は三権分立しておらず、結局の所、権力が一局に集中する現状になり、多大な問題が定期的に発生しています。

・地方自治(第92条~第95条)

ガース・アンダーソンが条文化を補助。地方分権化の方向性はGHQの意向。

以上のように11月3日は、日本人にとって特殊な日であります。

日本人の「氣」「心」「在り方」を取り戻すためにも、意識し、過程を思考する大切な一日である。文化の日とは、そんな日なのです。

 


 

●紅葉狩り ― 日本人が千年続ける「美の探究」

「紅葉狩り」

秋になると当たり前のように口にするけれど、よく考えると“狩り”と言いながら何も獲らないという(笑)不思議な紅葉狩り。

これは平安時代、貴族たちが“山に分け入って美しい紅葉を探した”ことに由来します。

つまり狩っていたのは獲物や動物ではなく、「美しさ」そのものだったという粋な紅葉狩り。

『源氏物語』や『古今和歌集』にも紅葉の詩が多く登場し、当時の貴族たちは、色づき、やがて散る葉に“無常の美”を見出しました。
桜もそうですが、散りゆくものを美しいと感じるこの感性は、仏教の諸行無常とも結びついた古神道に基づく日本独特の美意識です。

西洋が「永遠の美」を求めたのに対し、日本人は「移ろう美」に心を震わせました。

ここに、日本人の繊細さの根源があるのです。

例えば、西洋では勝者がヒーローになりますが、日本のヒーローを見てください。

西郷隆盛、真田幸村、豊臣秀吉、坂本龍馬、武田信玄、白虎隊、赤穂浪士、平清盛。

みんな敗者です。

日本人は散りゆくもの、儚いもの、消えゆくものに美学を見出す、非常に繊細で深い情愛と美意識を持ち合わせた民族であります。

2023年の観光庁調査によると、紅葉シーズンの京都の観光客数は約920万人。

まさに「紅葉経済」と言えるほどの文化資産です。

また、紅葉狩りは“五感の芸術”でもあります。
風に舞う音、落ち葉の香り、陽の光が反射する水面…

その一つ一つが季節の情緒を呼び覚まします。

日本庭園が池のそばに紅葉を植えるのも、水面に映る「二重の紅葉」を計算してのこと。

光と影、水と風。すべてを背景に取り込む、まさに日本の芸術です。

さらに日本人はこの「紅葉の美」を食文化にも投影しました。
大阪の「もみじの天ぷら」や広島の「もみじ饅頭」、懐石料理や日本料理の紅葉型の人参などもそうですね。
食の中にも季節の風景を宿すという感性は、他国では見られません。

現代では“インスタ映え”の対象になりがちな紅葉狩りですが、実は脳科学的にも良い影響があります。
赤や橙の景色を見ると、脳内で幸福ホルモンのセロトニンが増加し、ストレスホルモンコルチゾールが減少することが知られています。

つまり、紅葉狩りは心を整える「日本独自のヒーリング」なのです。

毎年秋の山に出かけるたび、わたし達は無意識に、千年前の日本人と同じ感性で紅葉に心を癒されているのです。


●衣替え

 

衣替えの歴史は分かっているだけでも、平安時代の宮中では、陰陽道に基づいて季節の変わり目に衣を改める儀式が行われていました。

旧暦で 4月1日と10月1日 に、夏服・冬服へと衣装を替える習慣がありました。

中世(鎌倉~室町時代)では、武家社会にも広まり、衣替えは身分の高い者の礼儀作法として定着。

季節ごとにふさわしい色や素材を用いることが、社会的な教養や格式を示すものとなりました。

江戸時代には、江戸幕府が 公式な衣替え日を定めたことで庶民にも広がる。

旧暦4月1日 → 夏服

旧暦10月1日 → 冬服

のちに 年4回(4月・5月・9月・10月) に細分化され、衣服の素材や袷(あわせ)、単衣(ひとえ)、裏付きなどの切り替えが決まっていました。

武士だけでなく庶民も、この制度に倣って衣替えを行うようになります。

衣替えの日を 公式行事として年4回 定め、武士から庶民にまで影響を与えたその内容は、

 

1. 春 → 初夏(4月1日から)

冬服(裏付きの袷)から 単衣(ひとえ) に切り替え。

裏地を取ることで涼しく。

まだ涼しいので、羽織などを重ねることもありました。

 

2. 初夏 → 盛夏(5月1日から)

薄物(すけもの) と呼ばれる透ける生地の着物に。

麻や絽(ろ)、紗(しゃ)といった通氣性の良い素材を使用。

江戸の蒸し暑い夏をしのぐ工夫。

 

3. 盛夏 → 初秋(9月1日から)

再び 単衣(ひとえ) に戻す。

残暑は厳しいが、暦の上では秋なので色柄を秋らしいものに。

 

「先取りの美意識」があり、紅葉や秋草の文様を身につける人も。

 

4. 初秋 → 冬(10月1日から)

袷(裏付き) に戻る。

厚手の綿入れや羽織を出し始める。

武士や町人はもちろん、遊女や役者も季節感に合わせた衣替えをしており、見た目の華やかさにも重きが置かれました。

 

◆庶民の工夫

江戸時代の庶民は裕福ではなかったため、幕府の制度通りに衣替えをするのは難しい場合も多かったです。

そこで色々な工夫が生まれました。

裏地を付けたり外したりできる仕立て→ 季節ごとに縫い直すより経済的。

素材の工夫→ 夏は木綿や麻を中心に、冬は綿入れや古着の重ね着で対応。

色柄で季節を演出→ 生地を買い替えなくても、帯や小物で季節感を出した。

質素倹約令との兼ね合い→ 贅沢禁止の時代には、目立たない工夫で季節を楽しむ。

(裏地や長襦袢に派手な色柄を仕込むのが流行しました)

江戸時代の衣替えは、幕府が制度化したことで「社会全体の季節の切り替え行事」となり、庶民は経済的にやりくりしながら 素材・色柄・仕立ての工夫 で季節を楽しんでいました。

江戸庶民が 衣替えで楽しんだ代表的な素材と模様 を、夏と冬に分けてみると…

 

■江戸庶民の衣替えと素材・模様

 

◆夏(単衣・薄物)

素材=麻(あさ)→ 涼しく通氣性があり、夏の定番。庶民に広く普及。

木綿(もめん)→ 当時は貴重だったが、徐々に普及していき「庶民の着物」として定着。

絽(ろ)、紗(しゃ)、上布(じょうふ)→ 武士や富裕層も好んだ、透ける夏の高級生地。

模様は、流水・波 … 涼しさを演出。

朝顔・桔梗・朝顔 … 夏の花で季節感を表す。

蚊絣(かがすり) … 細かい絣模様で、清涼感。

縞模様 … シンプルで庶民に人氣。

 

◆冬(袷・綿入れ)

素材=木綿の袷(あわせ)→ 庶民が最も多く着た。重ね着で防寒。

綿入れ(わたいれ)→ 着物に綿を詰めた防寒着。羽織や布団にも。

絹(きぬ)→ 上層階級や裕福な町人が愛用。温かさと光沢。

模様は、松竹梅・鶴亀 … 冬の吉祥柄。

梅・南天 … 寒中に花を咲かせる縁起柄。

雪輪文(ゆきわもん) … 雪の結晶を円形にデザイン、冬の定番。

格子柄・亀甲柄 … 長寿や繁栄の象徴。

江戸庶民の「粋」な工夫。

表は質素でも、裏地や長襦袢に派手な色柄 を仕込み「見えないところで遊ぶ」。

季節感を小物(帯・手ぬぐい・下駄の鼻緒)で表現。

倹約令をかいくぐり、粋さ=さりげないおしゃれ を追求。

衣替えの季節には、春夏秋冬それぞれの素材と模様を楽しんでいた粋な氣質…

江戸が栄えた要因の一つだったのではないでしょうか?

明治時代になると、西洋の服制が導入され、 官庁や軍隊、学校 で制服の衣替えが制度化。

新暦の6月1日と10月1日が基準日とされ、これは現在の学校や役所の衣替え習慣に引き継がれています。

現在でも多くの 学校や会社で6月と10月に衣替え を実施。

ただし冷暖房の普及や氣候変動で柔軟になり、地域や職場ごとに多少の違いが生じています。

最近は「クールビズ」「ウォームビズ」のように環境政策とも結びついています。

しかし 最近では5月と11月が、衣替えの季節になっている…と言った方が良さそうです。

時代によって衣替えも変化して行くでしょうが、「粋(いき)」な感性だけは、いつの時代でも、日本人として持っておいたいものです!

 


 

●日本文化から学ぶ「腸内美容」

日本人のキメ細やかな肌の美しさや健康の秘密は、日々の食卓に息づく「発酵食品」と「菌」にあります。

単なる栄養ではなく、微生物と日本人の知恵がつくり上げた文化的資産が「発酵食品」です。

ところで発酵と腐敗は、菌による現象として一見似ていると勘違いしがちですが、実は天と地ほど違います。

発酵は、納豆や味噌、日本酒など、微生物が食材を分解し、栄養価や旨味を高める現象。

腐敗は同じく微生物が働きますが、有害物質や悪臭を生み、体や肌にマイナスの影響を与えます。

例えるなら、発酵は肌に潤いを与える美容液、腐敗はメイクを落とさず寝た翌朝の肌。

微生物の仕事は「分解」ですが、同じ「分解」でも結果が全く違う、これが善玉菌と悪玉菌の違いです。

腸内環境を見てみると、私たちの腸には約100兆個の菌が存在し、「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」に分かれています。

善玉菌は乳酸菌やビフィズス菌など、美肌や免疫力を守る味方。 

悪玉菌はタンパク質を腐敗させアンモニアや硫化水素を生成し、血流にのって肌のターンオーバーを乱し、吹き出物やくすみを招きます。

日和見菌は腸の環境次第で善にも悪にも転じる“中立派”。

発酵食品は善玉菌を増やし、日和見菌を味方につける最高の“腸活美容法”です。

ここで日本文化の深さが際立ちます。

日本人は世界でも類を見ない発酵食品大国。

味噌汁、漬物、納豆、醤油、日本酒、甘酒…。

データによれば、日本人1人が1年間に摂取する味噌はなんと約6キロも。 

醤油は国全体で年間80万キロℓ(プール約300杯分!)も生産しています。

そして、日本人の3割以上が「納豆を毎日食べている」と回答。 

これからもわかる様に、日本人が発酵食品を食べる量は欧米人の約3倍にも上ります。

この様に、日常的に発酵食品を食べることは、知らず知らずのうちに「日本人に根付いた文化的習慣」になっています。

日本人にきめ細かい肌が多く、長寿国だった事に納得ですね。

※敢えて「だった」と表現したのは、今の発酵食品(味噌、醤油、漬物、納豆など)の多くは添加物で作られているからです。 

しっかり目利き力を持ち選びましょう。

話を戻して…

日本独自の「麹菌」は世界的にも希少でありユニーク。

麹菌は味噌や醤油、日本酒を生み出し、微生物の力を日本文化の知恵として昇華させました。

2006年には日本醸造学会が麹菌を日本代表とする「国菌」として認定。

菌を国の象徴にした例は世界でも珍しく、菌を重んじる文化、そして美を結びつける日本ならではの発想です。

麹菌が生み出す発酵代謝物はタンパク質や脂質を分解し、美肌に必要なアミノ酸やペプチドを作り出してくれます。

まさに「微生物が作る極上の美容液」です。

毎日の味噌汁や納豆は、微生物と文化が協力して美と健康を育む「魔法の食品」と言えます。

ただ、同じ菌でも発酵菌と腐敗菌があります。 

無農薬の大根と、農薬まみれの大根を並べると、無農薬大根には発酵菌(善玉菌)が、農薬大根には腐敗菌(悪玉菌)が寄ってきます。

やがて、無農薬大根は漬物に、農薬大根は腐敗して朽ちていきます。

つまり、自分自身が無農薬大根であることが大事。

添加物を避け、規則正しい生活を送り、心身ともに整った生き方をしましょう。

「発酵=美と健康の味方」「腐敗=老化のサイン」、わたし達も常に菌と共に、菌を引き寄せながら生きています。 

善玉菌と発酵菌に好かれる様な人間でありたいものですね。

日本文化に根ざした発酵食品は、単なる栄養食材以上の存在、まさに「善玉菌の集大成」。

日本人の腸も肌も、日本の菌も文化も、すべてが美しさの秘密を支えています。


●「実りの秋」のもう一つの意味

「秋」とは、日本を含む温帯地域で 一年を四季に分けたときの第三の季節を指します。

一般的に 立秋(8月上旬)から立冬(11月上旬)まで の時期を指し、暦の上でも自然の変化の上でも独特の意味を持っています。

秋の特徴は、氣候では夏の暑さが落ち着き、涼風が立ち始める。

また、台風の季節でもある。

自然は、紅葉、稲刈り、実りの時期。

生き物は、渡り鳥の移動、虫の音が盛ん。

食は、新米、きのこ、果物(柿・栗・梨など)、秋刀魚といった旬が豊富。

収穫の秋でもありますから、農作物が実る時期で「実りの秋」とも言われます。

芸術の秋:涼しく過ごしやすいため、読書や芸術鑑賞が盛んになる。

スポーツの秋:体を動かすのに適した氣候。

行事:お月見、七五三、秋祭りなどがある。

また、秋は日本文化において「もののあはれ」を感じさせる季節でもあります。

日が短くなり、自然が枯れていく様子に 寂しさや哀愁、同時に豊かさや感謝 を見出してきました。

つまり秋は、「自然が熟して実りを迎え、同時に次の季節へと静かに移ろう、豊かさと無常を併せ持つ時期」といえるのです。

秋は豊かさと同時に、冬への準備を意味する「移ろいの美」も含む…

そして「実りの秋」という言葉は、ただ季節の呼び名というだけではなく、日本人の生活や心に深く根ざした文化的な表現です。

「実りの秋」とは、農作物が収穫の最盛期を迎える。

五穀(米・麦・粟・豆・黍)をはじめ、果物や山の幸・海の幸が豊富になる時期。

自然の恵みに感謝し、喜びを分かち合う心を表す季節なのですが…

「実りの秋」には、心理的な意味あいもあり「努力が実を結ぶ時期」の比喩としても「実りの秋」は使われます。

例えば、勉学や仕事の成果、人生経験の熟成などにも…

春に芽吹き→夏に育ち→秋に実る→は…人の生涯や成長のサイクルを象徴しているのです。

「実りの秋」とは自然の恵みをいただく物理的な豊かさであると同時に、努力が結実する精神的な豊かさの象徴でもあります。

ですから「実りの秋」は、農作物の収穫に由来する言葉だけではなく、日本語の表現としては 「努力が実を結ぶ時期」 という比喩的な意味でも用いられています。

「実りの秋」=努力が実を結ぶ秋…いいですね。

人の成長も季節の流れとの重なり、春に種を蒔き、夏に育み、秋に収穫する。

まさに人の営みや努力のプロセスに重なります。

◆「人間関係や学びの成果」

勉学・仕事・修行・人づきあいなど、積み重ねてきた努力が形になるのが「実りの秋」。

人生の比喩にも使われていて、青年期に蓄えた学びや経験が、壮年期以降に「実り」となって現れることを秋に例えることもあります。

「物質的な収穫」だけでなく、心の成長・成果・達成感といった「精神的な豊かさ」を味わう時期。

そんな成果をただ自分だけで喜ぶのではなく、周りと分かち合う姿勢が「秋祭り」に象徴されています。

物質的にも精神的にも「実りの秋」には、努力を感謝に変える という日本的な心が込められているのです。

「努力が実る」とは、単に「成果が出る」という以上に、時間・忍耐・工夫を積み重ねたものが形になり、報われる状態を指します。

よって「努力が実る」の構造は、種蒔き(始まり)、学習、練習、人間関係づくりなど、目には見えない基盤づくり。

◆「育成(継続)」

失敗や停滞を乗り越えて積み重ねる時期。

成果はまだ見えないが、内面が磨かれていく。

◆「開花・結実(成果)」

季節の始まりの種蒔きは、試験合格、作品完成、信頼獲得など、具体的な形で現れてきます。

「花」だけでなく「実」=持続的価値が生まれる。

・「努力が実る」と感じる瞬間の特徴は、予期した結果が得られたとき(目標達成、成功)

・予期せぬ形で役立ったとき(過去の経験や習慣が思わぬ場面で生きる)

・人から認められたとき(信頼、感謝、評価を得る)

・自己成長に氣づいたとき(できなかったことが自然にできるようになった)

「実りの秋」とは、精神的成長という意味も非常に大きいのです。

そして、努力が実るのは「自分の力だけ」ではなく、環境や他者の支えが重なって初めて可能になる。

だから本当の「実り」には、謙虚さと感謝が伴う。

また、実った瞬間は同時に「次の種蒔きの始まり」でもある。

「努力が実る」とは、積み重ねた行動が形になり、価値や成果として現れること。

そしてその実りを通じて、人はさらに感謝と成長を知ること──この両方を含む言葉です。

「実りの秋」とは➡ 自然の恵みの収穫 であり➡ 人の努力や人生の成果が結実する象徴 でもあるのです。

農作物が熟すように、人の営みや努力も秋に例えられるのです。

「実りの秋」には、努力を感謝に変える という日本的な心が込められている…

やはり日本語、日本の心、日本人的機微は素晴らしいですね。

「実りの秋」=「努力を感謝に変える」という心は、日本人の季節感や文化の深層に関わっています。

1. 「実り」は自分だけのものではない。

農作物の収穫は、自分の努力だけでは成り立たない。

天候、土、水、先人の智恵、周囲の協力があって初めて実る。

そのため、収穫は「ありがたい(有るのが難しい)」と感じる対象になる。

日本の農村文化では「おかげさま」の心が自然と育まれた。

2. 祭りと感謝の形。

秋祭りは、収穫を神に感謝する儀式。

単に「自分が頑張ったから実った」ではなく、「自然や神、人の支えがあって実った」と考えるところに日本的な感覚がある。

だから、収穫物は一度 神に供えてから 人がいただく→ これは「成果を感謝に変える」行為そのもの。

3. 努力=感謝に変換されるプロセス。

春:努力の「種まき」

夏:忍耐の「成長」

秋:成果を得ると同時に「感謝を表す」

冬:その感謝を胸に「次の準備」

この流れの中で、秋だけが「成果」と「感謝」が重なる特別な季節になる。

4. 現代的な意味。

勉強や仕事で成果を得たとき、「自分の努力だけではない」と思える人は、自然と周囲に感謝できる。

感謝に変えられる成果は、人と分かち合うことができ、さらに大きな信頼や喜びへつながる。

逆に「自分だけの成果だ」と思うと、孤独や慢心につながりやすい。

だから「実りの秋」という言葉には、成果を謙虚に感謝へ昇華させる智恵 が込められているのです。

どうでしたか…

「実りの秋」は収穫の時期だけではなく、努力の成果を確認する季節でもあるのです。

成果を分かち合い、感謝に変える季節、感謝が次の春の種になる季節…

「実りの秋」は、そうした循環を意識させる、日本人独特の精神文化を映した言葉なのです。

美しい日本語ですね。

秋は「感謝に変える」季節…

・神仏や自然への感謝

・周りの人への感謝

・自分自身への労い

「収穫も努力も実る秋」この秋…あなたは一番何が成長しましたか?

努力、そして感謝を繰り返し継続しましょう。


●折り紙に宿る日本人の美意識 ~紙一枚から広がる宇宙

「たかが紙一枚、されど紙一枚」

折り紙ほど、日本人の美意識を象徴する文化はないかもしれません。

海外では“Origami”という言葉がそのまま通じるほど知られ、アートや教育、さらには最先端の科学技術にも応用されています。

けれど、その根底には日本人特有の「繊細さ」「細やかさ」「技術」そして「美意識」が息づいているのです。

折り紙は「引き算の芸術」です。

折り紙の魅力は、はさみも糊も使わず、ただ折るだけで形を生み出すことにあります。つまり「足す」ことで完成させるのではなく、「制約」の中で無限の表現を生み出す。

これは日本文化全体に流れる美意識と共通しています。

例えば、茶道は「余分をそぎ落とし、一碗に宇宙を見る」

日本庭園は「石や砂だけで山水を表現する」

書道は「白い余白に言葉以上の力を宿す」

折り紙も全く同じです。

紙一枚から「いかに世界を立ち上げるか」という挑戦は、まさに日本人が得意とする「引き算の美学」そのものです。

折り紙をやったことがある人なら、途中で「ずれ」が積み重なって、最後にうまく形にならなかった経験があるはず。

わずか1ミリのズレが全体の調和を壊す。

そこに折り紙の難しさと美しさがあります。

日本人が古来から大事にしてきた「繊細さ」は、折り紙の折り目にそのまま現れます。

海外のクラフトアートが「大胆さや色彩の強さ」で勝負するのに対し、折り紙は「折り目の正確さ」「角のぴたりとした一致」に美を見出します。

この「細部へのこだわり」は、日本のモノづくりや建築、果ては最新の精密機械まで通じていると言えるでしょう。

日本人は昔から、細やかな自然の移ろいや形を折り紙に託してきました。

鶴…長寿や平和の象徴。1000羽を折って祈りを込める習慣は、単なる遊びを超えた文化です。

花…四季を映し出すモチーフ。桜や菖蒲など、季節感を紙に宿らせる発想はまさに日本的。

箱や封筒…実用性を兼ね備えた折り方。贈り物や手紙を「折る」ことで心を包み込む。

紙一枚に「心を込める」感覚。

これこそ日本人が大事にしてきた細やかさの哲学です。

そしてこの折り紙の哲学、実は21世紀の科学技術にも応用されています。

・NASAの宇宙探査機
ソーラーパネルをコンパクトに折りたたみ、宇宙空間で広げる技術は折り紙の構造がヒントになっています。

・医療技術
心臓に入れるステントや折り畳み式の手術器具にも、折り紙の折り方が活かされています。

・ロボット工学
動きをコンパクトに制御する仕組みも折り紙的発想から用いられています。

つまり日本の折り紙は「遊びや芸術」を超えて、科学の未来を拓く「知恵の源泉」でもあるのです。

折り紙を外国人に紹介すると、「なんて忍耐強いの!」「なぜこんなに正確に折れるの?」と驚かれます。

そして外国人で折り紙が上手な人はなかなかいません。

それ程に、日本人の感性と手先の器用さは特別だということ。

更に以下のような日本人独自の美意識があるからこそです。

・侘び寂び …紙という儚い素材に、永遠の祈りを託す。

・調和 … 折り目同士をぴたりと合わせることで全体が美しくなる。

・一途さ …千羽鶴のように、繰り返しの中に心を込め続ける。

まとめると、折り紙は、子どもの遊びでありながら、アートであり、哲学であり、科学であり、祈りでもあります。

「紙一枚からどこまで世界を広げられるか」

その心に日本人の美意識が凝縮されているのです。

もし外国の友人に日本文化をひとつ紹介するなら、寿司や着物も良いですが、折り紙を一緒に折ってみてください

たった一枚の紙から立ち上がる形に、きっと「日本人の美意識」を感じてもらえるはずです。


●夏の終わり

習慣から見た「夏の終わり」に心がけたい行動を考えていきます。

夏の終わりは、暑さと秋の氣配が入り混じる特別な時期なので、心身を整えることや季節の移ろいを味わうことがとても大切です。

◆「心と体を整えること」

生活リズムを整える:夏の夜更かしや乱れた食生活をリセットして、秋に備える。

体のクールダウン:冷たい物の摂りすぎで弱った胃腸を温かい汁物やお茶で労わる。

疲れのケア:夏バテを放置しないよう、早寝早起きや軽い運動で回復させる。

◆季節の変わり目を楽しむこと

夕暮れを眺める:夏の終わり特有の少し寂しげな夕焼けを感じる。

虫の音を聴く:蝉から鈴虫・コオロギへと移り変わる音に耳を傾ける。

徐々に衣替えの準備:夏物を一つ、また一つと整理しながら、氣持ちも切り替える。

◆食べ物で季節を味わう

夏の名残りを楽しむ:西瓜やとうもろこし、茄子などを味わい切る。

秋の走りを取り入れる:梨や葡萄、秋刀魚を少しずつ食卓に。でも秋刀魚は今後高騰する…

◆心を落ち着ける習慣

夏の思い出を振り返る:写真を整理したり日記に纏めたりする。

感謝や祈り:お盆や季節の節目と同じように、自然やご先祖様に感謝を伝える。(毎日やるとベスト)

夏の終わりって、どこか「寂しさ」と「安らぎ」が同居している時期ですよね。

そんな時期を「静かに味わう」か、または「次の季節への準備」のどちらを選びますか…?

①静かに味わう過ごし方

②次の季節への準備

この二つの観点で見て行くと…

1「静かに味わう過ごし方」~夕暮れを眺める

夏の終わりは空の色が変わってきて、少し切ない夕焼けが見られます。

意識して空を見上げると心が落ち着きます。

・「音を楽しむ」

蝉の声が減り、鈴虫やコオロギが鳴き始めます。その移り変わりを耳で味わうのも風情があります。

・「夏の思い出を整理」

写真をまとめたり日記を書いたりして、「今年の夏はこうだったな」と余韻に浸る。

2「次の季節への準備」~体を整える

冷たい物で弱った胃腸を、温かいお茶や味噌汁で労わる。秋に風邪をひかないためにも大事です。

・「衣替えの始まり」

夏物をしまうときに整理整頓して、秋の服を少し出しておく。氣持ちもスッキリ切り替わります。

・「秋の食材を少しずつ」

繰り返しますが、梨や葡萄、秋刀魚などを取り入れて「次の季節が来るんだな」と体で感じる。

夏の余韻を楽しみつつ、秋への扉を開くような時間にすると、とても豊かな季節の移行になりますよ。

秋に向けての切り替えは色々ありますが、秋は「陽が短くなる季節」ですから、やはり生活リズムが若干変わって来ますので、就寝を少し早めて、朝型に切り替えておくと体が楽です。

同時に胃腸のリセットです。

夏に冷たい物や甘い物を多く摂ったなら、温かい汁物・根菜料理で回復を。

旬の「さつまいも・きのこ・秋刀魚」は、消化もよくて秋に向けた体作りに最適。

夏から秋への身の回りの整理ですが、夏物の服をしまうときに不要な物は手放す…ことが肝心です。

「残すもの」と「手放すもの」を選ぶことで、氣持ちもスムーズに切り替わります。

◆「小さな秋を取り入れる」

お部屋に秋色のもの(落ち着いた布、栗や木の実など)を飾る。

お茶を冷茶から→温かいほうじ茶や玄米茶に変える→

そんな日常の小さな工夫で季節が自然に移行していきます。

◆「心の準備」

「秋にやりたいことリスト」を作ってみる。(例:紅葉散策、秋祭りに行く、秋の読書リストを作る)

新しい季節に向けてワクワク感を先に仕込むと、切り替えがスムーズです。

夏の疲れを癒しながら、「秋を楽しむスイッチ」を入れていくことが大切ですね。

「秋だからこそ楽しめること」は沢山あります。

氣軽にできるものから、ちょっと特別なものまで…

更に掘り下げ、秋になって季節の変わり目に自分を整えるためにすること。

散歩:わたしは真夏の散歩で汗を流しデトックスで体内リセットしますが、一般的には秋の朝散歩が好まれます。

空氣が澄んでいるので、朝の散歩が氣持ちいい季節です。

是非朝の散歩を習慣に取り入れてみてください。健康も運氣もきっと良くなります。

読書タイム:「読書の秋」といわれるように、好きな本を決めて秋に読み切る。

または、秋の夜長に日記をつけて、静かな時間を使って、夏からの流れをまとめる。

◆「食を楽しむ」何といっても食欲の秋です。

松茸の季節!きのこ料理に挑戦、炊き込みご飯や鍋など、脂の乗った秋刀魚を大根おろしと一緒に、香り豊かで身体も温まる。

そして新米を味わう。日本国に実る秋の新米は格別です。シンプルなおにぎりや土鍋ご飯が冴えます!

◆「季節の変化も感じられ、楽しめます」

紅葉を見に行く、近場の公園や神社でも、赤や黄色の変化を楽しめます。

そして秋祭りも行われます。

収穫祭も盛んになったり、地元の小さなイベントでも季節感を強く感じることができます。

あと「月見」ですね。

中秋の名月(お月見)に、お団子やお茶を用意して空を眺める。

日本古来の行事によって心を潤すことは、日本人としてとても大切なひと時です。

◆「芸術の秋」美術館や展覧会に行ってみる。

音楽の秋もいい、自分の好きな秋の空氣に合う音楽を、お酒と共に楽しむ。

◆「自然の写真を撮る」秋の空、紅葉、月などを撮影して記録に残す。

秋は「食・文化・自然」が一度に味わえる豊かな季節です。

秋は短いから、精いっぱい楽しまないと。

ただでさえ短い秋ですが、温暖化の影響によって、更に秋は短くなっています。そのチャンスを見逃さないように。

秋はわたしの大好きな季節ですが、特に健康に氣をつけているので、個人的には食事への興味も大きいです。

◆最後は「秋におすすめの健康を意識した食事」について。

夏に冷たいものを摂って弱った胃腸を回復させるのが大事ですから、きのこ類(しいたけ・しめじ・まいたけ)

食物繊維と免疫力アップ。

根菜(さつまいも・れんこん・ごぼう):消化を助け、体を内側から温める。

味噌汁にも、きのこと根菜を一緒にすると、腸も心も整います。

・秋の旬でエネルギー補給を!

新米(玄米):栄養が豊富でエネルギー源に。

栗・銀杏:ミネラルが豊富で、疲労回復に役立つ。

梨・葡萄・柿:水分とビタミンを補給し、乾燥しがちな秋の喉を潤す。

・血流をよくする食材も!

秋は朝晩冷えるので、血行を促すものを取り入れると良いです。

生姜・ねぎ・にんにく:薬味で温め効果アップ。

秋刀魚・鯖・鮭などの青魚:DHA・EPAで血液サラサラ。

・季節の変わり目に効く飲み物

温かい番茶やほうじ茶:胃腸に優しくカフェイン控えめ。

生姜湯・ゆず茶:身体を温めつつ香りでリラックス。

簡単おすすめ献立は、きのこと秋刀魚の炊き込みご飯や、れんこんとごぼう入りの味噌汁。

「秋の特別な一品」で、健康も意識しながら旬をしっかり楽しめる料理は「松茸ご飯」が王道でしょう!

もちろん秋刀魚の塩焼き・大根おろし添えも秋の王道!

きのこと栗の炊き込みご飯は、きのこの香りと栗のほくほく感で「秋らしさ」を一氣に感じられる一品です。

食物繊維とミネラルが豊富で、腸と疲労回復に!

れんこんは咳を鎮め、喉や肺を潤すといわれる秋の養生食材。

鮭ときのこのホイル焼き。

鮭のアスタキサンチン(強力な抗酸化成分)が疲労回復に役立つ。

ホイルで蒸し焼きにすると油控えめでヘルシー。

柿と大根のサラダも良い!柿はビタミンCが豊富で免疫力アップ。

柿は少し早いかな…?あれば一緒に。

大根と合わせると爽やかで、こってり料理の箸休めにぴったり。

どれもシンプルに作れるけれるのに、秋の味覚をしっかり味わえるものばかりです。

正に、野菜・魚介で楽しむ秋の養生料理です。

日常向け(簡単・養生・毎日食べやすい)食を纏めます。

きのこの味噌汁→ しめじ・しいたけ・まいたけを入れて、腸と免疫を 整える定番。

れんこんと、ごぼうのきんぴら→ 食物繊維たっぷりで血糖値の安定にも。

秋刀魚の塩焼き→ 焼くだけでDHA・EPAを効率よく摂取。大根おろしを添えると胃腸に優しい。

梨や柿をそのまま食後の果物に→ 消化を助けつつ、乾燥対策とビタミン補給。

書いていると無性に食べたくなってきましたので、このあといただきます。では(笑)


●9月9日は重陽の節句(ちょうようのせっく)

日本では奇数が重なる月に、おめでたい行事があります。

1月1日、3月3日、5月5日、7月7日など…

9月9日になると突然馴染みがなくなりますが、日本の五節句のひとつで重陽の節句にあたります。

数字の「九」が重なることから「重陽」と呼ばれ中国から伝わったといわれているものの、日本で独自に発展した行事です。

陰陽思想では、奇数=陽数、偶数=陰数とされます。

九は一桁の数字で最大の「陽」数で、9月9日は「陽が重なる日=重陽」

中国では奇数が重なる日を陽の極まりは不安定さや転換をも意味し、縁起の悪い日とし邪氣を祓う行事が生まれたのですが、日本では「縁起が良い日」のイメージで定着しています。

重陽の節句は、奈良時代には盛んに行われ、長寿の象徴の花である菊を用いて菊を飾り菊酒を飲む行事として定着。

平安時代には貴族たちが「菊の宴」を催し、和歌や管弦を楽しみました。

江戸時代には五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつとされ、広く祝われました。

人日(じんじつ)の節句は1月7日。

「七草の節句」とも呼ばれ、冬の健康を願って7種類の野草(七草)を入れた七草粥を食べます。正月料理による胃腸の疲れを癒す目的もあります。

上巳(じょうし)の節句は3月3日。

「桃の節句」「ひな祭り」として知られ、主に女の子の健やかな成長を願う行事です。

桃の花や、蓬(よもぎ)などを供えたり食べたりします。

端午(たんご)の節句は5月5日。

「菖蒲(しょうぶ)の節句」とも呼ばれ、男の子の成長を祝う「こどもの日」として広まっています。

菖蒲の葉を飾り、ちまきや柏餅などの行事食を食べます。

七夕(しちせき/たなばた)は7月7日。笹の節句、星祭り。

裁縫や習字などの上達を星に願う中国の「乞巧奠(きっこうてん)」と、日本古来の「棚機(たなばた)」が結びついて広まりました。笹竹に願い事を書いた短冊を吊るす風習があります

重陽の節句の日本的な特色は、菊の花びらを浮かべた酒(菊酒)を飲む → 邪氣を払い、長寿を祈る。菊湯や菊枕 → 菊の香りで厄除けや安眠を願う。

栗ごはんや秋茄子 → 秋の収穫に感謝する食文化も加わった。

特に江戸時代以降は「栗の節句」とも呼ばれ、農村では豊穣祭と重なりました。

他の節句(七夕や端午など)に比べて影が薄いですが、長寿や健康を願う日として復興の動きもあります。

菊の花は日本では仏花や葬儀のイメージが強くなり、祝いの日から離れてしまったのも理由のひとつ。

しかし本来は「高貴・長寿・繁栄」を象徴する吉祥の花です。

重陽の節句は、陰陽思想と菊の生命力に基づく「長寿祈願の日」です。

現代でも「菊を愛で、健康長寿を願う、五節句の一つです」。

古代の習慣を今に取り入れ9月9日を豊かに過ごすには…

1. 菊を飾る。

白・黄・紫などの菊を床の間や玄関に。

菊の香りには空氣を清める作用があるとされ、邪氣払いの意味があります。

2. 菊酒をいただく。

菊の花びらを清酒に浮かべて飲む。

本来は「菊の露を含ませた綿で体を拭う」という風習(「被せ綿」)があり、そこから転じて酒に浮かべるようになりました。

日本酒の代わりに白ワインやハーブティーでも応用できますが、基本的には日本の行事は日本のお酒がいいですね。

3. 菊湯・菊枕。

乾燥させた菊の花を布袋に入れて入浴(香りでリラックス)。

枕に菊を詰めると安眠・長寿の効果があるとされました。

4. 季節の食べ物。

栗ごはん:江戸時代から「栗の節句」と呼ばれた由来。

秋茄子:「秋茄子は嫁に食わすな」との言葉もあり、滋養強壮の象徴。

菊花のおひたし・酢の物:食用菊は解毒・抗酸化効果があります。

菊と薬効について一言。

菊は単なる観賞花ではなく、古来「薬草」として珍重されてきました。

中国の薬学(本草学)『神農本草経』に「菊は久しく服すれば身軽く老いず」と記録。

「延年益寿(寿命を延ばす)」の花とされました。

漢方における菊花は、解熱、解毒、頭痛・目の疲れ・高血圧に効果的だといわれています。

「菊のお茶」も体に良いです。

江戸時代の日本の薬草書にも「目によし、風邪に効く」と記録。

食用菊(もってのほか・阿房宮など)は新潟・山形で盛んに食される。

重陽の節句は、菊を愛でる → 邪氣払いと長寿祈願。

菊を食べる・飲む → 健康維持。

栗や茄子を味わう → 秋の実りに感謝。

現代人にとっては、「秋の健康と長寿を祝う日」 として復活させると良いと思われます。

最後に「茄子」に因んだ雑学を…

4.の季節の食べ物で、「秋茄子は嫁に食わすな」との言葉があり、滋養強壮の象徴、とありましたが…

秋茄子は嫁に食わすな」という諺は、日本でもよく知られていますが、実は二通りの解釈が存在します。

1、「嫁に食べさせるのは惜しい」説。

秋茄子は夏の盛りを過ぎて実がしまって、とても美味しい。

だから、家に来たばかりの嫁に食べさせるのはもったいない。

嫁=他人の家から来た人なので、家族より優先する必要はない、という姑のやきもちや意地悪を表している→ この場合は「美味しいものだから嫁に食べさせない」という意味。

2,「体に悪いから食べさせるな」説。

茄子は体を冷やす野菜。秋茄子はとくに実が締まり、種が少なく消化にやや重い。

昔は「子を産む大事な体」を持つ嫁を氣遣って、冷えやすい茄子を食べさせないようにした。

こちらは「嫁の体を思いやる優しい戒め」の意味。

この場合は「体を守るために嫁に食べさせない」という解釈。

どちらが正しい?

両方とも民間で伝わった解釈で、地域や時代によって受け取り方が違いました。

江戸時代の諺辞典などでは1、「惜しいから食べさせない」説が多い。

近代以降は2、「体を氣遣う」説も広まり、「嫁いびり」だけではない柔らかな解釈もされています。

結論としては、どちらも正しいとされますが、昔の庶民感覚に近いのは1、「美味しいから食べさせない」説。

今の世に合う説明としては2,「体を思いやる」説。と覚えると分かりやすいかも知れません。

以上、重陽の節句にまつわる話でした。


●日本の花火師~職人技と歴史が織りなす夜空の芸術

日本の花火は、ただの夏の風物詩ではありません。

それは、数百年にわたる職人の技術と情熱、そして歴史が織りなす、唯一無二の芸術です。

今回は、日本の花火師の世界に迫り、その魅力を深掘りしてみましょう。

・特別な技術と伝統

花火師は、代々受け継がれる技術と知識を持つ職人です。

例えば、花火の色を出すための金属粉の配合や、火薬の調整は、長年の経験と勘に基づいています。

これらの技術は、家族や弟子に口伝えで伝えられ、時には秘密のレシピとして守られています。

ある花火師は、長年の修行の末に「色の魔術師」と呼ばれるようになりました。

彼の作る青色の花火は、他の追随を許さない美しさで、観客を魅了しました。

しかし、その配合は一切公開されることはなく、弟子たちもその秘密を知ることはありませんでした。

【引き継ぐではなく、現場で盗め】
これをモットーにしていた彼の究極の職人魂。

一瞬で散る花火のように潔い熱い想いが伝わるエピソードですね。

ちなみに
世界的にも高技術な日本の花火は、主に3つの火薬から成り立っています。

打ち上げ用の火薬、花火を爆発させるための割薬、そして光を放つ「星」と呼ばれる火薬です。

これらの火薬は、玉皮と呼ばれる球形の筒に詰められ、上空で美しい花を咲かせます。

花火の色は、「炎色反応」と呼ばれる化学反応によって生まれます。

例えば、ストロンチウムを含む薬剤は赤色、バリウムは緑色、銅は青色の光を放ちます。これらの金属を適切に配合することで、様々な色の花火を作り出すことができます。

・花火師の修行と資格

花火師として一人前になるには、長い修行と経験が必要です。

一般的には、約10年間の下積み経験を積むことが求められます。修行期間中は、玉貼りや星掛けなどの基本的な技術を習得し、徐々に高度な技術へと進んでいきます。

また、花火の打ち上げには資格が必要です。

具体的には、「炎火消費保安手帳」や「火薬類取扱者免許」などが求められます。

これらの資格は、安全に花火を取り扱うための知識と技術を証明するものであり、花火師としての信頼性を高めるものです。

最後に…
わたしが個人的に好きな長岡花火が先日開催されました。

長岡花火は復興と平和の象徴。

新潟県長岡市で毎年8月2日と3日に開催される大規模な花火大会で、日本三大花火大会の一つとして知られています。

その歴史は、1945年大東亜戦争敗戦後、戦災からの復興を願って始まりました。

特に有名なのは、「フェニックス」と呼ばれる復興祈願花火です。

これは、戦災で失われた長岡の街が再生し、平和が訪れることを願って打ち上げられています。

戦後80年間、毎年長岡の夜空いっぱいに打ち上がる大輪の花火は圧巻です。

高さ200メートルを超える大玉が夜空を彩り、その壮大な光景は観客を圧倒します。

また、長岡花火では、花火師たちが腕を競い合う「競技花火」も行われます。

これらの花火は、色彩や形状、音響などの演出が評価され、優れた作品には賞が授与されます。

花火師たちは、長年の経験と技術を駆使して、観客に感動を与える作品を作り上げています。

【花火で初めて泣いた】
と言う人が最も多い長岡花火。

ユーチューブにも挙がっていますので見たことがない方はぜひご覧ください。

日本の花火には、様々な種類があります。代表的なものには、以下のようなものがあります。

割物(わりもの):上空で花が開くタイプの花火で、最も一般的です。

芯物(しんもの):中心に芯が残るタイプの花火で、立体的な形状が特徴です。

ポカ物:音を重視した花火で、音響効果が楽しめます。

曲導(きょくどう):音楽と連動して打ち上げられる花火で、演出効果が高いです。

これらの花火は、打ち上げのタイミングや形状、色合いなどを工夫することで、観客に感動を与えることができます。

日本の花火は、ただの娯楽ではなく、職人たちの技術と情熱、そして地域の文化が息づく、深い歴史と意味を持つ芸術です。

次回花火大会を訪れる際には、その背後にある物語や職人たちの思いにも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

今までとはまた違った感動が夜空を覆う事でしょう。


●お盆(おぼん)とは

お盆は、日本古来からの古い行事と外来の仏教が融合したものですが、今では「日本独自の良さ」もありますので、日本の良さをお知らせするナショナルTIMESにも記載しておきます。

お盆の発祥は、仏教と日本古来の祖霊信仰が融合したもので、起源は古代インドの仏教行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」にあるといわれています。

「盂蘭盆会」の語源はサンスクリット語「ウランバナ(उलम्बन)」で、「逆さづりの苦しみを救う」という意味があります。

起源は、釈迦の弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ / マウドガリヤーヤナ)が、亡き母が地獄で苦しんでいるのを知り、仏の教えに従って供養をしたところ、母を救うことができたという故事に由来します。

この話から、「先祖の霊を供養すれば極楽へ導ける」という教えが広まり、仏教行事として定着しました。

◆ 日本への伝来と発展

日本には飛鳥時代(6~7世紀頃)に伝来したといわれています。

平安時代には宮中行事として定着。

その後、日本に古くからあった祖霊信仰(先祖の霊が家に戻ってくるという信仰)と融合する。

特に江戸時代には、現在のようなお墓参り・迎え火・送り火・盆踊りなどの風習が庶民の間に広まりました。

◆ 現代のお盆行事の構成

・迎え火=(8月13日頃)祖先の霊を家に迎える。

・お墓参り=祖先の供養。

・精霊棚=(しょうりょうだな)仏壇の前に供物や花を飾る。

・盆踊り=先祖の霊を慰める。

・送り火=(8月16日頃)霊をあの世へ送り返す。

◆ お盆の時期

一般には8月13日〜16日(旧暦7月15日前後)

地域によっては、7月に行う(新暦7月13〜16日)があります。

◆簡単な流れは→

起源=インドの仏教行事「盂蘭盆会」→

日本伝来=飛鳥時代→

影響した信仰=仏教+日本の祖霊信仰→

現代の形=墓参り・精霊棚・盆踊りなど…

◆ お盆の意味と良いところ

① 先祖を敬い、命のつながりを感じる機会

先祖供養を通じて、自分が今ここに存在するのは多くの命の積み重ねによるものだと実感。

お盆は、亡くなった先祖の霊を迎え、感謝と供養をする日本の伝統行事。

忘れがちな「敬う心」「感謝の心」を再認識する場でもあります。

「命は自分一人のものではない」という感覚が、謙虚さや感謝の心を育てる。

② 家族の絆を深める時間

家族で集まり、「ありがとう」「会いたかった」という思いを伝える場に。

家系・命のつながりを意識し、自分のルーツに感謝する機会になります。

実家に帰省し、親や親戚と過ごす時間は、世代を超えた交流の機会。

現代社会で希薄になりがちな「つながり」を再確認できる貴重な時間です。

子どもたちにとっては、祖父母や親戚とのふれあいを通じて、ルーツや文化を学ぶ機会。

家族が先祖の話を語ることで、世代間のつながりや思い出の継承が自然に行われる。

③ 地域・共同体のつながりを育む

盆踊りや地域行事に参加することで、地域社会とのつながりが強化される。

「迎え火」「送り火」などの伝統行事を一緒に行うことで、地域の一体感が生まれる。

地域の高齢者や子ども同士の交流の場にもなり、世代を超えた支え合いが育まれる。

④ 心のリセットと精神的癒し

祖先と向き合うことで、日々の生活の中で忘れがちな感謝・謙虚さ・原点回帰の心を取り戻す。

静かに手を合わせたり、神棚や仏壇やお墓を掃除したりすることは、心を整える時間。

忙しい現代人にとって、「立ち止まる習慣」としての価値があります。

お盆を体験することで、子どもたちに日本の文化・風習を伝えることができます。

季節の行事として、年中行事のリズムを感じる感性も育ちます。

一度途絶えると戻せない文化を守ることにもつながります。

お墓参りや静かな時間の中で、故人と心を通わせるような時間が精神の癒しになる。

特に、忙しい日常を送る現代人にとって、心を整える貴重な「間(ま)」となります。

⑤ 文化や伝統の継承

精霊棚(しょうりょうだな)、提灯、精進料理など、季節感や日本らしい美意識にふれる。

盆踊りの歌や踊りを通して、民俗芸能や方言、地域の文化が次世代に伝えられる。

生と死を自然に受け入れる感覚(死生観)や継承を身につけることは、人生を豊かにします。

死を恐れるだけでなく、「どう生きるか」を考えるきっかけになります。

子どもたちにとって、「日本人としての原点」を体感できる貴重な行事。

「命の循環」の理解も深まります。

◆ お盆がもたらす価値をまとめると。

個人 命のつながりを実感、感謝、癒し、原点回帰。

家族 絆を深める、世代間交流、思い出の共有。

地域 地域行事によるつながり、文化の継承。

社会 伝統文化の維持、コミュニティの活性化。

◆ 現代への応用・意味

・高齢化・核家族化が進む今こそ、お盆は「孤独の反対」を体現する文化。

・オンライン墓参り・リモート供養など、現代技術と融合して新しい形も生まれている。

・忙しい日常から少し離れて、「心のふるさと」とつながる時間。

◆結論

お盆は、心を整え、つながりを思い出す「日本人の知恵」。

亡くなった方を思い、命のつながりを感じる大切な期間です。

迎え火・送り火を家族で焚いて、ご先祖様の霊を丁寧に迎え入れ、送り出します。

神棚や仏壇やお墓の掃除・お供えを通して、感謝の氣持ちを表します。

伝統的な食事を味わう。おはぎ、精進料理、そうめん、野菜の煮物など、お盆にちなんだ料理を楽しみましょう。

やはりここでも日本の行事で肉食はありません。

夏の風物詩ともいえる盆踊りは、誰でも参加できる伝統的なイベントです。

浴衣を着て出かけるのも、お祭り氣分を高めます。

灯篭流しはご先祖様への感謝と祈りを込めた幻想的な行事。

花火大会も、お盆ならではの楽しみの一つです。

子どもたちと伝統を学ぶ機会にするのも、お盆の役目。

精霊馬(きゅうりの馬、なすの牛)を一緒に作って、由来を話してあげる。

お盆は「心をつなぐ」時間です…

ご先祖様への感謝、今生きていることへの感謝、そして、にぎやかに笑い合う時間もまた、ご先祖様が喜んでくれる「供養」になります。

お盆は単なる「夏休み」ではなく、人としての在り方や心の持ちようを見直す貴重な時間。

よって、お盆は現代でも失うべきでない、日本独特の行事に変化して行った大切な習慣・文化だと言えるでしょう。


⚫日本の世界一

小さな島国、日本。

されどその中身は「規格外」のものがとても多いのです。

人口1億2000万人の日本。

面積にして世界の僅か0.3%。

しかし我が国が生み育んできたものは「唯一無二」かつ「世界一」のオンパレードです。

それはテクノロジーや経済だけではありません。

歴史、建築、芸術、寿司、アニメ、そして「会社そのもの」に至るまで、日本には世界のどこにもない深さと古さと細やかさが息づいています。

今日はその中から三つご紹介します。

1. 世界最古の国家、日本

このナショナルタイムズでも過去に何度か取り上げていますが、

日本は、地球上で最も古く、最も長く続いている唯一無二の国家です。

建国は紀元前660年(神武天皇即位)で、2025年現在で「建国2685年」とされています。

日本は一度も王朝交代がなく、世界唯一の万世一系(同一家系が続く皇室)であります。

これは世界中の歴史学者が認める「奇跡」。

例えば、現在の国家体制が続いた年数で比べると…
イギリス 約400年
中国 約74年
アメリカ 約249年。

もちろん、日本も戦国時代、明治維新、敗戦と国家の形は変わりました。

しかし「天皇制という血統と象徴が一度も断絶していない」というのは世界的に見て、極めて類まれなる事です。

我々日本人は、世界最古の国に生きているという事を誇りに持ちましょう。

2. 世界最古の企業、日本

歴史好きの間では有名ですが、世界最古の企業は実は日本にあります。

世界最古の企業

名称:金剛組(こんごうぐみ)
創業:西暦578年
なんと…1400年以上の歴史を持つ!

創業は飛鳥時代。

聖徳太子がまだ健在だった頃です。

この会社は、飛鳥寺や四天王寺の建築を担当した「宮大工の集団」としてスタートし、今も建築会社として存在しています。

世界最古の企業、実はTOP3は全て日本です。

第二位 池坊花道会 587年創業 ※金剛組と同率一位!

第三位 慶雲館(旅館) 705年創業

古まん(旅館) 717年創業

善吾楼(旅館) 718年創業

五位堂工業株式会社 794年創業

田中伊雅仏具店 885年創業

中村社寺 970年創業

一文字屋和舗(和菓子) 1000年創業などなど

挙げるときりがないほど、日本には創業1000年以上の企業が7社もあり、これも世界トップです。

日本独自のおもてなしの精神、繊細な技術、丁寧なものづくりはこの様な歴史の中、古から受け継がれ培われたものなのですね。

会社の存続とは、理念の存続。

八百万の神の精神や、おもてなしの心を持つ大和民族だからこそ、何千年と受け継がれる理念。

企業の存続の長さこそ、日本人の精神性の高さを表しています。

3. 世界一の創作料理、日本

世界一繊細と言われる和食。

和食は1ミリの中に美学があり、その繊細な盛り付け、味付け、余韻を含んだ旨味が世界中を魅了し、見る、食べる、楽しむ三つ巴の食であります

その中でも、「1ミリが生きる美学」それが「寿司」です。

「SUSHI」はもはや英語であり、世界共通語になった料理。

けれど、日本の寿司は単なるグルメではありません。

僅か【1ミリ、1グラム、一度】に拘った究極の芸術品とも言えます。

例えば
・魚の温度管理(±1度で味が変わる)

・酢飯のpHバランス(4.6前後)

・包丁捌きの圧、シャリの握り圧(30g±1g)

職人の感覚と、科学の境界線を極限まで突き詰めた、食の工芸ともいえる素晴らしい技術。

それが寿司職人には求められます。

この繊細な感覚は日本人にしか表現出来ないと言われています。

例えば、フランス料理が「レシピの芸術」なら、寿司は「感性の芸術」。

計量ではなく、【指の記憶】や【肌の記憶】がモノを言う!

それが我が国の伝統食【寿司】です。

こんな話をしていたら、お寿司が食べたくなって来ました。笑

寿司、桜、富士山。
日本人はこの三つが大好きな民族、わたしも例外なくです。

終わりに。

この様に、日本の【世界一】は、「技術や計算」ではなく「感性や哲学」にあります。

確かに日本人には、器用さ、正確さ、緻密さという【スペックとしての世界一】が多く存在します。

けれどその根底にあるのは、【数字では測れない感受性】です。

つまり日本の世界一は、【記録】にも【記憶】にも残る、唯一無二であると言えるでしょう。


●「日本人が優れている感覚」

誇りを持てる日本人の感覚や価値観「優れている」「際立っている」「特徴的で評価されている」という部分はたくさんあります。

簡素にまとめ順に羅列すると…

(しかし今では、このような感性の日本人は減っていますが、一部の敏感な人は現在です)

1. 他人を思いやる「空氣を読む力」

相手の氣持ちを察して行動する「忖度」や「氣遣い」の文化が進化しています。

よって無言の内に調和を大切にする姿勢は、外国人にとっては非常に繊細で独特に映るようです。

2. 集団意識と協調性

「和を以て貴しと為す」という有名な言葉に宿る精神は、自己主張よりも集団の調和を優先するという意味です。

災害時などでも秩序を守る姿勢は、世界から高く評価されています。

国によっては、災害時に強盗が盛んになったりますから。

3. 清潔で衛生意識が高く、手洗いやマスクの習慣など日本人は当たり前と思っていますが、外国人によっては美しさが際立っている、というふうに捉える傾向が強いのです。

以前にも触れましたが、時間に対する正確性も日本人特有の美しさの一環です。

5. 丁寧さ・真面目さ

小さなことでも手を抜かず、最後まで丁寧に仕上げる。

サービスや接客の質は世界トップクラスです。

6. 職人精神(ものづくりへの執念)

細部にこだわるクラフトマンシップ。

自動車、精密機器、刃物、陶芸、和菓子など、多様な分野で世界を驚かせています。

7. 美的感覚と自然観

これに近いことも以前にいっていますが、四季の移ろいを敏感に感じ取り、生活や行事、食に取り入れる。

また、「侘び寂び」など、静けさや不完全さの中に美を見出す独自の美意識も日本人ならではです。

8. 教育・読み書き能力

複雑な漢字や敬語を正確に使いこなす言語能力。

例えば、数字の読み方一つとっても、一日(ついたち)
二日(ふつか)
五日(いつか)
六日(むいか)
七日(なのか)
八日(ようか)
九日(ここのか)などは、外国人は簡単に読めない。
日本は子どもも読める。

「二日経って、今日一月一日は、日曜日。日本は祝日、晴れの日です」など

同じ字でも発音が異なる。
それは外国人から見れば難解です。

他に、義務教育による識字率の高さや、数学的素養も世界上位です。

日本の数学力は実は凄いですから。

日本語に比べて英語は分かりやすく複合的な言葉が少ないので覚えやすいですが、外国人が日本語を覚えるのは大変だと想像できます。

9. 責任感と忠誠心

自分の役割に責任を持ち、会社や社会への忠誠心が強い。

「自分さえよければいい」とならない精神。そんな日本人がもっと増えるといいですね。

10. 自然災害に対する精神力と規律

地震・津波・台風といった災害が多い中でも冷静さを失わず、互いに助け合う文化。

東日本大震災の時に見られた秩序正しい行動は世界に衝撃を与えました。

◆その上に更に日本人は「機微」が優れている。

機微は、日本文化の繊細さや精神性に根ざしたものです。

微妙で繊細な心の動きや、人間関係のニュアンスへの感受性が敏感なのです。

11. 「察する力(察しと思いやり)」

言葉にされない氣持ちを読み取る文化。

「言わなくても分かる」や「空氣を読む」といった感性。

外国では自己主張が重視される一方、日本では沈黙や遠慮の裏にある真意を察する能力が求められます。

実はそれも人間としての高い能力なのです。

12. 「和を乱さない精神」

自分の感情や意見を抑え、場の調和や全体の空氣を優先する。

対立を避け、穏便に物事を進めようとする文化は、他国にない高度なバランス感覚。

相手に恥をかかせないようにする配慮などもその一環で日本人独特の機微。

13. 「礼儀と場の空氣を読む力」

会話の間合い、声の大きさ、目線、立ち位置まで考慮する「間」の感覚。

お辞儀一つにも意味が込められており、非言語コミュニケーションの質が極めて高い。

14. 「あいまいさを美徳とする文化」

はっきり言わずに、「それとなく」伝える言葉選びの巧みさ。

「検討します=断り」や、「ちょっと難しいですね=ほぼ不可能」などと、婉曲表現を使いこなす文化的洗練。

外国人にはしばしば誤解されるが、これは非常に高い文脈依存型の機微なのです。

15. 「四季や自然に対する繊細な感受性」

桜の開花、虫の声、紅葉、初雪など、自然のわずかな変化に美を見出し、それを文学や詩、唄、料理、衣替えなどに反映する。

これは季節の機微を暮らしに取り入れる文化的感性で、国際的に稀有な特徴です。

16. 「謙虚さと控えめの美学」

自己主張を控え、「自分はまだまだです」と語る態度が評価される文化。

これは自他の立場を客観的に見て、自分を下げることで相手に敬意を表す機微であり、極めて日本的。

17. 「人の心の裏表を読み解く力」

表の笑顔の裏にある本音、遠回しな言葉の真意などを読み取る能力。

特にビジネスや人間関係においては、対人距離と心理の繊細な調整が重要視される。

18. 「沈黙の意味を理解する」

西洋では沈黙は「コミュニケーションの欠如」と見なされがちだが、日本では沈黙は時に最大のコミュニケーションという側面がある。

無言のまま共有される感情や了解には、日本人ならではの深い機微がある。

日本人にはなぜこのような感覚が育ったか?

島国・単一民族・農耕社会という歴史的背景の中で、争いを避ける・同調する・氣を配る文化が発展しました。

多民族国家のように「違いを主張し合う」のではなく、「違いを飲み込み、そっと合わせる」文化が育まれました。

日本国が生み出した環境の中で産まれた日本人は、機微の力が他国より発達しました。

日本人の機微は、「目に見えないものを大切にする力」であり、日本人の心の洗練度・感性の高さとも言えます。

他国の文化と比較しても非常に繊細で、時に詩的・哲学的な深さを持つ、世界でも類を見ない価値観です。

そんな日本人に好意を持つ外国人が急増し、日本国を氣に入る外国人が増えているのです。

日本人が日本の機微や習慣を忘れずに、これからも美しい日本国をしっかりと守っていきましょう。


●日本人の隠された能力 その二「共鳴力」

日本人は【集団における共鳴力】が他民族と比べて非常に高いのをご存知ですか?

日本人が無意識に発揮している最大の能力は【集団内同調力】。

つまり生理的であり心理的な共鳴能力です。

他者に自然と同調する力が高いため、弱者やどうぶつにも優しい民族であることが特徴です。

時に同調圧力という言葉もありますが、これは日本人の同調力を誤った方向に使うと起こる現象です。

「和をもって貴しとなす」

これは、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出て くる言葉。

「何事をするにも、みんなが仲良く、いさかいを起こさないのが良いということ」を意味し、「争うのではなく話し合いで解決しなさい」「身勝手に振舞うではなく、相手の立場に立ちなさい」というメッセージでもあります。

古からの周りへの思いやりの心に加え、最近の研究では、集団瞑想や集団呼吸法において、日本人は欧米人に比べて副交感神経優位への切り替えが早いという結果が出ました。(京都大学 心理学部2021年)

これはつまり【集団において共鳴しやすくパフォーマンスを上げる能力に長けている】とも言えます。

個がバラバラに動くではなく、個の突出ではなく、場の空氣を読む、共鳴する、調和するという能力が日本人には備わっています。

たとえば、日本人は集団で同じリズムをとる事で、心拍数や呼吸がすぐに同調しやすいなど。

これが体現されているのが、日本特有の【盆踊り】です。

不思議ではありませんか?

事前に踊りの練習をしている訳でもなく、誰かが指示している訳でもないのに、みんなが不思議と脚を揃え、手を挙げ、くるりと回る。

「盆踊りって、練習しなくてもできちゃうよね」。
この何気ない感想には、日本文化の深い特徴がにじみ出ています。

盆踊りを最初から最後まで「踊り方の説明書」を読んで覚える日本人はいません。

大人も子どもも、なんとなく周囲の人を見て、手振り素振りを真似をしながら動いていると、氣付いたら阿吽の呼吸で出来るようになっています。

こうして見てみると、日本人に備わった「隠された能力」は、決して古い習慣や過去の遺物ではありません。

むしろ、これからの社会、AIやグローバル化、環境変化の時代においてこそ、再評価されるべき【他民族には無い特殊な能力】だとも言えます。

大切なのは、それに氣付いて、自覚的に使えるかどうかです。

わたし達の中には、うま味を感じる特別な味覚も、集団で瞬時に共鳴し合う特別な能力も、すでに眠っています。

日本人の叡智は、失われてなどいません。

ただ氣付いてない、使われていないだけなのです。


●日本人の腸は優秀

「日本人の腸は優秀」と言われることがありますが、これはいくつかの観点から言及されることが多いです。主な理由は…

1「 海藻を消化できる特殊な腸内細菌を持つ」

日本人の腸内には、海苔や昆布などの海藻を分解する酵素を作れる腸内細菌が多いと言われています。

これは、昔から海藻を多く食べる日本の食文化が関係しており、腸内細菌が食事に適応して進化した結果と考えられています。

日本人は海藻を分解する独特の腸内細菌を持っています。
日本人は昔から海藻(昆布・ワカメ・ひじきなど)を多く食べてきました。

その結果、海藻に含まれる多糖類(ポルフィランなど)を分解できる酵素を持つ腸内細菌がいることがわかっています。

これは、日本人に特有の腸内細菌であり、欧米人の腸にはほとんど存在しません。
海藻を「栄養としてしっかり吸収できる」という点で、腸の適応性が高いと評価されています。

2「発酵食品文化との相性が良い」

納豆、味噌、漬物、醤油など、日本食は発酵食品が豊富です。それは高温多湿の国だったから!

一見、湿度が高くジメジメしていると思いがちですが、それこそが日本人の長寿や健康の秘訣だったのです。

発酵食品は腸内環境を整える善玉菌を増やす効果があり、長年そういった食生活を送ってきた日本人は、腸内フローラ(腸内細菌の集まり)も多様で安定しているとされます。

よって発酵食品への適応力が進んでいるのです。日本人は発酵食品を多く摂取してきた民族です。

発酵食品は腸内の善玉菌(ビフィズス菌など)を増やす効果があるため、腸内環境が整いやすいのです。

特に日本人は、高齢者でもビフィズス菌の比率が高く保たれているという研究もあります。

3「遺伝的要因も関与」

ある研究では、日本人は他の民族に比べて炭水化物をよく分解するアミラーゼ(酵素)の遺伝子コピー数が多いという結果もあります。

これは、米(玄米)を主食にしてきたことと指摘されています。

そんな米(玄米)などの穀類が酵素に多様性を与えました。

伝統的な和食は、穀物・野菜・豆類など植物性食品が中心です。
それらを消化するための酵素の発現が多様だということが分かっています。

例えば、大豆を分解する酵素や米のデンプン分解酵素の活性が高いと言われます。
ですから人間の健康の基本である酵素が優れているのです。

4「日本人特有の腸内フローラ(腸内細菌叢)」

欧米人と比べて、日本人は腸内にPrevotella属など、植物繊維を分解しやすい菌が多く見られます。

これは、食物繊維を豊富に含む伝統的な和食に長年適応してきた結果と考えられます。

日本人の腸は、他の国の人々と比べて「特定の点で適応的に優れている」と言われるのは、獣肉など食べない日本の伝統的な食生活が優れていたために、腸内環境や消化機能その適応力によって優れて行ったのです。

但し注意点があります!
現代の日本人の食生活は西洋化(肉食化)が進み、腸内環境は必ずしも昔ほど「優秀」とは言えなくなっているのです。

従ってガンや梗塞系、リウマチ、糖尿、アルツハイマー型認知症などの西洋病が食物と共に輸入され、日本人も同じ病気に大量疾患しています。

中でも肉食化は大きな没落の要因です。

西洋型の加工食品や肉食などの高脂肪食が増えると、腸内の善玉菌が減り、健康リスクも高まるため伝統的な和食の見直しが急速に重要です。

外食ではなく、個人の食卓の力を上げて元氣な頃の日本人を取り戻してください!

改めて日本人が西洋食との相性が悪い理由は、なんと言っても「腸の構造上の違い」です。

日本人の腸は「動物性脂肪や加工食品、乳製品中心の食事」にはあまり適応していないため、
下痢、便秘、腸内フローラの乱れ、炎症性腸疾患の増加などが、食の欧米化(肉食化)にともなって日本で増加しています。

「日本人の腸は西洋食によりダメージを受けている」という指摘は、現代の栄養学や腸内環境研究でも度々言及されています。

日本人の腸と西洋食は元々相性が悪いのです。西洋人とは腸の構造も長さも違う!

① 腸内細菌が変化してしまう

日本人の腸内は本来、発酵食品・海藻・野菜・魚中心の和食に適した細菌バランスを持っていました。

しかし、欧米型の食事いわゆる肉食の(高脂肪・高タンパク・低食物繊維)を続けると、善玉菌が減り、悪玉菌や日和見菌が増えることがわかっています。

特に、バクテロイデス属など欧米人に多い腸内細菌が優位になると、炎症(癌)や腸内環境の悪化につながります。

② 食物繊維不足

和食に比べて、肉、ハンバーガーやピザ、パスタ、揚げ物などの西洋食は食物繊維が極端に少ないです。

食物繊維は善玉菌のエサになり、短鎖脂肪酸という腸の健康を保つ成分を作るのに必要です。

食物繊維が不足すると、腸の粘膜バリアが壊れ「腸漏れ(リーキーガット)」のリスクが上がります。

今の日本人の多くが腸に微細な穴が開くことによる病人が多い。

③ 乳糖不耐症と乳製品の問題

日本人の多く(約80%)は遺伝的に乳糖を分解する酵素(ラクターゼ)が少ないため、牛乳やチーズなどの乳製品で腸に負担がかかりやすい。

西洋では乳製品をカルシウム源だと言い張る国が多いですが、日本人には合わないことが多く、下痢・ガス・腹痛などを引き起こすことがあります。

④ 加工食品・添加物の増加

現代の食生活には、保存料、人工甘味料、加工油脂(トランス脂肪酸)など、腸内環境に悪影響を与える成分が多く含まれています。

これらは、腸の炎症や腸内細菌の多様性の低下を招きます。

現に結果として起きている変化は、腸内フローラの乱れ・善玉菌減少・悪玉菌増加・アレルギー増加・花粉症・アトピー性皮膚炎の増加・免疫力低下・感染症や自己免疫疾患のリスク上昇・生活習慣病増加・糖尿病・肥満・大腸がんなどのリスク上昇などです…

対策:日本人の腸を守るためには、肉食をやめて一にも二にも伝統的な和食を見直すこと!

玄米を多く摂り、発酵食品(納豆・味噌・漬物)を意識して摂る、食物繊維(海藻・ごぼう・きのこ・根菜)をしっかり摂取する。

逆に加工食品・添加物を減らす。食事の欧米化を「ほどほど」にする。

日本人の腸は、何千年もかけて和食に適応してきた構造や腸内細菌の特徴を持っています。
それに合わない西洋型の食事が日常化すれば、腸へのダメージは避けられません。

腸内環境は健康の土台です。
伝統的食文化と上手に付き合うことが、長く元氣に生きる鍵になります。

◆意識づけるために忘れないために、改めて最後にもう一度日本人の腸にとって良い食べ物を。

日本人の腸にとって良い食べ物は、「伝統的な和食」に多く含まれており、腸内細菌のバランスを整える食品・成分が豊富です。

何といっても発酵食品は善玉菌を増やします。

納豆=納豆菌が腸の善玉菌をサポート。ビタミンKや酵素も豊富。

味噌=乳酸菌や酵母が腸内環境を整える。ですからまいに味噌汁を飲むことはとてもおすすめです。

漬物=(ぬか漬け、たくあんなど)植物性乳酸菌が豊富。食物繊維も摂れる。

醤油・酢=(自然発酵のもの)発酵調味料として腸にやさしい。

食物繊維が多い食品(腸内細菌のエサになる)は、玄米・雑穀米で、白米より食物繊維がかなり豊富です。
便通改善に効果的。

海藻(わかめ、昆布、ひじき)水溶性食物繊維が腸を守る。

きのこ(しいたけ、えのき、しめじ)不溶性・水溶性両方の食物繊維が含まれる。

根菜(ごぼう、にんじん、大根)腸を刺激し、便通を整える。

和食で重要なその他の食品は、青魚(サバ、イワシ、アジなど)オメガ3脂肪酸(EPA・DHA)が腸の炎症を抑える。

豆腐・おから・お味噌汁などは、植物性たんぱく質と食物繊維を同時に摂れる。

梅干し クエン酸で消化を助け、腸内細菌のバランスを整える。

飲み物で腸に良いものは、無農薬の緑茶・番茶で、カテキンが腸内の悪玉菌を抑える効果。

甘酒(米麹のもの)「飲む点滴」とも呼ばれ、善玉菌のエサになるオリゴ糖が豊富。

味噌汁 発酵成分+野菜で腸にやさしい温かいスープ。

✖ 腸に負担をかける避けたい食品(参考)

獣肉、鶏肉、加工肉(ハム・ベーコン・ソーセージ)、トランス脂肪酸(マーガリン、スナック菓子など)、

白砂糖が多いお菓子やジュース、過剰な乳製品(特に乳糖不耐症の人)、ファストフードやレトルト食品

そして重要なことを付け加えると、腸内環境は食事だけでなく睡眠や散歩も重要です。

◆日本人の腸の優れている点をまとめると。

消化能力では、海藻分解酵素を持つ腸内細菌がいる。

海藻の消化で特定の酵素をもつ腸内細菌がいる(外国人には少ない)

食文化では、発酵食品が腸に良い影響。

発酵食品の適応力により善玉菌を維持しやすい腸内環境ができた。

食物繊維の分解力が良いのは、植物性食品中心の和食に適応した腸内細菌が多いから。

酵素の多様性により、穀類・豆類を効率よく分解する酵素が発達した。

遺伝では、炭水化物分解酵素が豊富。

「日本人の腸は優秀」というのは伝統的な食習慣に根ざした自然との共生の成果でした。

しかし現代食の欧米化で日本人の腸環境が悪化しつつあります。

腸は脳ですから、腸内環境の悪化は思考を狂わせてしまいます。

様々な事件や障害を生み出す大きな要因となります。

日本人の国力をアップさせるためにも「現代の日本人が腸を守るにはどうすべきか」と「和食を中心にし、腸を整える」ことに関心を高めましょう!

日本人が日本食や日本文化を忘れた時、外国人に乗っ取られます。

現代の個人個人の食と文化は日本国を継続させるためにも責任重大な行いなのです。


⚫️日本には梅雨という恵みがある~梅雨のポジティブな側面

多くの人は梅雨に入ると、憂鬱な氣分になりがちですが、実は良いことが沢山あります。

◆雨により自然が潤います。
梅雨は、植物や生き物から見ると恵みの雨です。

特に、梅雨によって田畑や山々は潤い、生き生きとした緑が広がります。

◆そして、紫陽花が美しく咲く…
梅雨の時期だけに美しい花を咲かせる紫陽花は、梅雨を象徴する奇麗な花です。

色とりどりの紫陽花を観賞すると視覚から脳に良い光を取り込むことができます。

◆雨の音はリラックス効果もあります。
人は雨の音(水の音)に癒され、五感を研ぎ澄ませることができるのです。

雨の音には、α波を誘発するリラックス効果があります。

雨音を聞きながら過ごす時間は、実は心身のリフレッシュにも繋がっているのです。

◆雨の日の景色
雨の日は、普段見慣れた景色が違って見えたりします。

雨上がりの虹や、水滴をまとった植物など、雨の日ならではの美しい景色を意識すると、前向きになるホルモンのセロトニンも増えます。

◆そして何といっても日本人の主食である米に、雨は広く大きく貢献をしています。

米の成長に必要なのは水です。その大切な水を雨によって確保しています。

さらに、梅雨の雨は、ダムや地下水を潤し、夏の水不足を防ぐ役割も果たします。

◆空氣が綺麗になる…
雨は、空氣中の塵や埃を洗い流し、空氣をきれいにします。

空氣だけではなく、街も道路も綺麗にしてくれます。雨は日本国土のシャワーです。

◆肌の乾燥も防ぐ
湿度の高い梅雨は、肌の乾燥を防ぎ、潤いを保つのに役立ちます。

同じ夏でも梅雨時期の方が肌が奇麗になります。

梅雨の時期こそポジティブに、オシャレを楽しんだり、自然の恵みを感じる…そこに意識を持っていきたいものです。

晴れている日だけではなく、雨の日もその良さを感じる力を持って、セルフマネジメントし、心を前向きに前向きに発展させましょう。

日常の小さなところに、精神を前向きにする良いヒントは落ちています。

◆そして…やはり「発酵」
ここを語らずして日本国は語れません。
世界に冠たる発酵の国ニッポンです!

一般的には6月の平均氣温は22.4℃、平均湿度は80%
この梅雨どきの高温多湿がもたらしてくれる恩恵の一つが「発酵」なのです。

味噌・漬け物・醤油・味醂・お酢・塩麹・お酒…など色々あります。

どれも日本人の整腸・美肌など健康を持続するためには欠かせないものです。

甘酒は30℃。乳酸菌は25℃~37℃。納豆菌は50℃でも生育します。

しかし湿度が高い時期には、発酵の真逆の腐敗にも十分な注意が必要です。

いずれも高温多湿が原因となる食品の「腐敗」と「発酵」は、どう違うのか?

因みに、「発酵」と「腐敗」は国や民族によっても異なるようです。

16世紀頃に、ポルトガルから日本に侵入し、織田信長や豊臣秀吉などとも面会したといわれるイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、書き残した著書の中で、「我々においては、魚の腐敗した贓物は嫌悪すべきものとされる」と記しています。

しかし日本人はそれを肴(さかな)として用い、酒のつまみやご飯のおかずにしました。

ポルトガル人が面食らった「イカの塩辛」や「このわた(ナマコの腸の塩辛)」なども、日本人は食しました。
それらは当然、腐敗ではなく発酵ですから。

「発酵」と「腐敗」の明確な違いは、細菌や微生物の種類で線引きすることができます。

どちらも微生物の作用で有機物が分解され、次の物質が生成されるということでは同じ現象です。

その現象が人間にとって有益な場合を『発酵』、有害な場合を『腐敗』と区別します。

つまり、細菌や微生物の種類で区別できます。

例えば、納豆の発酵には枯草菌、パンの発酵にはイースト菌、ヨーグルトの発酵には乳酸菌が使われます。

それに対して、ブドウ球菌やボツリヌス菌などは食品を腐敗させ、食中毒を引き起こします。

湿度が高いとカビが発生しやすくなり、食品の腐敗を早める可能性があります。

特に、相対湿度が70%を超えるとカビの発生が急増します。
その差は、細菌・微生物の違いです。

良い菌による「発酵」は食物の旨みや味わいを増し、保存性を高め、更には新たな栄養素を生み出します。

良い食物が更にパワーアップした食物になるのです。
ですから「発酵食品は体に良い」のです。

発酵は、米が酒、大豆が味噌、納豆など、良い菌が次々に変化する!

納豆のネバネバはタンパク質分解酵素の『ナットウキナーゼ』で、血栓(血液のかたまり)の原因になるタンパク質(フィブリン)を分解したり、体内で生み出される血栓溶解酵素を活性化して、血栓を予防・融解する効果があります。

味噌は原料の大豆を麹菌や乳酸菌、酵母などの微生物で発酵させて造りますが、その過程で生成される『メライジン』は優れた抗酸化作用があり、体内で発生する余分な活性酸素を取り除きます。

漬物の乳酸菌が花粉症対策や免疫力向上に効果があるという報告も出ています。

そんなパワーのある「発酵食品」は、梅雨など湿気に恵まれた日本独特の氣候風土によって生まれるのです。

外国にも発酵食品はありますが、日本人の腸には当然日本の発酵物が抜群に良いです!

先人たちから受け継いだ大切な智恵です。

発酵と腐敗は、どちらも高温多湿がもたらす微生物の働きです。

世界の中でもその働きがバラエティーに富んでいるのが日本といえるでしょう。

パン作りと湿度も密接な関係で、イーストは湿度が高い方が活発になり、氣温35℃、湿度80%くらいが発酵しやすい環境と言われています。

しかし雨の日には注意点が必要で、空氣中の水分が生地に影響するため、生地がベタついたり、硬くなったり、乾燥しやすくなることがあります。

湿度が高い場合は、生地こねに必要な水分量を減らしたり、加湿器で湿度を調整したり、ホイロ(発酵器)を使用するなど、湿度管理が重要になります。

どちらも菌の働きで、繰り返しますが、発酵とは、微生物の働きによって食品が変化し、人間にとって有益な状態になること。

腐敗とは、微生物の働きによって食品が変化し、人間にとって有害な状態になること。

ですから、雨の日など高い湿度は、発酵食品や、パンの発酵を促進する一方で、カビや腐敗のリスクも高まります。

そのためにも、発酵と腐敗の違いを知り、湿度管理を適切に行うことが大切です。

それにしても、日本は高温多湿な国がゆえ、様々な健康食品があり、世界の中でも寿命が長いのでしょう。

その為にも、インスタント食品やジャンクフードや冷凍食品ではなく、日本古来の発酵食品を知り、多く摂るようにしましょう。

日本は苔(こけ)が美しい、それも湿度のおかげです。

日本は湿度が高いので、麹菌や発酵菌が育ちやすく、味噌や醤油などの発酵食品の製造に適していたのです。

そして今の梅雨の時期の湿度や雨は、それを手助けする大きな要因なのです。

梅雨の恩恵に目を向けて、梅雨をポジティブに捉えましょう!


●昭和のおばあちゃんの知恵袋~今こそ見直したい暮らしの技術

時代が進み、生活はどんどん便利になったけれど、ふとした瞬間に「おばあちゃんの知恵って、やっぱりすごかったな」と思うことがあります。

それは単なる懐かしさではなく、生活に根ざした知恵の力。

今回は、【今すぐ使えて実際に役立つ生活の知恵】を中心に、昭和のおばあちゃんが残してくれた暮らしの知恵袋をご紹介します。

思わず「知らなかった!」
「これ、やってみたい!」と感じる内容がきっとあるはずです。

■ 急な靴擦れには【ロウソク or ハンドクリーム】

新しい靴を履いた日、かかとが痛くなった経験はありませんか?

そんなとき、昭和のおばあちゃんはロウソクのロウを靴の内側に軽くこすりつけてくれました。

すると不思議。
靴擦れが治ります。

ロウは摩擦を減らし、靴擦れを予防してくれます。

現代ならハンドクリームやフェイスクリーム、リップクリームでも代用OK!

すぐにできる裏ワザです。

■ 洗濯物のニオイには【お酢】

部屋干しの季節、タオルや衣類の“生乾き臭”に悩まされていませんか?

おばあちゃんは、すすぎの時にお酢をキャップ1杯加えて臭いを防ぎました。

お酢の抗菌・消臭効果で、部屋干しでも爽やかな仕上がり。

お酢は衣類を柔らかくするため、柔軟剤の代わりにも◎。

■ 湿氣取りには「炭」

昭和の家は湿氣との戦いでした。

おばあちゃんたちは押し入れや靴箱に“炭”や“新聞紙”を敷いて湿氣を取る工夫をしていました。

炭は脱臭&湿氣吸収に優れています。

エコで無害な方法、今でも大活躍。

■ ゴキブリ除けには「キュウリの皮」

おばあちゃんの虫除けといえば「ハッカ油」や「どくだみ」ですが、実はキュウリの皮もゴキブリ除けに使われていました。

ゴキブリはキュウリの青臭さを嫌うため、キュウリの皮を数カ所に置くことでグンと出現率が下がります。

効果は短期間ですが、いかんせんきゅうりなので安心。

冷蔵庫にあるものでゴキブリを退散できる。

まさにエコであり知恵です。

■ お茶殻は「消臭剤」「掃除道具」に大変身

飲み終わったお茶の葉っぱ、捨てていませんか?

おばあちゃんはお茶殻を乾かして冷蔵庫、下駄箱に入れて消臭剤として使用していました。

さらに、湿った茶殻を畳や床の掃除に使うと、ホコリが舞わず艶も出ます。

お茶の抗菌・消臭効果を活かした生活術です。

■ 冷え防止【足首・手首・首を温める】三つの首

「寒いねえ」と言うと、よくおばあちゃんが「三つの首を冷やしたらアカンよ」と言っていました。

それは首・手首・足首。

これらには血管が集中しているため、ここを温めることで不思議と全身がポカポカ温まります。

冷房による冷えが氣になる季節ですが、首にはストール、手首にはリストウォーマー、足首にはレッグウォーマーで、おばあちゃんの教えを実感してみましょう。

■ 玉ねぎの皮はお茶に変身

玉ねぎの皮、捨てるのはちょっと待って。

皮にはビタミンや抗酸化成分が豊富。

玉ねぎの皮を乾燥させてお茶にすると、体を温める効果があり、抗酸化作用があると昔から言われています。

風邪予防や冷え対策にぴったりで、まさに【自然のサプリ】。

皮も余す事なく使いましょ。

■【炭】で植物が甦る?!

鉢植えの植物の元氣がなくなったら、土の中に炭を小さく砕いて埋めてみてください。

炭は土の通氣性を良くし、余分な水分や悪臭を吸収してくれます。

土が酸性に傾くと往々にして植物は元氣を無くしますが、炭は天然のアルカリなので土のpHを中性へと調和してくれます。

一晩で植物を元氣にする裏技。

おばあちゃんが庭仕事でよくやっていた手法です。

■ かゆみ止めには【タマネギの薄切りを貼る】

虫刺されやちょっとしたかゆみには、タマネギの薄切りを患部に当てるとスーッと楽になります。

タマネギの成分が炎症を抑え、痒みを和らげてくれます。

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改めて思うのは昭和のおばあちゃんたちは、身の回りのものを捨てる事なく、無駄なく、賢く暮らしていたということ。

何かが壊れてもまずは【直せないかな?】と考える。

捨てる前にまずは【何かに使えないかな?】と考える。

【もったいない精神】は日本人の生活に根強く染みついていて、それは単なる節約ではなく、物への感謝・命への敬意・自然との調和といった、深い価値観から来ています。

令和の今見返しても、この知恵袋たちは、サステナブルで健康的な暮らしの大切なヒントにもなります。

「困ったらGoogleで検索する」前に、「おばあちゃんならどうしていたかな」と、一度立ち止まり振り返る事も、今の時代だからこそ大切にしたい感性です。


⚫️ ペリリュー島 中川州男大佐

この話は有名ですが、大変貴重な事実なので、事実を引用しながら今一度振り返ってみたいと思います。

ペリリュー島とは、パラオ諸島の中の小さな島で、大東亜戦争末期に日米両軍によって73日間の戦争が繰り広げられた島です。

1943年、米軍は、アメリカ艦隊司令長官チェスター・ニミッツ指揮の下、ペリリュー島の侵略作戦を計画します。

当時、ペリリュー島には899名の島民がいて白人統治の時代を知っていました。

1710年11月にスペインの探検隊がペリリュー島に足を踏み入れ侵略され、1885年までスペインの支配下にありました。

その後ドイツに売却されドイツの植民地でした。

当時のパラオ先住民の人口は約6千人。
スペインの植民地になる前の人口は約6万人ですから、白人の植民地政策によって疫病や惨殺があったのではないでしょうか?

人口の減り方が異常です。

いづれにしても、白人の移住により島民はかなり激減しました。

その後、第一次世界大戦でドイツが敗戦した後、国際連盟の植民地統治監督制度により、1920年に日本の委任統治領となったのです。

日本はパラオに、稲作、野菜、果実の栽培を伝えました。
他にも缶詰やビールなどの工場を建設。

道路を造り、橋を架け、電話をひき、学校、病院をつくるなど、数々のインフラを整備しました。

パラオ人は文字を持っていませんでしたから、小学校では日本の教科書を使い、平等に日本語教育を施しました。

小学校一年で九九を暗唱したといいます。「日本教育は素晴らしく、人生が飛躍した」と証言する人が多いです。

1941(昭和16)年に日本とアメリカの戦争が勃発。

ペリュリュー島は日本にとって、グアムやサイパンの後方支援基地及び、日本の絶対的防衛圏として重要な拠点でした。

アメリカはアメリカで、フィリピンを奪回するためにはペリリュー島の日本軍基地が邪魔でした。

アメリカ軍はペリリュー島の攻略作戦を強引に開始しました。

その時ペリリュー島の住民は約900名で、米軍が迫りくることを察知していました。

彼らは、白人統治の時代と日本統治の時代の両方とも経験しています。
そんな彼らが人生最大の決断をします…

それは…悲惨な思い出が残る白人の統治を拒み、日本人たちと進む…という決断でした。

日本兵は我々を大切にしてくれた…仲良くもなった…そして日本の歌を一緒に歌った…

島民の全員が一丸となって力を合わせて日本軍と共にアメリカ軍と戦う…そんな一世一代の決断をしたのです!

「そのことを直ぐに日本人たちに伝えに行こう!あの温厚で優しい隊長は、涙ながらに喜んでくれるぞ!さぁ早く伝えに!」

固い意志の元に決断した自分たちの願いと頼みを伝えに行きました…

伝えた相手は、ペリリュー島の守備隊長である中川州男(なかがわくにお)大佐。

その中川隊長に「自分たちも一緒に戦わせてほしい、日本人と一緒に命を賭けたい!覚悟は決まった!」と申し出ます。

その話を真剣にじーっと聞いていた中川隊長は…次の瞬間…怒声と罵声の元、こう叫びました。

「大日本帝国軍人が、貴様らド人と一緒に戦えるかっ!」

その後も罵詈雑言を並べてたてました。

島民たちは何が起こったのか直ぐに状況を判断出来ませんでした。
狼狽し慌てふためきました。

なにせ信じられない言葉を浴びせられたのですから…

一世一代の決断を、ド人と言う…差別用語と共に全否定された…

島民たちの驚きは隠せません。日本人の裏切りと暴論と絶望感に、悔しく戸惑い拳を握りしめ泣き出す者もいました。

「日本人もしょせんは酷い人種だ…仲間だと信じていたのに…上っ面の見せかけだったのか…」

「大日本帝国軍人が、貴様らド人と一緒に戦えるかっ!」何という酷い言葉…

それから中川隊長は、島民全員をペリリュー島からパラオ本島に避難させました。
島民が島を離れる日、見送る日本兵の姿は一人もいませんでした。

あれだけ日本兵を信じ、仲良くし、信頼していましたが、最後の中川隊長の惨い言葉…そして冷たい態度…

島民はみなガッカリし失望の中、船に乗り込んで行きました。

出港の合図が鳴る、船が岸辺を離れて行く…と…次の瞬間ペリリュー島に残る日本兵全員が、隠れていた場所から船に向かって全速力で駆け寄ってきました。

しかも、住民たちと一緒に歌った日本の歌を大声で歌いながら…ちぎれるほど手を振って彼らを見送っているではありませんか!?

号泣している者もいる。

共に過ごしてきた日本の兵隊さんの顔、顔、顔…

その先頭で満面の笑顔で手を振っているのは、あの中川隊長だった…

次の瞬間、船の上の島民たちは全てを理解しました。

「日本の兵隊さんたちは、島民を誰一人傷つけても殺してもイケない!共に戦うといった島民の命を絶対に守る!

その為には普通に説明しただけでは我々が引かないことを知っていた。だからあんなに酷い言葉を言いたくはないのにいったんだ!あんな冷たい態度を取ったんだ!

しかしそれは島民の命を絶対に犠牲にはしない!命を助ける!ということの裏返しだったんだ…!」

島民たちの頬に涙が絶え間なく流れた、流涕した…
島民たちも日本兵に向かって号泣しながら、同じくちぎれんばかりに手を振った…声にならない感情を大声で叫んだ!

島民も日本兵もみんなみんな誰もが泣いた…

1944年9月12日、ペリリュー島の戦いが始まる。
「日本軍1万」対「米軍4万8千」

米軍の力は、日本軍の数百倍。

猛烈な爆撃と艦砲射撃で日本軍が浴びた砲弾は、何と17万発で4千トンに達し、島は焼き払らわれた。

一人の日本兵を倒すのに1589発の砲弾を使用した。
9月15日更に米軍海兵隊2万8千名が続々と上陸した。

武器が乏しい日本軍は地下深く穴を掘り、地下壕や洞穴を自在に往き来できるようにした。
それも5百ケ所以上も。

「タコツボ」といわれる一人用の壕も無数に掘り、ペリリュー全島を要塞化し、中川隊長の統率下、米軍の上陸を待ち構えた。

米軍の第一次上陸部隊は大被害を被り、退却を余儀なくさせる程だった。

その時の米兵の血で海が赤く染まったことで、今もこの海岸は「オレンジビーチ」と呼ばれています。

続く10月30日、米軍第一海兵師団がなんと全滅。米軍の損失率4~6割を超え、「戦闘能力喪失」となった。

米軍は上陸作戦史上、最大の損害を出してしまった。

アメリカから応援部隊が次々に投入された。
3日で島を占領すると豪語していた米軍だったが、戦いは70日も続く激戦となった。

が…しかしその間も日本軍には一切補給も応援もない。従って徐々に劣勢に陥って行く。

米軍は応援と補給によって力を増して行く。火炎放射器、手榴弾などがドンドン使用され、日本軍の洞穴は次々と陥落して行く…

やがて食料も水も尽き果てた…

11月24日、ついに日本軍の弾薬も兵力も力尽き、中川隊長は決意し割腹しました…47歳でした…

武器のない若い日本兵たちは、そんな状況下でも誰一人ひるまず逃げず堂々と先頭に立って突撃していきました。

「ペリリュー島の人たちを一人も殺さないぞーーー」と叫びながら…

残存兵55名による最後の総攻撃のあと、ペリリュー島から日本本土に向けて電文が送られました。

電文の言葉は「サクラサクラ」…

日本兵が、桜の花のごとく全員散った…という意味の電文でした。

そして11月27日べリリュー島はアメリカ軍に占領された。

アメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツは、その日本人、日本兵の命を捧げて「他国を守り愛した」姿に、敵・味方を超越して、強く心を打たれ日本兵を讃え、ある詩を残した。

「この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ、故郷に帰ったら伝えてくれよ、
日本軍人が全員玉砕して果てた、この壮絶極まる勇氣と祖国を想う心根を…」

日本軍=戦死者1万695名。

アメリカ軍=戦死者2336名、戦傷者8450名。

そして・・・
ペリリュー島の住民「死者・負傷者0名…」

ペリリュー島に住む人たちに「一人の犠牲者も出さなかった」

中川州男大佐始め、全ての日本兵たちは約束を守り抜いた…

心を鬼にしてわざとド人呼ばわりまでして、島民の心を折り非難させた。

我々のせいで島民を殺してはイケない…絶対に…一人たりとも…

その思いを「日本軍は貫きました」あっぱれです!!!

戦後、パラオはアメリカに統治されました。
がしかし、1981年、念願かないパラオは独立しました。

独立するには自国の国旗が必要となります。

どのような国旗にするのか…国を代表する大切な大切な国旗…

その国旗のデザインを国民から募集しました。

そうすると…日の丸にそっくりな国旗が大多数を占め、日の丸そっくりな今のあの国旗が採用されました。

色が違い、中心の丸がほんの少し真ん中からズレているだけ…

周りは太平洋の海の色。真ん中の黄色い円は満月。

月は日本の国旗「日の丸」の太陽に照らされて永遠に輝き続ける!

日本とパラオの深い深い友情はズット続くのだと…

パラオの国旗の満月が、中心から少しズレているのは、「日本に失礼だから」とわざと中心をはずした…と言うエピソードは余りにも有名ですね。

忘れないでください、この話を。
日本人が正義を貫いた事実を。

今の教科書には日本は「悪いことをした悪いことをした」と強調するものが目立つ。
戦勝国の理論によって。

でも果たしてそうなのでしょうか…?

インドネシアや台湾始め、日本兵のこのような実話は数多く残っています。

シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナムなどでも…

中国人や韓国人の方々の中には日本のことを悪くいう人や嫌いという人が多いです。

わざわざ日本に来てからの迷惑行為なども目立ちます。倫理レベルはどうなっているのでしょう?

なのになぜ、そんな嫌いな日本国にあんなに多く来るのでしょう?

そこまで嫌いな国日本のどこがいいのでしょう?

実は日本国も日本人も、実際に関わってみると、自国の教科書で習ったこととは異なって、国も人もとても心地よいのではないでしょうか?

それを中川隊長は身を持って証明したのかも知れません。

とにかく我々は日本人の利他で美しい魂を忘れずに継続しましょう。

次の世代に語り継ぎましょう。
誇り高き国ニッポンを。

王国でダントツ世界一長く続くニッポンは、やはり何かが正しいから続いているのではないでしょうか…

そんな国ニッポンを日本人であるなら大切にしましょう。


⚫️6月は日本らしさに氣付く月

6月といえば梅雨。

西日本ではもう梅雨入りしましたね。

植物やどうぶつ達にとっては恵みの雨。

洗濯物が乾かないなぁ、憂鬱だなぁと思わず、わたし達も楽しみたいものです。

実はこの時期、日本の文化や自然観の奥深さが垣間見える季節でもあります。

【梅雨】という言葉。

日本では、梅の実が熟す頃の雨という意味で梅雨と書くようになりました。

しっとりした雨とともに熟していく梅の実が目に浮かびますね。

そして6月は田んぼに水が張られ、蛙の声が響く季節でもあります。

日本人は虫の声や蛙の声で季節を感じとる風情がありますが、これが西洋人にとっては「うるさい雑音」となるそうで。

水面に映る空や、雨に濡れた紫陽花の美しさに目を留める感覚は、昔から和歌や絵画にも表現されてきました。

例えば紫陽花(あじさい)は土のPHで色が変わります。

酸性なら青、アルカリ性ならピンク。

つまり、咲く場所の土壌によって色が変わる氣まぐれな花。それがあじさい。

紫陽花は別名【七変化】とも呼ばれています。

色が移り行く紫陽花を見て、七変化と呼ぶ日本人の自然への眼差しは本当に繊細ですね。

そして6月の行事といえば、夏越の祓(なごしのはらえ)をご存じでしょうか?

これは6月30日に神社で行われる厄落としの儀式。

半年間の穢れを祓って無病息災を祈る行事で、茅(ちがや)で作った大きな茅の輪(ちのわ)をくぐるものです。

ぐるりと8の字に3回くぐると、心身のけがれが祓われると言われてます。

実はこの風習は平安時代から続いており、千年以上前の人と同じことを今もしてるってちょっとした感動ですね。

また、6月は全国の神社で人形(ひとがた)という紙に名前を書き、自分の穢れを移して川に流すという風習もあります。

これは心理学的に見ても氣持ちの切り替ええやリセットにとても効果的だそう。

昔の人の知恵はスピリチュアルなようで、実はとても現実的だったりします。

因みに6月は祝日がひとつもない唯一の月。

その分、心の中の【小さなお祭り】を見つけるチャンスでもあります。

雨音に耳をすましたり、紫陽花の色の違いに氣付いたり、茅の輪をくぐって心を整えたり。

そういう【静かな日本の美】が光る季節でもあります。

6月は奥ゆかしい日本の魅力が詰まっている素敵な季節です。

全国的にこれから梅雨に突入しますが、【恵みの雨の季節】を日本人らしく粋に楽しみましょう。


●「母の日 父の日」

一年の第六番目の月は水無月(みなづき)。

初夏から仲夏の季にあたり、中旬には梅雨入り、下旬には一年中でもっとも昼の長い日、夏至がきます。

田植時で、麦の色づく麦秋の季節でもあって、農家ではもっとも多忙な月です。
諺の「六月に火桶を売る」は、することが季節外れの例え、また「六月無礼」は、陰暦6月は暑さが厳しいので、服装が少々乱れる無礼も許されること、と6月に纏わる諺は多くあります。

6月の誕生花について…

誕生花とは、生まれた月日にちなんだ花のことですね。
6月の誕生花は「赤い薔薇」です。

薔薇=花言葉は「愛」「美」。

・赤いバラの花言葉は「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」。

・白いバラの花言葉は「純潔」「わたしはあなたにふさわしい」「深い尊敬」。

・ピンクのバラの花言葉は「しとやか」「上品」「感銘」。

・青いバラの花言葉は「夢かなう」「不可能」「奇跡」「神の祝福」。

・黄色いバラの花言葉は「愛情の薄らぎ」「嫉妬」「友情」。

赤いバラのつぼみの花言葉は「純粋と愛らしさ」「純粋な愛に染まる」。

白いバラのつぼみの花言葉は「恋をするには若すぎる」「少女時代」。

バラのトゲの花言葉は「不幸中の幸い」。

また、薔薇は送る本数によって意味があると言うことを御存じですか?

1本 「一目ぼれ」「あなたしかいない」
2本 「この世界は二人だけ」
3本 「愛しています」「告白」
4本 「死ぬまで氣持ちは変わりません」
5本 「あなたに出会えた事の心からの喜び」
6本 「あなたに夢中」「お互いに敬い、愛し、分かち合いましょう」
7本 「ひそかな愛」
8本 「あなたの思いやり、励ましに感謝します」
9本 「いつもあなたを想っています」「いつも一緒にいてください」
10本「あなたは全てが完璧」
11本「最愛」
12本「わたしと付き合ってください」
13本「永遠の友情」
21本「あなただけに尽くします」
24本「一日中思っています」
50本「恒久」
99本「永遠の愛、ずっと好きだった」
100本「100%の愛」
101本「これ以上ないほど愛しています」
108本「結婚して下さい」
365本「毎日あなたを想っています」
999本「何度生まれ変わってもあなたを愛する」

このように、バラは本数によっても異なる花言葉を持っていますので、何かの機会にはご参考にしてください。

花言葉ときたら、ついでに6月の誕生石も…

6月の誕生石は「アレキサンドライト」。

誕生石とは、1月から12月まで、それぞれの月にちなんだ石のことです。

自分の生まれ月に割り当てられた石を身に着けることで幸せを招き、災いから身を守ると伝えられています。

ロシアでは「皇帝の宝石」と呼ばれているアレキサンドライトは、「昼のエメラルド」、「夜のルビー」と表現され、

日光の下では緑色がかった青から深緑に見え、ロウソクの火に照らされるとすみれ色や深紅、赤紫色、紫色、あるいはオレンジ色に見えます。

石言葉は「高貴」・「情熱」・「沈着」です。

タイトルにあった「母の日 父の日」ですが、母の日は5月、父の日は6月です。
その月々には様々な行事がありますが、中でも父の日はマイナー感満載です(苦笑)

そんな父の日の意味や成り立ちを探ってみますと…

父の日は、家族を支えてくれるお父さんに日ごろの感謝を伝える日です。

母の日に比べて、かなり影が薄い感じが否めない父の日ですが、なぜ父の日が誕生したのでしょう?

先ず前提として元々日本国には、母の日も父の日もありませんでした。できたのは近年のことです。

そもそも一年間で一日だけ、母や父を想うのは寂しいですね。年中想いましょう!

母の日も父の日も発祥はアメリカで、アメリカの祝日です。

誕生のきっかけは、ソノラ・スマート・ドッドと言う女性の嘆願でした。
ソノラの父親は軍人で、南北戦争から復員し父子家庭で6人の子どもを育て上げたと言います。

6人兄弟の末っ子だったソノラは、ある日教会で母の日があることを知りました。

「母をたたえる日があるならば、父をたたえる日があるべきだ」と考え、父の功績を称えようと1909年に牧師協会へ「父親へ感謝する日も作って欲しい。父親に対して感謝の氣持ちを伝えたい」と嘆願したのです。

その思いが叶い1910年6月19日に、初めて父の日の式典が開催されたのでした。
ソノマの父の誕生月が6月だったので、式典が6月に開催されたのです。

本場アメリカでも、そんな父の日が一般に浸透するまでには、6年かかったと言います。

一般に浸透するきっかけになったのは、 1916年の式典で第28代アメリカ大統領のウッドロー・ウィルソンが、演説を行ったからだと言われています。

1966年には第36代大統領リンドン・ジョンソンが「父の日」を称賛する大統領告示を出し、6月の第3日曜日を「父の日」と定めたようです。

ですから、もともとアメリカの行事であって日本の行事ではありません。

1年に一回でも母と父に感謝する氣持ちは良いことですが、先述したように1日だけではなく常々感謝の氣持ちは持っておきたいものです。

父の日が日本に上陸したのは諸説あり、初めにチョコッと伝わったのは1950年頃ですが、正式には1972年(昭和47年)と言ったり、実際に祝われるようになったのは1980年代と言ったりしています。
ですから、いずれにせよつい最近の感覚ですね。

おそらく一般的な行事として広まったのは1980年代に入ってからではないでしょうか?

デパートなどの商業施設が販売戦略の一環として父の日を取り上げたりして広がって来ました。

また、ベスト・ファーザー賞などを始めた影響もあり、ようやく認知されるようになりました。

父の日は苦節30年の年月をかけて定着して行きましたが、しかし5月の第2日曜日の母の日よりも、父の日はかなり薄く忘れられやすです…

でも、ニッポンのお父さんたちよ!もともとアメリカ人の行事だから凹まないでね!
氣にすることはありません(笑い)

母の日に贈る花は、カーネーションやあじさいが定番ですが、父の日にも定番の花がありますね。

アメリカでは、父の日にはバラを贈ることが一般的です。
これは、父の日を作りたいと嘆願した女性(ソノラ)が、亡き父親のお墓に白いバラを供えたことが由来です。

母の日に贈るカーネーションは、お母さんが健在の場合は赤のカーネーションを贈り、
亡くなっている場合は白のカーネーションを贈ることが一般的です。

ですからアメリカでは、同じようにお父さんが健在であれば赤いバラ、亡くなっていれば白いバラを贈ります。

日本では黄色のバラやひまわりを贈ることが一般的です。

プレゼントする花の種類はアメリカと同じバラでも、なぜ赤いバラではなく黄色いバラなのかと言うと、日本ファーザーズ・デイ委員会が開催する「父の日黄色いリボンキャンペーン」が影響しています。

このイベントでは、幸福や喜びの象徴であり「愛する人の無事を願う」という意味が込められている黄色を、父の日のイメージカラーとしたのですね。

ですから日本では父の日には黄色のバラを贈ることが定着しました。

黄色のバラには「献身・爽やか」といった花言葉があり、お父さんへ感謝の氣持ちを伝えるのですが、爽やかなお父さんって中々難しかったりして(笑い)

世のお父さま方、臭いと言われていないで、どうか爽やかで良い香りを漂わせましょう!

一方で黄色のバラは「嫉妬」など、ネガティブな花言葉も持っています。

ネガティブな花言葉が氣なる人は、他の伝えたい花言葉を持った花と組み合わせても良いかも知れません。

例えば「感謝」と言う花言葉を持つかすみ草や「威厳」と言う花言葉を持つユリなどを黄色いバラと組み合わるとか…太陽を連想させる「ひまわり」も人氣ですし。

父の日には絶対的なルールや、父の日ならではのマナーはありませんので、ホント氣持ちです。

年に一度でも感謝の氣持ちを現す行為は、良いことですが、厳密に言えば、やってもやらなくても別段氣にする行事ではないのかも知れませんね…

毎日感謝し何らかの形で現わしていれば…

再三触れておきますが、もともとはアメリカの行事であってカーネーションもバラも外国の花ですもんね…

どうせなら日本の母と父には、日本の花を渡した方が良かったりして(笑)

まぁとにかく日本人なら年に一回だけではなく、母 父には毎日感謝の意を持って接しましょう!


●江戸に学ぶ日本人の粋 其の一

江戸時代は約265年の歴史があります。

265年続いた理由は偏に「戦争が無かったから」。

これは徳川の統制が優秀だったこともありますが、「江戸の人の生き方」に理由があるとも言えます。

江戸幕府は開府にあたり、関西圏、特に堺と大阪の商人の移住を命じました。

商売上手の関西人で江戸を盛り上げようという感じでしょうか。

いきなり余談ですが、江戸っ子と言われる方のご先祖はこの様に元は大阪&堺商人だそうです。

なるほど、江戸っ子と大阪人の氣質が似ているはずです。

話を戻して…

こうして故郷を離れた身寄りのない人々同士が氣配りをしながらお互い助け合って生活していたのが江戸の町です。

そしてここから、日本人の氣配りの見本ともなる「江戸しぐさ」たるものが生まれたそうです。

当時、ロンドンの人口は86万人、パリは55万人、江戸は100万人だったそうです。

100万人もいて200年以上争いも分裂もないって本当に凄いです。

氣配りと思いやりの江戸しぐさは今現在も我々日本人のアイデンティティに刻まれています。

分かりやすいのが世界一の交差点と呼び名のある「渋谷のスクランブル交差点」。

渋谷駅前に広がるスクランブル交差点は、計10本の車線が交差し、5本の横断歩道が引かれている。最も長い歩道は約36メートル。1回の歩行青信号で1000人以上が行き交うため、「世界で最も混雑している交差点」と呼ばれています。

これ、海外だとぶつかって喧嘩や暴動が起きるレベルだそうですが、日本人は見事に皆渡り抜けますよね。(笑)

渋谷スクランブル交差点は実は外国人に人氣の観光スポットにまでなっています。

信号が青に変わった瞬間、スマホで写真を撮る外国人が沢山居ます。

「だって一斉に四方八方からバラバラな方向に人が歩いてくるのに、誰一人としてぶつからないんだよ!日本人ってスゴイね!」ですって。

これは日本人じゃないとおそらく成り立たない…譲り合いの精神が無いと成り立たないでしょう。

すれ違う時は肩がぶつからないように少し引く「肩引き」、雨雫がかからないように傘を自分側に傾ける「傘かしげ」。

どちらも江戸しぐさの一つですが、こういった些細な氣遣いが我々日本人のDNAに刻まれている様な氣がします。

いなかっぺいとは「田舎っぺい」ではなく本当は「井中っぺい」と書き、これは田舎の人の事ではなく、井の中の蛙のこと。

つまり世間知らずの氣の効かない人の事を指していました。

日本人にとって「マナー」は最大の思いやり。

故に、以前の記事でも書きましたが、町人の間では支払いは年二回の「盆暮勘定」のみ。

お金は綺麗に使い綺麗に払う。

更に「人に渡した金はあげたと思え」、「金に執着する奴は野暮」という豪放磊落かつ、何とも潔い考え方。

江戸は正に粋か野暮か。


●貧乏すら楽しむ粋な日本人

「貧乏をバカにしたり、忌み嫌ったりしてはいけない」

これはあるお経の中に書いている言葉です。

「え…でもやっぱり貧乏は嫌だ」という人が大半でしょう。

そして貧乏神と福の神では、福の神の方が好きな人が多いのも恐らくみんなの共通認識でしょう。

今日は「福の神と貧乏神」についてお話します。

ところでみなさんは福の神と貧乏神の名前はご存知ですか?

福の神は釈迦の世界では「吉祥天女」や「吉祥天」と呼びます。

輝くばかりの美しさと麗しさを持つ女性神で、吉祥天にはいつも一緒にいる妹がいました。

とある冬の雪深い日の夜、吉祥天が妹と一緒に途方に暮れていたところ、ある男の家を見つけ、今夜一晩だけ泊めてはくれないかとお願いをしました。

すると男は「美しいあなただけ泊って行ってください。そちらの方はお帰りください」と言い、妹を追い払ったのです。

何故なら妹は、吉祥天の輝く美しさとは裏腹に、非常に醜い醜悪な容姿をしていたのです。

吉祥天は妹を入れてくれないなら自分も帰ると言い去っていきましたが、福の神である吉祥天を追い出す事になったこの男は、その後運がどんどん落ちて、仕事、財産、家も失って路頭に迷う人生を送ったとあります。

実は吉祥天の横に居たひどく醜い妹こそが、わたし達が言う「貧乏神」、名前は「黒闇天女」だったのです。

吉祥天と黒闇天はとても仲の良い姉妹で、いつ何時も二人一緒にいました。

このお話が解いているのは「極楽が欲しければ地獄も受け入れる心を持て」ということ。

そして実は実は。

本当のところ、黒闇天はみんなが嫌うような貧乏神ではないのです。

貧乏を連れてくる神ではなく、「わたし達が金運が下がっている事を教えにやって来てくれる神」です。

人間なにもなくして貧乏にはなりません。

必ずそこには理由があり

・人に親切にしない心

・自分勝手な強欲さ

・欲張りな心

・人を騙す醜い心

・独り占めする意地悪な心

・見た目だけの美醜に拘る歪んだ心、など。

そんな心が芽生えるから、思考が変わり、行動が変わり、そんな人からはやがて周りは離れて行き、最後はひとりぼっち、貧く孤独になる。

黒闇天はそんな心を持った人に「このままではいけませんよ」と寄り添い氣付かせて諭してくれる神様です。

別名「孤独に寄り添う神」とも言われ、わざと醜くみすぼらしい格好をして、わたし達人間にレベルを合わせて寄り添ってくれる同情心の厚い優しい神様です。

ただ黒闇天がいつまでもあなたの傍に居る事で起こる弊害として、やる氣が起こらない、マイナス思考になる、人と会いたく無い、食べもしないお菓子を無駄に買ってしまう、台所や冷蔵庫が汚れたりします。

これ実は、黒闇天からのメッセージ。

「このままわたしがここに居たらあなたはもっと堕落して、孤独になって、お金に困ることになりますよ」と忠告してくれているのだそう。

もしあなたの部屋が散らかりだしたり、やる氣が湧かず、ネガティブな事ばかり言い出したら、「もしかして黒闇天女が来ているのかも!?」と疑ってみてください。

そんな時は、掃除をし、顔を洗い、シャキッと身だしなみを整えてみましょう。

そして「黒闇天さん、教えて頂きありがとう」と言って家から出て行ってもらいましょう。

あなたが家を綺麗にすることで、黒闇天は「もう大丈夫だね」と安心してニッコリ笑って出ていきます。

いつまでもダラダラして掃除もせず散らかり放題汚れ放題では、黒闇天は心配で出ていけないのです。

ここで面白い現象を一つ。

黒闇天が家から出ていく時のサインとして右足がモーレツに痒くなるそう。笑

そして何とも言えない孤独感を感じるそうです。

ダラシないあなたに、「早く氣付いてね」と四六時中寄り添ってくれていた貧乏神が居なくなるのですから、少しばかりは寂しくなるものなのでしょうか。

この様に、見る角度を変える事で掃除の大切さが理解できますし、同じ貧乏でもまた違う見方が出来ますね。

あなたは目の前の貧しい人に優しく出来ますか?

もしかしたらそれは、あなたに何かを教えに来てくれている黒闇天かもしれません。

さて、貧乏繋がりでひとつ面白い噺を。

江戸時代は、殿様から武士から町人までみーんな借金まみれだったそうですね。
(借金がないのは一部の商人だけ?)

しかし、そんな事はもろともせず、江戸では貧乏人、銭無し人、借金持ち、みんなポジティブで明るかったそうです。

当時もお金を借りた時には、きちんと借用書を書いていました。

例えば西洋の借用書なら、「期日は〇日、それまでに返せなかったら利子が〇、担保は〇」と膨大な但し書きがつくところですが、江戸時代の借用書の但し書きはたった一言。

「返せなかった時はお笑いくだされ」

なんと。笑

新渡戸稲造著『武士道』にも「恩借の金子、御返済相怠り候節は衆人の前にてお笑いなされ候とも不苦候」とあります。

「武士が衆人の前で笑われるなんて考えられない!武士の意地にかけてもお返しします!」という意氣込みが込められてます。

江戸町人の商売の取引は主に「盆暮勘定」。

つまり支払いはお盆と年末の年に二回だけ。

江戸においては、借金を踏み倒すなんては野暮な人間のする事。

よく働き、信頼を裏切らない粋な生き方。

これぞ日本人の生き方です。

野暮な人や野暮な話は落語となって、その後人を笑わせました。

粋か野暮か。
何て明るい江戸の町。

わたし達も、貧しさや貧乏を必要以上に嫌ったり嘆いたりせず、前向きにとらえて清く正しくお天道様の元、今日も一生懸命働きましょう!

江戸の人を見習って!

そして…

黒闇天に見初められないように、毎日きちんと朝掃除をして、清潔に綺麗に保ち、家に感謝をしましょう。


●日本の基本的な良さ

外国人から見た日本は何かと魅力的だそうです。

日本に住んでいる日本人は日本の良さをスルーしがちですが、海外旅行や海外留学などで国外に行くと、逆に日本の素晴らしさに氣づくことも多いですよね。

今一度、日本の基本的な良さを客観視し、これからも維持できるように意識しましょう。

先ずはよくいわれますが…

★日本の治安の良さは実は世界でも稀です。都会でも田舎でも、置き引き、スリ、強盗などの犯罪は余りありません。(日本でも徐々に増えてきましたが)

海外の人から見れば、それは意外?なことのようです。

南アフリカ代表の一流ラグビー選手の多くが日本でプレーをしていますが、日本にくる理由の中に「治安の良さ」が目立ちます。
南アフリカとはかなり異なるようです。

アメリカの野球選手からも同様の意見が聞かれます。

「夜の20時過ぎに、娘が一人で歩ける国があるとは!?」と元読売巨人軍に来た助っ人外国人が発言していたのが印象に残っています。

小さい子ども連れの家族は尚の事「治安の良さ」がお氣に入りのようです。

子ども連れの家族旅行でも安心できるという理由から、日本が旅行先の候補にあげられるようです。

日本人にとっては当たり前の光景でも、外国から見ると信じられないことも多いようです。

よくあげられている代表的なことが

・大人が連れ添わずに子どもだけで歩いていたり、通学している。

・学生や女性一人でも深夜に歩くことができる

・自動販売機がどこにでもある(壊されない)

・財布など貴重品の落とし物でも高確率で戻ってくる

・電車・ホーム・路上で酔っぱらいが寝ている

・財布などをズボンの後ろポケットに入れて歩いている

・お店の店頭(外)に商品を並べている

・ 飲食店でパソコンやスマホなどをテーブルに置いたまま席を離れる…

これらの行為は、日本では当たり前でも、海外では注意しなければいけない行為です。

被害を受けて警察に行くと「スラれた方がボーっとしているからだ」といわれ怒られたりしますから。

ですから海外旅行へ行ったら「荷物を置いて離れるな」「夜は出歩かない」など緊張感を強いられます。
日本とは治安が大きく異なる国は多いのです。

★街の清潔さも日本の良さです。

日本の街には殆どゴミがないので清潔ですし、嫌な臭いがする場所もほぼありません。
タバコに関しても喫煙者も減少傾向にあり、路上喫煙も禁止の場所が増えています。

世界一の利用者数を誇る東京新宿駅の構内も駅周辺もゴミが溢れていることはありません。

★食べ物が美味しい

外国人が日本に来る楽しみの上位に「日本料理を食べたい」があります。
日本食にはかなり期待して訪れるようです。

なにせ、日本の伝統的食文化は「和食(washoku)」として、2013年(平成25年)にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)無形文化遺産に登録されましたから。

海外では和食は、ヘルシーフードとして人氣が高まっています。

主な理由は、健康的な栄養バランスが考えられていて、自然や四季を表現するための飾り付けや器の使い方が美しい。

日本各地域の多様な素材を生かすため、調理技術や味付けが発達していて見栄えもよく美味しい…などなどです。

お酒も日本酒や焼酎が美味しく、ただ飲むだけでなく料理に合わせた豊富なお酒の種類が楽しめて、しかも健康的なお酒が多いといわれています。

★四季を楽しめるのも、かなり魅力的なようです。

日本は四季だけでなく縦長の地形なので、同じ季節でも異なる自然を感じられます。

日本にいると何とも思わないかも知れませんが、北国や南国に住む人たちにとっては、貴重な体験となります。

日本には、美しい山や海、川、そして豊かな自然が残されています。

春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪…この変化は神秘的に映るようです。

そしてその季節で採れる旬の食材を使っての日本料理ですから、たまらない魅力の宝庫です。

★歴史の長さに現れる伝統、文化の豊かさ

日本は王国では最も長い歴史を持つ国です。
2025年は皇紀2685年で、2685年間王朝が一度も滅びることなく続いている国です。
なのでギネス検定も受けています。

それも、紀元前660年に神武天皇が即位されてからのカウントで、本当の日本はその遥か前からありますので、大変歴史の長い国です。

二位のデンマーク、三位のイギリスより、かなり古い歴史があります。

そんな日本国内の25個(令和3年7月時点)の世界遺産の美しい姿を一目見ようと旅行する観光客も大勢います。

その他にも神社やお寺の季節によって表情を変える日本庭園にも関心は集まります。

サムライ文化あり、忍者文化あり、宿場町などの風情ありと、歴史や伝統的なものも人氣が高いです。

因みに、外国人に人氣の伝統文化は、
「武道」相撲、空手、柔道
「衣服」着物、浴衣、甚平
「楽器」和太鼓、三味線、琴
「ものづくり」畳、漆器、ガラス
「芸能・技能」書道、歌舞伎、能・狂言…などなどのようです。

★歴史もあればサブカルチャーもある

日本のアニメは高品質で海外で人氣が高いです。
海外のアニメや漫画と比較すると、日本はクオリティーが高くジャンルが豊富といわれています。

さらに、ストーリー性の複雑さやリアルな世界観を舞台にしているのも日本アニメの特徴です。

大人も楽しめる作品が数多く存在するため、世界中の幅広い層に認知されています。

外国人旅行者が楽しみにしているものはまだまだあります。

楽しみランキング上位に入るのが「食」の他に「ショッピング」です。

日本製品は信用性が高く、洗練された技術を使って、高品質・高機能のモノが豊富で海外から高く評価されています。

伝統工芸品や、和を感じさせる骨董品や盆栽までも、お目当てにくる外国人観光客がいます。

★丁寧なサービスとハイレベルなおもてなし

飲食店やホテルなど、様々な場所で、海外にはない丁寧なサービスが提供されています。

これも日本にいると氣づきませんが、
日本の飛行機始め、海外旅行すると痛感することがあります。

おもてなしの精神も高い!

日本人は、訪れる人を温かく迎えるおもてなしの精神を持ち、丁寧な接客を心がけています。

ですから日本の「おもてなし」のレベルの高さは、世界でも高い評価を受けています。

日本人にとって当たり前ですが、外国人にとっては次のようなことも驚きの対象だったりします。

正確な運行時間の上に、充実した路線や本数で運営する電車。

笑顔で対応してくれる人が多い。

飲食店でのレスポンスが早い。注文した物も丁寧かつ早く出てくる。

飲食店でも家電量販店でも、豊富な知識を持った店員が説明や提案をしてくれる。などなど。

日本の魅力をあげるとキリがありませんね…

如何でしょうか?
この他にも、日本人には当たり前過ぎて分かりにくい日本の魅力は満載です!

ですから日本に誇りを持ち、自信を持って日本を愛しましょう。


「日本人の開運習慣」

日本人には生活習慣の中で無意識に行っている、または無意識に取り入れている、色んな【開運の習慣】があります。

手を叩く。

手を合わせる。

手を切る。

箸の置き方。

風鈴。

鈴など。

例えば神社に行って手を叩く行為。

拍手にはその場の氣を祓う意味があります。

例えば、話合いや会議で煮詰まった時など空氣が澱んだ時に【ハイ!少し切り替えようか】という意味で手をパン!と叩くなど。

拍手にはその場の氣を変える力があります。

故に神社では手を叩く、鈴を鳴らすという風習があります。

余談ですが、神様は言葉ではなく「音・光・香」で会話をされるそうです。

よく写真にオーヴが映る事がありますが、あれは神様からのメッセージ。

ふと良い香りが漂うのも神様からのメッセージ。

香りについて…
現実的な事を言うと、良い香りの正体は【良い菌】です。

良い菌とは良い微生物のことで、昔から日本人は微生物を神と考えます。

故に臭い場所には神様はいませんし、もっと言うと臭い人(体臭、加齢臭、合成香料)には神様は寄り付きません。

良い香りに包まれる事は菌の浄化です。
神様へのメッセージを放っている証拠。

だから本物の良い香りを纏うことはとても大事。

いつも会うと良い香りがしている人は運も味方につきます。

話を戻して…

普段の何氣ない開運しぐさに
お相撲さんの「ごっつあんです」があります。

手で三回空を切りますよね。

あれは日本人特有のしぐさなのですが、実はお相撲さんだけではなく、わたし達も普段無意識にごっつぁんですをしているのです。

皆さん、人の前を横切る時、無意識に右手を3回縦に切りませんか?

これは「手刀(しゅとう)」と呼ばれる仕草で、神様への感謝・浄化・祓いを意味します。

正式な順番は「真ん中→左→右」で、造化三神に準えています。

アメノミナカヌシ、タカミムスビノカミ・カミムスビノカミ、三柱への感謝。

これが手刀。

国技である相撲は元より、日常の何氣ない仕草の中に「神への感謝」が含まれているなんて、日本は粋な国ですね。

日本人が行う神への感謝の習慣には、前々回のナショナルタイムズに書いた毎朝の掃除もあります。

わたし達一人一人の家が神社であり、神棚であること。

普段の雑巾掛け、拍手、手刀がそのまま神様への感謝となる、日本人特有の開運習慣。

ぜひ毎日続けましょう。


●「八十八夜」

五月は和風月名で「皐月(さつき)」ですね。

「田植をする月」を表す「早苗月(さなへつき)」を略したという説が有力なようです。

その他、稲を植えることを古語で「さ」と呼ぶことから「さ月」になったという説もあります。

五月は、メーデー(5月1日)
八十八夜(5月1日・2日)
憲法記念日(5月3日)
みどりの日(5月4日)
こどもの日(5月5日)
母の日(5月第二日曜日)、
ゴールデンウィーク(4月下旬~5月上旬)などなど、何かと行事が多い月ですね。

今回はその中から「八十八夜」について少し触れてみたいと思います。

八十八夜は雑節の一つで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたります。

つまり、立春の日より「八十八日目」ということです。

立春は2月3日~2月4日ごろと年によって異なるため、その影響を受けて八十八夜も日付が変わります。

八十八夜は、「二十四節氣」を補完する「雑節」の一つです。

雑節とは、中国から伝わったものではなく、日本人の生活文化から生まれた日本独自のものです。日本の農作業と照らし合わせた季節の目安となるものです。

季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことですね。

雑節は他にも、節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日などがあります。

立春から数えて八十八日目を「八十八夜」と呼ぶようになったのは、丁度その頃が種まき、田植え、茶摘みなど、春の農作業を行う時期にあたっていたからです。

八十八夜の数日後は、二十四節氣でいう「立夏」となりますから、昔の人達はこの時期を「夏の準備を始める目安」と捉えていました。

八十八夜に摘まれるお茶には、密かなパワーがある!

それは「病気にならない」とか「長生きする」とか、様々な縁起が良いとされるいい伝えが八十八夜には残っています。

「縁起のいい日」といわれる理由の一つに、お茶の成分があります。

お茶の新芽に含まれる体に良い成分は、八十八夜前後のものが一番豊富といいます。

また、「八」は末広がりなので、縁起が良いですよね。

そして「お米」と「お茶」の関係も深いのです。
八十八夜は丁度、田に籾(もみ)を蒔く大切な時期でもあります。

「八」「十」「八」の三つの字を組み合わせると「米」という字にもなりますので、農業分野では大切にされてきました。色々と新茶は縁起が良いのです。

「八十八夜の別れ霜」とか「八十八夜の忘れ霜」といって冬から春に移行する頃には、寒い地方でも天候が安定してきます。

八十八夜を過ぎれば、霜がおりるほど冷え込むことはないという雑節を利用していたのですね。

その年の最後におりる霜のことを「別れ霜」といい、これが済んだ頃を見計らって農作業を開始していたのです。

農業にとって霜は重大で「遅霜」は農作物に大きな被害を与えますので、泣き霜ともいいます。

しかし、「八十八夜」を過ぎれば、遅霜がおりることはないと目安にしていたのです。

茶葉は、冬の寒い時期に徐々に養分を蓄え、温かくなると少しずつ芽が出てきます。
その一番早く芽吹いた茶葉で作った新茶(一番茶)は、その後の茶葉より栄養価と旨味成分が多く含まれるのです。

昔の人は、成分を調べる技術や知識がなくても、「新茶」が優れていると、知っていました…

凄い能力ですよね。自然観から読み解く能力、感性を保持していたのです。

その上、一番茶は、二番茶や三番茶と比べて、爽やかで甘味も豊富なのです。
つまり美味しい。

そう考えると現代の科学的「エビデンス」って本当に良いのか…?

一番必要な人間的能力を失くしてしまったから、科学的データベースに依存するのでは?

2025年の八十八夜は、5月1日(木でした。

二十四節氣では「穀雨」、七十二候では「牡丹華(ぼたんはなさく)」に当たります。

この辺りから氣温が上がり始め、昼間は汗ばむような陽氣になる日も増えて行きます。

最後に…日本人なら「八十八夜」といえば「歌」ですね。

夏も近づく八十八夜~~です。

茶摘みの風景を歌にしたものですが、良いリズムで良い歌詞ですね。

夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠。

二番は、

日和つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ~

です。

茶摘みの衣装も独特で、絣木綿の短着、けだしや脚絆に手甲、前掛けに襷、手拭いだったり、菅笠だったり…

歌詞を聞いただけで、日本人なら茶畑や衣装など色々と頭の中に映像が浮かび上がって来ます。

まさに日本の季節の風物詩ですね。

歌い手は、色んな方が歌っていますが、芹洋子さんが最も有名でしょうか…

このような話をしたり聞いたりしていると、急に急須でお茶を注いで飲みたくなりますね。

しかし最後に現実的なことをいいますが、お茶の「農薬」は危険な物が多いので、是非無農薬のお茶を!


●「神様が宿る」家の清め方

本日は結論から言います。

「毎朝掃除をしましょう」。

我々日本人にとっての掃除はとても深い意味を持ちます。

昔から「掃き清める」「拭き清める」という表現があるように、掃除には、その場所を清め浄化する意味があると考えます。

掃除をして自分の居場所を整えることは、自分の心の中を整え清め浄化することにもなるのです。

日本の学校では掃除時間が設けられ、自分たちの教室を自分たちで綺麗にするという習慣があります。

これはわたし達にとってはごく当たり前の事ですが、学校に掃除時間があるのは日本くらいなもので、外国からは非常に珍しがられます。

日本人にとっての掃除は、その場所に感謝し、場と心を清めるために行うものであることがここからもわかります。

日本と欧米諸国とでは掃除に関する考え方が根本的に違います。

欧米における掃除の概念は「召使いがするもの」。

つまり、掃除は苦痛であり雑用であり、無駄な時間であるという解釈です。

そう言えば、シンデレラは姉に虐められて、罰として掃除をさせられていましたね。

ところが、日本の神話では神様が自ら掃除をします。

日本では掃除は神聖なものと捉えられています。

例えば、神社の神主さんの仕事は神様に奉仕することですが、毎朝一番に必ず掃除を済ませてから神前に臨みます。

わたしも毎朝掃除をしてから神棚に手を合わせますが、神棚が無くとも、日本人にとっては「家自体が神棚」でもあります。

何故なら神棚も家も、どちらも「あなたを守ってくれているもの」には変わりないから。

故に家を掃除することは、神主さんの神事と同じ意味を持ちます。

掃除の基本は「雑巾での水拭き」です。

最新型の自動掃除機やモップやクイックルワイパーではありません。

雑巾での水拭き。

これが日本人にとっての正しい掃除です。

床に物を置きすぎると金運が下がるって聞いたことはありませんか?

床はなるべく物を置かず、丁寧に水で拭き清める事は、風水的にも大切なことです。

起床、寝床、神床、床離れ(病気が治る)と言う言葉があるように、日本人にとって床はとても神聖な場所です。

何故なら【床は神様の背中】だからです。

故に日本人の床掃除はモップでチャッチャと済ませないし、丸い電氣掃除機に指一本で「あとはよろしく~」なんて事はしません。

今日から、神様の背中をお流しするイメージで心を込めて水拭きをしましょう。

そんな些細な事から運氣は上がります。

そして、床を吹く前にしてほしいのがハタキです。

ハタキはかつては着古した着物を裂いて柄にくくりつけて作っていたた為、一家に1本はオリジナル自家製のハタキがありました。

このハタキ、神職が神事に入る前に行う祓いで用いる大麻(おおぬさ)に似ていることから、罪穢れを祓い、場を清めるといわれています。

ハタキでパタパタと埃を掃う行為は、まさにこれから始まる掃除(神事)の始まり。

埃は上から下に落ちますので順番としては、まずハタキをして、そこから床の雑巾掛けです。

そして近年、めっきり使わなくなっていますが、箒(ほうき)にも言い伝えがあります。

箒の「掃き出す」働きと産道から赤ちゃんを出す出産が重なり、出産の神様・箒神(ほうきがみ)として、箒は大切に信仰されてきました。

妊婦さんのお腹を箒でなでると安産になる、妊婦さんが箒をまたぐと箒神が怒って難産になるといった言い伝えもあります。

こうして見ると、掃除と神様と日本人。
とても縁深い繋がりが見えてきます。

世の経営者や成功者はみんな掃除に重きを置いています。

逆に、普段から掃除を習慣にしていたからこそ成功したと言えるでしょう。

日本人にとって家は神様のお宿です。

毎朝の掃除でお家を清めましょう。


●天長節

今年もゴールデンウィークが近づいてきました。

皇紀2685年、西暦2025、令和7年のゴールデンウィークカレンダーは以下の通りです。

4/26(土) 休日
4/27(日) 休日
4/28(月) 平日
4/29(火) 昭和の日
4/30(水) 平日
5/1(木) 平日
5/2(金) 平日
5/3(土) 憲法記念日
5/4(日) みどりの日
5/5(月) こどもの日
5/6(火) 振替休日

平日を挟みますが最大11連休が可能とか…?
実際の連休は一般的に5月3日からが多いように思います。

その中の4月29日に「昭和の日」があります。いわゆる昭和天皇の誕生日ですね。
この日は1927年(昭和2)年から国民の祝日です。

しかし、昭和天皇誕生日は過去に4回名称が変わって来た日です。

「天長節」「天皇誕生日」「みどりの日」そして「昭和の日」。

などと呼ばれ、現在4つ目の名前で呼ばれているという珍しい祝日です。

この機会に週刊ナショナルTIMESで意味や由来を知り、日本人の知識を広げてみてください。

①「天長節」(1927~1947年)

最初は「天長節」と呼ばれていました。「天皇の誕生日を祝う日」のことです。

天長節とは、古代の思想書(老子)で用いられた「天長地久」(てんちょうちきゅう)が元になっていると言われています。

「天は長く、地は久し」天地が永遠に続くように、いつまでも続いて絶えることがない、という縁起が良い意味です。

日本では8世紀から天長節を祝う慣習があったといわれていますが、もちろんそれ以前にも天長節とはいわずも現在の天皇に属する方々の誕生日祝いはあったでしょう。

国民の祝日となったのは明治時代からです。それから、新たに天皇が即位されるごとに名称が変わるようになりました。

②「天皇誕生日」(1948~1988年)

戦後の1948(昭和23)年に、「国民の祝日に関する法律」が制定され、昭和天皇の「天長節」だった4月29日は「天皇誕生日」と名称を変えました。

③「みどりの日」(1989~2006年)

1989年に昭和天皇が崩御され、元号は「平成」となりました。

天皇誕生日も12月23日に変わりました。

しかし既に、4月29日がゴールデンウィークを構成する祝日の一つとして国民に定着していたため、平日にすると国民の生活に影響が出るといった懸念から、「みどりの日」と名称を変えて祝日のままにしました。

昭和天皇が植物に造詣が深ことから「みどりの日」とし、趣旨は「自然にしたしむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」としました。

その後、4月29日だった「みどりの日」は18年続きましたが、2007年に「昭和の日」と改名され、「みどりの日」は5月4日に移動しました。

5月4日は元々平日でしたが、3日の「憲法記念日」と、5日の「こどもの日」に挟まれていたため、この3日間が飛び石連休になってしまうので、「国民の祝日に関する法律」の改正で「『国民の祝日』に挟まれた平日は休日になる」と定められました。

つまり、4月29日が「昭和の日」になったので5月4日が「みどりの日」に入れ替わったのです。

「昭和の日」は昭和天皇の誕生日ですが、明治・大正天皇の誕生日は?

明治時代は11月3日が、大正時代は8月31日が、それぞれの天皇誕生日で「天長節」として祝日となっていました。

明治天皇はその崩御から15年後の1927年11月3日に、明治天皇を偲ぶ「明治節」になり、1948年に現在の「文化の日」と改められました。

文化の日は、明治天皇の誕生日です。

大正天皇の誕生日である8月31日は、「天長節」として祝日でありましたが、8月の残暑厳しいその最中での様々な式典は行い辛く、秋の10月31日に「天長節」を移動させました。

よって、大正時代には天皇誕生日の祝日が2日ありました。

しかし大正天皇崩御後は8月も10月も何故か平日に戻ってしまいました。真意は定かではありません…

大正天皇は、明治天皇のご子息ですが、皇后様にご子息が生まれず、側室の権内侍の柳原愛子(なるこ)様が母です。

昭憲皇太后が母と信じて育ち、後に側室の子と知りショックを受けたと言われています。

柳原愛子様は側室が5人もおられた中の一人でしたので、主従の関係は厳密で母と名乗ることもできなかったようです。

また、大正天皇自身は病弱であったために、皇后は健康で丈夫な方を希望されていました。

子どももたくさん授かるようにと…

そして、九条家の黒姫様と言われた節子(さだこ)様、後の「貞明皇后」を迎えられ、続けて親王4人をご出産されました。

皇室に側室が無くなったのは、ここからではないでしょうか。

エピソードとして、大正天皇が崩御される前に、貞明皇后は、産みの母である柳原愛子様を呼ばれ、長い間直接お会い出来なかった大正天皇と最期の対面を希望しました。

柳原愛子様は、皇室に残り、皇后の教育係を務めていましたが、皇后は愛子様の人柄を実の母のように慕っていらしたので、最期の対面を希望したのでしょう。

皇室内の特別の措置だったようです。

柳原愛子様が亡くなった時、貞明皇后は深く悲しみ長く喪に服したといいます。

大正時代に2日あった天皇誕生日の祝日が、天皇崩御後には平日に戻りましたが、
天皇誕生日が平日に戻ったケースは、平成の明仁天皇の誕生日だった12月23日もそうです。

明仁天皇は崩御ではなく、譲位によって現在の徳仁天皇が即位され、元号が令和になり天皇誕生日は2月23日になりました。

12月23日を「平成の日」として祝日にする議論もありますが、今は平日となっています。

こうやって並べてみますと60年以上も続いた昭和は、太平洋戦争や大きな天災も多数起き、日本人には苦難と復興の時代であったことがわかります。

一方で、東京オリンピック(昭和39)・大阪万博(昭和45)が開催され、高度経済成長を遂げ世界屈指の経済大国になるような急ピッチの発展も駆け抜けた時代です。

そんな昭和の時代でしたから「昭和の日」は残したのかも知れません…

学説上、古くは初代天皇の誕生日は、神武天皇が紀元前711年1月1日となっております。

2月11日の紀元節改め建国記念の日は、神武天皇の即位を記念する日です。

建国をしのび、国を愛する心を養うための祝日です。

誕生日と即位の日はよく勘違いされますので。

ですから、建国記念の日と天皇誕生日も、異なる意味を持つ祝日です。

建国記念日は、日本の建国を記念する日であり、天皇誕生日は天皇の誕生日を祝う日です。

最後に、天皇誕生日の行事を…

宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われる。

伊勢神宮を始め、各地の神道神社では天長祭が行なわれる。

海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。

外務省や在外公館では慣行的に日本の「ナショナル・デー」とされ祝賀行事が行われる。

※皇后誕生日は地久節(ちきゅうせつ)と呼ばれますが国民の祝日にはなってはいません。

今年も4月29日「昭和の日」が近づいてきました。

昭和の日は法律で定められていますが、法律でなくても、日本人の心として、国を愛する心を養う日としたいものです。

更に…建国記念の日や天皇誕生日の、その1日だけではなく、常に日本国を敬い、自国の国旗も毎日掲げるほど大切にする心をもっともっと育みたいものです。

激動と復興を遂げてきた日本国を顧み、日本国の将来に思いを馳せながら…


●日本人と仕事

近年、ニート、無職、フリーターという言葉をよく耳にしますが、現在の日本の失業率は2.5%、約170万人が失業者となります。

又、体は元氣なのに精神的に病んでいて働けない人、体も精神も元氣なのに生活保護を不正受給している人など、今の日本人の「仕事観」は全体的に低下していると言っても過言ではありません。

「働く事」について皆さんはどういう印象を持っていますか?

「働くことに喜びを感じる」

「極力働かずしてお金を稼ぎたい」

「効率よく働きたい」など。

色んな見解があると思いますが…

我々日本人にとっての仕事の本質とは?

働くことの本質とは?

実は日本人にとって働く事とは「幸せに生きる事」と通じます。

西洋型成功哲学の中に「セミリタイヤ」という言葉があります。

リタイヤとは「退職、引退、棄権」を意味します。

西洋人は口を開けば「セミリタイヤ、セミリタイヤ」。

とっととお金を稼いでセミリタイヤして南の島でバカンスを楽しむ。

これが代表的な西洋型の仕事観。

ならば、日本人は?

日本人の口癖は「生涯現役」。

セミリタイヤと真逆。
引退なぞしません、生涯現役こそが誇らしいと考えます。

この違い、分かりますか?

これは民族性の違いだけに止まらず、実はそれぞれの神様に置き換えても西洋と日本では全く生き方が違うのです。

日本の神様はみんな仕事をしています。

日本書紀や古事記の中の神様は、機織りや田植えをして働いてます。

西洋の神の様に、みんなで葡萄酒を飲んで連日晩餐会を開いたりはしていません。

みんなで力を合わせ、汗を流し、働く楽しさを我々に教えてくれる…これが日本の神様の姿です。

実に誇らしい…!
そして自分が恥ずかしい…

もっと真剣に仕事をしなくてはと、背筋が伸びます。

神様が働いているのに、わたし達がフリーターだニートだ無職だと人生をサボっていては、良くない事が起こるのは当然の報いです。

日本人である我々にとって仕事は神事と同じ意味を持ちます。

なぜなら、日本語の【働く】の語源は【傍を楽にする】だからです。

日本人にとっての仕事とは【周りの人、傍を楽にするもの】。

自分の金の為、食う為、バカンスの為ではない。

誰かの為、社会の為に自分に何が出来るか。

これが我々日本人の仕事観の本質です。

因みに、英語の【Business(仕事)】の語源は【busy(忙しい)】。

フランス語の【travailler(働く)】の語源は【torture(拷問)】。

西洋人にとっての仕事は、忙しいものであり、拷問であり、自らのバカンスやリタイアを手に入れる為に【我慢してやらないといけないもの】であるという事が言葉から垣間見えます。

この仕事観、実はお酒の飲み方にも現れます。

「一番美味しいと感じるお酒は?」という質問に対し、
西洋人は「昼下がりのビール」と答え
日本人は「仕事の後の一杯のビール」と答えます。

わかる人にはわかる話。

この他愛ない答えにも日本人の仕事に対する実直さが現れています。

我々が仕事をする理由は、ただのお金稼ぎでもただの食べる為でもありません。

もちろんそれも大事ですが、働く事の本質は周りを楽にする為、周りの役に立つ為、その為に自分に何が出来るか。

仕事という労働を通じて、自分の役割や使命を見つけていく。

これが日本人にとっての【働く】です。

故に、西洋型成功哲学にあるセミリタイヤや不労所得という生き方は、実は日本人のDNAには合っていないのです。

西洋の成功哲学に散々翻弄されてきた日本人。

いよいよここに来てその歪みが社会問題となって浮き彫りになりつつあります。

結論
日本人は働かないとダメになる。

そして、日本人は働くと強く賢くなる。

日本の神様が神話の中からわたし達に語りかけている氣がします。

さぁ、今日も元氣いっぱい!

日の本の民の一員として、精一杯働きましょう。


●「和風月名」の「卯月」

4月は何かと新生活がスタートします。
学校の入学と卒業、会社の入社など区切りとなっている月であります。

そんな4月を「和風月名(わふうげつめい)」で、卯月(うづき)と言います。

卯月の由来は諸説あり、「卯の花が咲く月のため」や「十二支の四番目が卯にあたるため」などの説が有力だといわれています。

二十四節氣において4月は夏に分類され、4月5日頃を「清明(せいめい)」、4月20日頃を「穀雨(こくう)」と呼びます。

また、4月の誕生花はアルストロメリアで、花言葉は「未来への憧れ」「持続」などです。

そもそも「和風月名」とは?

日本では、明治5年まで旧暦(太陽太陰暦)が使用されており、旧暦では「和風月名」というものが使われていました。

和風月名は現在のような数字ではなく、1月が「睦月」、2月が「如月」といった具合に、季節の行事や風習、季節感などに合わせた名称です。

つまり、旧暦における12か月の名前を「和風月名」といいます。

「和風月名」とは旧暦で用いられた「月の呼び名」のことです。

当時の暦は「太陽太陰暦」と呼ばれるもので、月の満ち欠けで1か月を定めていたのです。
因みに、月の満ち欠けの周期は約29.5日のため、旧暦の1か月は29日、もしくは30日となります。

しかし、それだと1年が354日となり、少しずつ暦と季節にズレが生じるため、旧暦では約3年に1度、閏月(うるうづき)を設け、1年が13か月になるように調整していました。

一方、現在使われている新暦は太陽の動きをベースとしている暦(太陽暦)であるため、1年は365日です。

こちらは4年で24時間(1日分)のズレしか発生しないため、4年に一度、閏年を設ければ修正できる計算です。

和風月名は、日本国らしく情緒を重んじているために、季節の行事や風習をもとにしています。

ですから、睦月、如月、弥生など風情のある名前が多いのです。

その起源は古く、「日本書紀」では既に4月に「うげつ」、2月に「きさらぎ」という読み方が使われていますから、日本書紀よりもっと古くから使われていたと思われます。

現在の日本で使われている暦はグレゴリオ暦と言って、1月・2月・3月などと呼びます。
ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年に制定した太陽暦で、現在世界で最も多く使用されている西洋暦です。

一方、日本の和風月名とは月の呼び名、和名で旧暦の呼び名として使われています。

前述したように、旧暦は明治5年まで使用されていたとされる太陽太陰暦のことで、太陽暦と太陰暦を組み合わせたものです。

・太陽暦…太陽の周りを地球が回る周期である365.24日に近い365日を1年とする考え方。

・太陰暦…月の満ち欠けによって1ヶ月を決めたもの。

そこにできる細かいズレを、閏日を設けて調整しましたということ。

和風月名って季節感のある呼び名で風情がありますね。
その和風月名と一緒に知っておきたいのは「花暦(はなごよみ)」です。

早い話が「月ごとに咲く花」から見た暦です。
桜の回の時にも少し触れましたが、花の開花時期を農作業の目安に使用していました。

現在では花の種類が変わっていたり、地域ごとによっての花暦も存在しています。

主に…
1月 松・梅・福寿草
2月 梅・椿・水仙
3月 桜・桃・菜の花
4月 藤・桜・チューリップ
5月 菖蒲・藤・カーネーション
6月 牡丹・紫陽花・花菖蒲
7月 萩・山梔子(くちなし)・百合
8月 薄(すすき)・百日紅(さるすべり)・朝顔
9月 菊・萩・彼岸花
10月 紅葉・木犀(もくせい)・秋桜
11月 柳・山茶花・菊
12月 桐・枇杷・石蕗(つわぶき)

日本の旧暦の太陽太陰暦では、1年のそれぞれの月を数字ではなく行事や風習、季節感に由来する和風月名で呼んでいたといいました。

睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走…

最後に、それぞれの名称に込められた意味を知り使いこなすようにすれば、日本人としての潜在意識や感性が、もっともっと磨かれるように思います…

是非知っておきましょう!
和風月名の月の名前とその由来を。

諸説ありますが、それぞれの季節感や行事、風習を思い浮かべながら楽しんで覚えてください。

〇1月=睦月

和風月名では、1月は「睦月(むつき)」ですが、年の始まりに家族や友人、仲間が集まり、仲睦まじくするために「睦び月(むつびつき)」から、睦月に転じたという説が有力です。

他にも、字は違いますが、稲の実を初めて水に浸す月であることから「実月(むつき)」という説もあります。

また、1月には睦月以外に、「初春月(はつはるつき)」「新春(しんしゅん)」「早緑月(さみどりづき)」などの「異称」もあります。

〇2月=如月

2月は「如月(きさらぎ)」
まだ寒さが残っていて、衣を重ね着することを指す「衣更着(きさらぎ)」が語源という説。

他にも、陽氣が更に良くなるという意味の「氣更来(きさらぎ)」や、草木が生え始めることを意味する「生更木(きさらぎ)」が由来だとする説もあります。

〇3月=弥生

3月の「弥生(やよい)」は、「木草(きくさ)弥(いや)生(お)ひ茂る月」という言葉が語源だとされています。

「弥(いや)」には「ますます・いよいよ」という意味があり、3月=暖かな陽氣で、草木がますます生い茂る月ということです。

3月の異称には、十二支を12か月に当てはめた「辰月(しんげつ)」や、花が咲く季節であることを意味する「花見月(はなみづき)」や「桜月(さくらづき)」も3月を表す呼び名です。

〇4月=卯月

旧暦では「卯月(うづき)」からが夏であり、この時期に衣替えをしていたとされています。

卯月の由来は「卯の花が絶頂になる月」だからという説が有力です。
また、稲の苗を植える作業を指す「植え月」が語源だとする説もあります。

異称としては、「卯の花月(うのはなづき)」や「夏初月(なつはづき)」などです。

麦の収穫時期を意味する「麦秋(ばくしゅう)」や、空が晴れてすがすがしい様子を指す「清和(せいわ)」などの呼び名もあります。

〇5月=皐月

旧暦の皐月(さつき)の時期を新暦に置き換えると、5月下旬から7月上旬頃です。

「さつき」という読み方は、田植えを意味する「早苗月(さなえつき)」を略したものだという説が有力ですが、田植えを意味する接頭語の「さ」に由来するともいわれています。

なお、「皐」という漢字の意味は、さわや水ぎわ、水田などです。

皐月の他にも「稲苗月(いねなえづき)」や「田草月(たぐさつき)」など、田植えに関する異称が存在します。

5月は全般的に草木が活き活きする月でもあります。

また、夏の真ん中を表す「仲夏(ちゅうか)」や、梅雨に由来する「雨月(うげつ)」などもあります。

〇6月=水無月

6月の和風月名は「水無月(みなづき)」。

水無月の「無」は「ない」という意味ではなく、助詞の「の」を意味するもので、田んぼに水を張る季節であることから「水の月」という意味です。

梅雨にも入りますから「水が有る月」「水の多い月」です。

この他、田植えという大仕事を終える月であることから、皆やり尽くしたという意味の「皆仕尽(みなしつき)」が転じて水無月になったという説や、逆に文字通りの「水が干上がる暑い季節」だからという説も存在します。

水無月以外の異称は、「風待月(かぜまちづき)」「鳴神月(なるかみづき)」「松風月(まつかぜづき)」などです。

〇7月=文月

「文月(ふみづき)」の由来として有力なのは、七夕の夜に書物を開いて夜風にさらすことで、書の上達を祈る風習があったことから、そう呼ばれるようになったとする説。

もとは「文披月(ふみひらきづき・ふみひろげづき)」と呼ばれていましたが、それが転じて文月になったのだそうです。

その他、稲穂が実る頃を指す「穂含月(ほふみづき)」や「含月(ふふみづき)」が文月に変化したとする説もあります。

異称として「七夕月(たなばたづき)」や「秋初月(あきはづき)」などともいわれます。

〇8月=葉月

「葉月(はづき)」という名称は、秋に入って葉が落ちること「葉落月(はおちづき)」に由来するといわれています。

他にも、稲の穂が張る季節「穂張月(ほはりづき)」が転じたとする説や、雁が到来することに由来する「初雁月(はつかりづき)」が転じたとする説もあります。

葉月以外の異称は「仲秋(ちゅうしゅう)」「燕去月(つばめさりづき)」などです。

〇9月=長月

「長月(ながつき)」の起源は明らかになっていませんが、秋の夜長を表す「夜長月(よながづき)」に由来するという説が有力です。

この他、秋の長雨(ながめ)だとする説や、「稲刈月(いねかりづき)」が転じて長月になったという説もあります。

9月の異称には「紅葉月(もみじづき)」「菊月(きくづき)」もあります。

〇10月=神無月

「神無月(かんなづき)」の「無」も、水無月と同様「なし」ではなく助詞の「の」を意味します。

旧暦の10月は収穫祭が行われ、農作物の実りを神に感謝する月であったため「神の月」という呼び名になりました。

なお、島根県の出雲地方では、古くから神無月のことを「神在月(かみありづき)」と呼びますが、これは10月になると出雲大社に八百万の神が集まるとされているためです。

そのため、出雲では旧暦の10月頃に、神様を迎える神事が多く行われるのですね。

〇11月=霜月

旧暦の11月「霜月(しもつき)」は、現在の12月頃であり、この時期になると霜が降りるため、その名がついたといわれています。

霜月以外の異称に「神帰月(かみきづき)」「神来月(かみきづき)」などもありますが、これは10月に出雲に集まった神々が、それぞれの神社に戻ることに由来する異称です。

また、神に歌舞を奉納する「神楽」が盛んに行われるため、「神楽月(かぐらづき)」と呼ばれることもあります。

〇12月=師走

1年の最後である12月の和風月名は「師走(しわす)」。
他は知らなくてもこれだけは誰もが知っている和風月名ですね。

いくつかの説がありますが、一般的には、普段は偉い「師」も「走る」ほど忙しくなるという説。

この場合の「師」とは、僧侶や神社で参拝客の世話をする「御師(おんし)」と呼ばれる人のことを指しました。

ですから12月は、神社仏閣を参拝する人が増えるから、御師も走る「師走」というようになったそうです。

他にも、年の終わりを意味する「歳極(としはつ)」「年果つ(としはつ)」が由来だとする説や、四季の終わりの月である「四極(しはつ)月」が語源だという説もあります。

「和風月名」の「卯月」いかがだったでしょうか。

四季がある日本、四季を楽しんでいた先達たちの月と太陽から学んだ智恵が生んだ日本人の情緒は素晴らしく心地よいですね。

日本人の感性を鈍らせることなく、もっともっと輝かせましょう!


●日本人とどうぶつと自然

日本人特有の「八百万の神」とは。

神道にはアニミズムの考え方があり、自然界の万物に霊性があり、全てを尊しとしています。

山にも川にも木にも岩にも魂があり神が宿る【八百万の神】の精神。

故に、無闇に自然を汚したり壊してはいけないし、誰も居なくても「お天道様が見ている」と襟を正す事ができるのが日本人です。

この精神性こそが、日本人の礼儀正しさ、真面目さ、誠実さ、優しさを育んできました。

キリスト教の「神はイエスのみ」という一神教の考えからは、このような神道のアニミズムは想像もできないでしょう。

八百万の「よろず」は「無限」を意味しています。

自然は無限であり至る所に神が宿るという事ですね。

突然ですが、数の単位はご存知ですか。

一から始まり、十、百、千、万、億、兆、京(けい)、垓(がい)、 秭(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)とあります。

無量大数で終わり…かと思いきや、実はまだ上があるんです。

無量大数の次は「万(よろず)」です。

同じ漢字で万(まん)もありますが、ここではよろずと読みます。

数えることが出来ない無限大数よりも大きなものが、よろず。

つまり日本人にとっての神は「自然万物全てが神であり、それは数えれるものではない」という存在あります。

この崇高な教えは世界でも類を見ません。

故に日本の神社は、どうぶつを神として祀っているところが多くあります。

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〇鶏

三重・伊勢神宮

奈良・石上神社

〇蛇

奈良・大神神社

〇八咫烏

和歌山・熊野本宮大社

〇雷鳥

金沢・白山比咩神社

〇白ヘビ

長野・諏訪神社

〇海蛇

島根・出雲大社

〇狐

京都・伏見稲荷

〇馬

京都・貴船神社

京都・上賀茂神社

〇狼

埼玉・三峰神社

武蔵御嶽神社

〇虎

埼玉・秩父神社

〇蛙

東京・品川神社

〇象

栃木・日光東照宮

〇鰻

三嶋大社

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こうして見ると、実に多くの神社がどうぶつを崇め大切にしているのがわかりますね。

実在の生き物ではありませんが、「龍」も日本では神と考えられています。

雨は龍神様の恵、水害は龍神様の怒り…などと表現します。

龍は日本では神の遣い。
八百万の神の一人です。

龍神に纏わることわざもあります。

雷(カミナリ)とは神鳴りの事で、天からの警告と言われています。

その雷が収まり、雲の切れ間から龍神の鱗が垣間見えることを「片鱗を示す」と言います。

これは吉事、才能、力を発揮する前触れの瞬間であり、吉兆のことわざです。

このように日本では龍は神ですが、西洋での龍は全く違う認識をされています。

西洋で龍はドラゴン。
ドラゴンは災いの存在として英雄に退治されてしまいます。

捉え方の違いで、神にもなれば悪にもなる。

ならばわたしは、日本人のアニミズムの考え方が好きです。

自然、どうぶつ、全ての命を尊重し、霊性や神を重んじる国、日本🇯🇵

その古き良き教えは、今の殺伐とした日本社会にこそ必要だと感じます。


●桜

桜は、日本の文化や生活に深く根ざした存在として親しまれています。

一体なぜ、日本人はここまで桜に魅了されるのでしょうか?

それは、桜は春の到来を象徴する花であるから。

四季がはっきりしている日本では、寒さが厳しい「冬」が終わり、温かくなる「春」は心躍る季節です。

他の動物や昆虫も冬眠などから覚めて生命活動が盛んになります。
ですから生命体の本能なのかも知れません。

桜が満開になると、様々な物事が新たにスタートを迎える…

そんな「心躍る季節」の訪れを実感できることが、日本人が桜を好きな理由なのでしょう。

そして「儚く美しい花」であること…

ずっと前から、桜が満開になる時期を心待ちにしていたにも関わらず、桜は長くても2週間程度で散って行きます…

パッと咲いてパッと散る…そんな「儚さ」に日本人は美学を感じ、「儚い花」であるゆえに満開の桜の美しさに魅了されるのでしょう。

儚く散ってゆく命の短さから、人生で最も重要な「死生観」を考えたりする対象ともなっています。

それがゆえに、お花見で賑やかにお弁当を食べたり、お酒を飲んだり楽しい時間を過ごそうと意識するのです。
日本人はロマンチストなのです。

また、桜は心や体にも直接的に良い効果をもたらします。

桜の上品な香りには、クマリンという物質が含まれており、抗菌作用やリラックス効果、鎮静作用、血圧低下作用、咳止め作用、二日酔い防止作用などが期待できるそうです。

更に、桜の木からはフィトンチッドという成分(匂い)が出されており、殺菌作用があり、桜の木自身が病気から身を守る働きがあり、桜の花を見ることで心が豊かになり、穏やかな氣分になれるのです。

色もピンクで優しい氣持ちになれる…

桜の花のピンクを見ると、誰もが何となくウキウキワクワクします…

色は光の波長を目で感じ取るものですから、わたし達の心理や行動に影響を与えます。

ピンク色は主に「女性ホルモンの分泌を促す」「愛情や思いやりをもたらす」
「緊張を和らげ、優しい氣持ちを引き出す」「脳を活性化させる」などがあります。

桜をじっくりと眺めてください…心が豊かになり、穏やかな氣分になれますよ。

「さくら」の名前の由来には諸説あります…

桜は「穀物の神が宿る樹木」と考えられていました。神が宿る木です。

昔の日本語では「さ」は稲の精霊、「くら」は稲の精霊が降臨する場所を指す言葉。

それを合わせて「さくら」となった説があります。

言い方を変えれば精霊とは神を指すので「さ」は「さ神」で神を表し、「田んぼの神様」、「くら」は神様が鎮座する「台座」なので「田んぼの神が宿る木」ということですね。

他にも、日本書紀や古事記に登場する神様「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」を由来とする説。

この神様は富士山の上空から桜の種を蒔いたという逸話があり、名前の一部にある「さくや」から「さくら」に変化したと言われています。

ここでも「神」が関係する木ですね。

また、農家は古くから桜を農業の目安にしてきたようです。

「紀元前300年から紀元後250年」は弥生時代ですが、既に弥生時代から、桜は穀物の神が宿る樹木として祀られていますから、実際はもっと古くから行われていたのではないでしょうか…

桜の開花時期は氣温と密接に関係しており、暖かくなると開花を始めます。

そのため、桜が満開になる時期を基準にして、稲作を開始していたと推測されています。

また、桜の咲き具合で稲作の豊凶を占う習慣も生まれました。

つぼみが七部ほど膨らむと稲の籾まきを始め、花が満開になると桜の下で豊作を祈願しました。

豊作祈願の神事でも桜を見た…桜はこれほどまでに、日本人の生活習慣に深く関わっています。

毎年微妙に異なる季節の変化を知るための暦がわりとしても、桜を見ていたということです。

桜といえば「お花見」ですが、一説によれば奈良時代までお花見といえば『梅の花』だったようです…

それが平安時代になり、遣唐使が廃止され、日本本来の文化を重視する国風文化が発展し、嵯峨天皇が桜好きであったことから、徐々に花見の中心が桜に変わって行ったともいわれています。

因みに、お花見といえば、欠かせないのが『三色団子』。

この三色は三つの季節を表現しているといいます。

白は「冬の淡い雪」、ピンクは「春のほのかな桜」、緑は「初夏の清々しい新緑」。

秋がないのは、「飽きない」と「商い」をかけて、「いくら食べても飽きない、だから繁盛する」という団子屋の洒落だとか…

桜はピンクの花だけじゃなく600以上の種類があります。
日本中にある桜の7割は「ソメイヨシノ」という種類です。

「ソメイヨシノ」は接ぎ木や挿し木で増やしているため、子孫が繁殖しているわけではなく、いわば「クローン」が日本の桜の7割を占めているということになります。

しかし桜並木の均一化された色彩は、クローンだからこそ生み出せる美しさなのです。

また、桜といえば、「サクランボ」を連想する人も多いのですが、サクランボの実がなるのは「セイヨウミザクラ」と呼ばれる品種です。

「セイヨウミザクラ」は日本にはほとんど生えておらず、花見をする場所にもほとんどありません。

桜の名所に多い「ソメイヨシノ」や「ヤマザクラ」にも実はなりますが、食べられるほど美味しくありません。

「美しいバラには棘がある」といいますが「美しい桜にも毒がある」といわれています。特に未熟な実には毒の青酸が発生するため、桜の実を食べる時には注意が必要です。

桜の葉にも毒はあるようですが、大量摂取しない限り、1〜2枚程度であれば食べても問題はないようです。市販に出ている物は正しく処置もされているでしょうし。

「美しいバラには棘がある」実は…桜もバラ科なのです。

桜の魅力や歴史や雑学をお話して参りましたが、そんなことを知ると、この春の花見が更に楽しくなりそうですね…

日本人と桜は切っても切れない縁…日本を代表する桜は本当に美しいです。

ラグビー日本代表チームのエンブレムは「桜」です。

ラグビー日本代表チームの愛称はブレイブブロッサムといい「勇敢な桜の戦士たち」という意味です。

それだけ日本といえば桜なのです。

日本人として美しくも儚い「桜」に誇りを持ちましょう。


●春分の日とは

この日はお彼岸とか、昼と夜の長さが同じになる日とか、実際には昼のほうが少し長いとかいいますが…

戦後の1948年(昭和23年)に春分の日という名に変えられましたが、この日は元々「春季皇霊祭」(しゅんきこうれいさい)でした。

春季の字を取って、春分の日と改称されました。

春季皇霊祭は、現在でも行われている宮中祭祀の一つです。

秋分の日は「秋季皇霊祭」といい毎年2回、斎行される大祭です。

大祭とは、皇居の宮中三殿で天皇自らが斎行し、御告文(おつげぶみ/天皇が祭主として行う祭事の際に、皇祖皇宗の神霊に告げる文)を奏上する祭祀のこと。

この日は歴代の天皇、皇族の御霊が祀られる皇霊殿にて「春季皇 霊祭の儀」など祭祀行事が行われ、皇族の方々も出席されることが多い。

この祭祀は、戦前の日本では非常に重要な儀式の一つとされてきました。
だからこそ、名は変えられても国民の祝日となって残ったのです。

伊勢神宮でも、春分の日に春季皇霊祭の拝殿向かって左側から遙拝するといいます。

地域の各神社でも、春分祭などを行い、そのなかで遙拝式を執り行うことも多いです。

こうした点から、やはり現代になっても、春分の日は日本人にとって大切な日だということがわかります。

今ではお彼岸のイメージが強く、この日はご先祖様を供養する日とされているのは、元々大祭にて歴代天皇の御霊を祀る日本の大切な行事からきているのでしょう。

お彼岸は仏教行事とされていますが、外来からきた宗教より日本の神道行事の歴史は遥かに古いですから。

春分の日は、1年のうちで昼夜の長さがほぼ同じになる日のことで、3月20日か3月21日のいずれかになるのは良く知られていることです。

また、春分の日は二十四節氣(にじゅうしせっき)の一つです。

二十四節氣とは、1年を地球から見た太陽の位置で24等分し、そのそれぞれで名前を付けたものです。

夏至や冬至、秋分、立春、立秋もこれに当たります。

暦(こよみ)という言葉がありますが、いにしえの時から人々が暦として使用していた太陰暦は、月の運行に基づいていて、実際の季節とずれが生じます。

そこでより正確に、細かく季節を把握するための暦として、地球と太陽の位置関係を基に求めた太陽暦、二十四節氣が生まれたといわれています。

ですから二十四節氣は「1年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められています。

簡単に言えば、地球から見た太陽の通り道を24等分したものです。

太陽の運行を基に1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、12の節氣と12の中氣に分類し、季節の移り変わりを言葉で表現したものが二十四節氣です。

なので、立春、立夏、立秋、立冬などがあり、季節の始まりを示すこれらをまとめて「四立」と呼ぶのです。

重要な中氣は、北半球では1年で昼の時間が最も長い日を夏至、夜の時間が最も長い日を冬至、昼と夜の長さが同じ日を春分、秋分としました。

夏至、冬至、春分、秋分をあわせて「二至二分」と呼びます。

「二至二分」と「四立」をあわせて「八節」といます。

冬至と春分の中間に当たる日を立春とし、この日が暦の上では春の始まりになります。

二十四節氣以外にも、季節の目安となる雑節というものがあり、それにあたるのが「節分」「彼岸」「土用」などです

因みに、春分の日には「ぼた餅」を食べ秋分の日には「御萩」を食べます。

ぼた餅とおはぎは似ていますが、実は微妙に違います。

もち米と餡子を使用するところは同じですが、春はこし餡でぼた餅、秋は粒餡で御萩、となります。
餡子の種類が違うのは、収穫時期が違うからです。

収穫したばかりの秋の小豆は、皮ごと食べられるので粒餡です。

また、小豆は邪氣を払い、魔除けの効果があるとされています。

そして、ぼた餅(牡丹餅)は春に咲く牡丹の花にちなんで名付けられ、御萩は秋に咲く萩の花にちなんで名付けられたものです。

名前にも日本の四季の美しさが感じ取れます。

日本の行事を大切に行いましょう。


●感情がより伝わる大和言葉の美しさ

前回は日本人の耳の能力についてのお話でしたが、今回は日本の言葉について。

わたし達が普段使っている日本語には実に奥深い歴史があります。

日本語は外国人が習得に苦労する程に難しいと言われており、その種類は多様他種あります。

パッと思い浮かぶだけでも、わたし達は最低以下の四種類の言葉を使い分けながら生活しています。

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①大和言葉…日本で古くから使われていた言葉・訓読み

言わずもがな・たおやか・お召し物・まろやかなど

②漢語…中国から入ってきた言葉・音読み

感動・学校・教育・歓喜、洋服など

③外来語…西洋から入ってきた言葉・カタカナ読み

デリカシー・テーブル・ハッピー・ラッキーなど

④混種語…上記が合わさった言葉

長ズボン・電子レンジ・ソーダー水・通勤ラッシュなど

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日本語の中でもとりわけ美しい「大和言葉」は漢語や外来語が入る前からある日本古来固有の言葉であり、和語(わご)とも呼ばれます。

わたし達が普段何氣なく使っている言葉は実は大和言葉が多くあり、例えば「ありがとう」も大和言葉です。漢語では「感謝」、外来語では「サンキュー」といった感じで同じ意味の言葉でも印象が変わります。

「敬う」→「尊敬」→「リスペクト」

「始める」→「開始」→「スタート」

「生業(なりわい)」→「仕事」→「ビジネス」

例えば「今の仕事を生業(なりわい)にしている」というのと「今の仕事で食べている」というのとではその仕事にかける想い深さの違いが伝わってきます。

大和言葉を知るほどに、他の言葉にはない柔らかな響きと奥深い意味合いがあることが分かります。

しかし残念なことに、最近は便利な漢語や外来語が主流になり、大和言葉が忘れられつつあります。

せっかく美しい日本語があるのに、使わないのは実にもったいない。

大和言葉では、心を動かされた時の感情を「胸」を使って表現することが多くあり
ぐっと来たなら→「胸に迫る」
ずしんと来たなら→「胸を打つ」
じわじわ来たなら→「胸に染みる」

ひと口に「感動した」といっても、その程度や感じ方は人それぞれ。

その繊細な表現を細やかに伝えられるのは、わびさびや機微を大切にする大和言葉だからこそです。

安心した時には「胸をなでおろす」という言い方もありますね。

胸に手を当ててホッとしている様子が、言葉ひとつから目に浮かんできます。

この様に大和言葉は、その一言から広がる情景へとわたし達を誘ってくれます。

現代用語の「超~」や「物凄い」は「こよなく」という言葉に置き換えれます。

「こよなく楽しかった」「こよなく愛している」「こよなく親しんだ」などという使い方をすると、想いに深みが出ますね。

「待ってる」よりも「心待ちにしている」の方が、言われた相手は嬉しく感じられるもの。

言葉ひとつで相手を思いやり、さりげなく氣遣いを表現できるのも大和言葉の特性です。

また否定的な場面などでも「相手に不快感を与えない」言いまわしも大和言葉は得意です。

例えば「妥協する」と言いたい時は「折り合う」。

「暇な時に」は「お手すきの時に」にと。

ビジネスでよく耳にする「恐れ入りますが・・」「不躾ではありますが・・」も実は大和言葉です。

自分を下げて相手を敬うという、日本人らしい謙虚で丁寧な言いまわしですね。

普段、無意識に使っている大和言葉も多くありますが、意識して使いこなす事で更なるコミュニケーションの達人になれる事間違いなし。

これを機に大和言葉をどんどん使ってまいりましょう。

言葉がその人の人格と人生を作ります。

余談ですが、金八先生の歌いだし「暮れなずむ町の~…」は個人的に大好きなフレーズです。

「暮れなずむ」も大和言葉です。

何とも言えない夕暮れ時の朱色の空が広がり、切なくも懐かしい風景が想像できます。

これが漢語だと「夕方」となります。

うーん…「夕~方の町の~…by金八先生」であれば、あそこまでの名曲にはならなかったでしょう。

大和言葉はこのうえなく美しい!

大和言葉、ブラボー!いや、違う。

大和言葉、最高!いや、もとい。

大和言葉、あっぱれ!

これで〆ましょう。


●「日本人の能力」(耳)

耳と脳は関係がある…
日本人の脳は、他国の人間の脳とは明らかに異なる。

虫の声は日本人とポリネシア人にしか正常に聞こえないと言われています。

右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。

左脳は言語脳、話す声の処理や、理論的知的な処理を行う。それは日本人も西洋人も同じ。

しかし、虫の声をどちらで聞くのかに違いがあった。

西洋人は虫の声を、機械や雑音と同様に、音楽脳(右脳)で処理するのに対して、
日本人は、言語脳(左脳)で受け止める。

要するに、虫の声は「声」では無く「音」として処理してしまう。

中国人や朝鮮人も西洋型。日本人でも外国で育てられると西洋型になる。

外国人でも日本語で育てると、日本型になる。

元のDNAが日本人なら、尚の事繊細に聞き分ける。

まつむし=チンチロリン
すずむし=リンリン
こおろぎ=キリキリ
くつわむし=ガチャガチャ
すいっちょん=スイ―チョン

「虫のこえ」と言う童謡は、日本人の素晴らしい能力から生まれた優れた作品。

古くは万葉集でも「こおろぎの声」や、他の虫の声は沢山でて来る。

その耳で、精密な心理描写や季節などが伝わる。

それが日本人特有の「機微・情緒」にも現れている。

人も虫も、生きとし生けるものに対する等しい考え方や、日本人が元来持っている自然観から来るのであろう。

生物、無機物を問わず全ての物の中に霊が宿っているという考え方「アニミズム」の素晴らしい国。

どうぶつの声以外にも、波、風、雨音、せせらぎ…なども日本人は言語脳で聞いている。

それは「音」ではなくて「声」なのだ。自然の声。

これも、海や川や山など、ありとあらゆる自然物には神が宿り、人間はその一員に過ぎない、
「自然物は全て声を持っている」と言う日本人独自の自然観が成せる技なのであろう。

ある外国人が泊まった高級旅館が川沿いで、心地よいせせらぎの音がする部屋だったそうだが、泊まった人は「noisy」と言って嫌ったらしい。ノイジーつまり雑音だと言い放った。

外国人は、犬はワンワン猫はニャーニャーと聞こえないので言えないらしい。
虫の声になれば尚更だろう。

音として捉えるのか? 声として聴けるのか?
どうぶつもの「声」も、声ではなく、音としている。

日本語は「擬声語、擬音語」などが高度に発達している。

①自然の音を言語脳で処理できる日本人の生理的特性。

②擬声義・擬音語が高度に発達している。

③日本語の語学的特徴と、自然には神が宿っているので声が有る、

と言う自然観の三点セットが見事に日本人には揃っている。

日本人が凄いのか?
母国語が凄いのか?
日本国が凄いのか?

いづれにせよ、誇るべきことである。


●何故日本はご飯がおいしいのか

「日本はご飯が世界一美味しい」

外国人観光客に日本に来る理由を聞くと殆どの人がこう答えます。

確かに、世界と比べて日本の食が一番美味しいと思います。

勿論、日本人の探求心や研究熱心な素地もあっての事だと思いますが、日本の土地で取れる野菜や豊富な魚介類、そして何よりも日本の風土あってこその世界一だと思います。

風土とはつまりその土地の「菌」を指します。

野菜が取れる土壌も「菌」が作っています。

日本には素晴らしい四季があり、湿度も高く菌が育ちやすい環境が整っており、稀に見る良菌と発酵菌に恵まれた国です。

そして、日本人の食を支える調味料の殆どは発酵の元に出来上がります。

わたし達人間も菌で出来ていますので、食を通して良い菌を取り入れる事こそが健康長寿の基本ともいえます。

味噌、醤油、酒、味醂、酢、麹など、わたし達日本人が普段から使う調味料は発酵菌によって造られてきました。

和食は良菌を摂取できるものが多く存在し、故に世界中の人が美味しいと感じるのではないでしょうか。

それに発酵菌は解毒作用も非常に高いため、正しい調味料を使った和食を食べると体調も良くなります。

長崎の原爆症を「味噌、玄米、塩」で治した秋月先生は有名ですね。

日本の発酵食品は世界で稀に見る解毒力を持つ、素晴らしいパワーがあります。

添加物を入れなかった昔の日本の調味料は発酵菌が生きていたため「台所の薬箱」と呼ばれていたそうです。

調味料だけではなく、飲むお酒にも意識を向けましょう。

ワインやウイスキーなど、外国のお酒は日本人に本当に合うのか…

そうでなくとも安価なお酒や輸入酒には添加物の問題も出てきます。

方や日本酒や焼酎など日本のお酒は日本の国土から生まれた麹菌と酵母菌で造られています。

正しいお酒を飲む行為は見方を変えれば「良菌の摂取」です。

お酒は菌そのもの。

ただし日本酒の中にも純米大吟醸のような純度の高い良いお酒もあれば、醸造アルコールの入った健康を害する日本酒もあります。

お酒は良いものを少量ならば百薬の長になると言われますが、何を選ぶかの知識は非常に大切ですね。

日本人には日本の菌で出来た良質な日本酒と良質な焼酎が合います。

日本を代表する麹菌と酵母菌で造った良質なお酒で、健康で楽しい時間を過ごしましょう。


◆日本は世界最古の国

今年は西暦では2025年ですが、日本の紀年法で言うと「皇紀2685年」です。
キリスト歴より660年も古いのです。

その日本はいつ、誰がつくったのか…が言えない日本人が増えていますが、日本人ならいつでもどこでも言えるようにしておいてください。

特に外国人に聞かれた時や、外国に行った際には、即答できるようにしておくと良いです。

記録上、記紀『古事記』『日本書紀』では、神武天皇が2685年前、西暦に換算すると紀元前660年2月11日に即位し建国されたとしています。

しかしこれはあくまで古事記などの記録の中の事です。実は日本はその遥か昔からあります…

でも一般的には、日本はいつ?誰が造ったの?と聞かれたら、2685年前に神武天皇が造ったと言う事です。

問題なのはこの一言が言えない日本人が多いのです。

外国のキリストの誕生日は言えても、日本の誕生日が言えない…そのような事がないようにしましょう。

以来、約2700年にわたり、王権を繋いできた、世界唯一の単一王朝国家です。

中国は4000年の歴史があると言いますが、王朝は途切れ途切れで、夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢・三国などと、中華人民共和国になるまでに過激な権力争いを繰り返してコロコロ名前が変わっています。

つまり日本のように続いてはいないのです。

世界の国は「王国」と「共和国」に分かれますが、共和国は変わりやすいです。

よって日本は現存する国の中で世界最古となります。なぜ?これほどまでに続くのか…?
それは一言「正しい」国だからではないでしょうか。

争いを好まず、あらゆるものに神が宿ると信じ敬意を表し、玄米穀類魚介類を食べ、水に恵まれ、獣肉を好まず血液を汚さなかった…

日本の悪口を言う外国人たちも、なぜだか日本が大好きで日本に来たがる?

自国では日本の悪口を言いながら、日本に行きたがるなんて大きな矛盾ですね?
それだけ日本は素晴らしのでしょう。

世界の王室を歴史の長さで比べると、1位の日本と2位のデンマークとの差は400年以上あります。

日本の皇室は126代、

2位はデンマークは54代(1000年強)

3位のイギリスは41代(900年強)です。

日本には世界に誇れる素晴らしい歴史があります。
先ずは日本の建国日を暗記して、いつでもどこでも応えられるようにしてください。


■日本の本当のお正月

さて、毎年二月の立春は「春節(正月)」と呼ばれ、多くの中国人が日本へ旅行にやってきます。

春節は中国のお正月と捉えられがちですが、実はアジア共通の認識です。

わたし達のお正月と言えば「一月一日」ですが、これは新暦(西洋暦)の場合であり、アジア諸国はずっと旧暦(東洋暦)を使っていました。

故に東洋暦を使うアジア諸国とはこの様なズレが生じるのです。

新暦は太陽暦で、太陽のリズムを軸とし、一年を365日と設定しています。

かたや旧暦は太陰太陽暦で、月のリズムを軸とし、一年を354日としています。

日本が旧暦から新暦(西洋歴)に変わったのごく最近、明治五年のことです。

それまでの何万年もの間、日本も他のアジア諸国と同じく太陰太陽暦(旧暦)を使っていました。

因みに今も太陰太陽暦を使っている国は
中国、香港、台湾、韓国、北朝鮮、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシア、モンゴルなどです。

そういえば知り合いの韓国人はわたし達で言う大晦日、元旦は普通に仕事をしていました。

今年の立春は2月3日でした。

つまり東洋では2月3日こそがお正月です。

そして立春の前日が節分、つまり節分とは大晦日の事。

豆まきとは大晦日に邪を祓うために行います。

豆まきは今やイベントごとの様になってしまっていますが、実はとても大事な御祓いの神事です。

節分と言えば豆まき。

豆はその豊富な栄養だけでなく、邪気を払う力があると言われています。
大豆は日本人にとってとても親密な食材です。

豆には頭と体の解毒作用があり、豆を発酵させて作った日本の味噌は世界屈指の解毒栄養食です。

長崎の原爆症をみそ汁と玄米で治した秋月先生のお話は有名ですね。
因みに穀物は発酵させるとその効果は3倍以上にもなると言われています。

豆は日本人にとって特別であり大切…
故に大切な漢字には「豆」が実に多く使われています。

「豊か」「喜ぶ」「嬉しい」…因みに体は「骨が豊か」で「體(からだ)」と昔は書いてました。

豆を豊富に食べると顔色が良くなると書いて「艶(つや)」。

豆を食べて本(頁)を読むと「頭(あたま)」が良くなる。

こうして知っていくと、節分の豆まきの大切さが身に沁みますね。

豆まきで必ず言う「鬼は外、福は内」にも実は裏話があります。

これ、実は言ってはいけない・・・・・NGワードです。

詳しくはセミナーでお会いした時にお伝えしますが「鬼、鬼門、豆、北東」が関係しています。

鬼は敵ではなく神だった?

鬼は退治してはいけない?

神道では?仏教では?

などなど、毎月の日本の行事にはまだまだわたし達の知らない深い深い物語があるようです。

この様に、日本の行事を深く知ってきちんと行う事はわたし達の人生を豊かにしてくれます。